04.優しい人
昨晩は、ミツバさんと総悟君が私を挟む形で川の字になって眠った。
それでも、二人が眠りについた後はなんだか急に不安がぶり返してきて
自分という存在がいかに宙ぶらりんなのかを思い出して怖くなった。
当然眠りも浅くて、目が覚めてからは空が白くなるのをしっかり見届けてしまった。
眠たいけれど眠れそうにもないから、せめて何か恩返しをしようと思って、二人を起こさないようにそっと布団から抜け出す。
今は何月なんだろうか。薄い着物一枚だと寒くて思わず震えてしまった。
何か恩返しを、と思ったが、勝手の知らない人の家でできることなんて大してない。
とりあえず庭に散らばった落ち葉をきれいにしようと、陰に立てかけてあるほうきでせっせと集める。
広いとは言い難い質素な家だったが、どこもかしこもきれいに整えられていて、ミツバさんの人柄が垣間見えると思った。
すぐに庭はきれいになり、今度こそ手持ち無沙汰になってしまった。
拭き掃除でも、と思ったが雑巾の場所さえ知らないし、あまり派手に掃除をすると借りた着物を汚してしまう。
することがなくて、縁側に座りぼんやりと日の出を見つめる。
私はどこから来たのか。私はどんな人生を歩んできたのか。
一般常識を知っているようで知らない私。
着物という存在は知っていたのに、着方は知らない。第一私がもともと来ていた服は着ものじゃなかった。
でも、生きていくために必要な最低限のことはわかる。
自分という存在があまりに異質で、怖い。
自分の名前しか知らない私。
急にここに来たのだから、急にここから消えることも考えられる。
私は記憶を戻せばいいのか、それともここで新しく生きていく決意をすればいいのか。
何一つ正解も真実もわからなくて、それでも夜は明けていく。
どうしたものかと息を吐くと、どたどたと足音が近づいてきた。
「…理子?」
「あ…総悟君。おはよう。」
「おー。こんな早起きして何してるんだ?」
「なんか目が覚めちゃって…ぼーっとしてた。」
「ふーん…。」
総悟君の顔には安堵が見えて、どうしたんだろうと思う。
すると、後ろから今度は淑やかな足音が聞こえてきて、ミツバさんだとすぐにわかった。
「おはよう。…ふふ、総ちゃんね、理子ちゃんが消えちゃったと思ってびっくりしちゃったのよ。」
「姉上!」
「え、あ、ごめんね!勝手にいなくなったりはしな、い…」
思わずうつむいてしまう。
そんなこと約束なんてできないのに。
自分の意志でここに来たわけじゃないのだから、自分の意志で消えないことを選択はできなんじゃないだろうか。
「…理子ちゃん、お庭を掃いてくれたのね。昨晩はひどい風が吹いていたから大変だったでしょうに。ありがとうね。」
「え、ああ、いえ!これくらいしかできなくて…お世話になっているのに、すみません」
「ふふ、じゃあ朝ご飯一緒に作りましょう?急がないと、総ちゃんの稽古の時間になってしまうわ。」
「はい!」
ミツバさんは不穏な空気を察知したのか、さっと話題を変えてくれ、さらには私の居場所まで作ってくれる。
どこまでも女神のような人だ。
それなのに、なんとなく総悟君のこっちを見る目が痛くて、目を合わせられない。
逃げるようにミツバさんの背中を追い、台所へ向かう。
___
総悟君のちょっときつめな視線は、朝ご飯を食べ終わっても感じていた。
それは、稽古の時間だとミツバさんに送り出されるときまで続いた。
いったい何を思ってあんな視線を送るのか、なんとなくわかるような、でも違うような。
ぼんやりとそんなことを思いながらミツバさんとともに洗濯物を干していると
「今日は奉行所に行ってみましょう。少し歩くけど、何か手掛かりを見つけられるかもしれないわ。」
「はい、お願いします。」
ミツバさんは、あまり私について詮索しなかった。
それはどうしてかはわからないけど、きっと私を気遣ってのことなんだろうとはわかるからありがたく受け取る。
まあ、詮索されても知らないものは知らないので、気を遣う以前の話かもしれないが。
太陽が真上に上るよりも前に、家を出た。
道中、ミツバさんは色々なことを教えてくれた。
今は九月下旬であること。ここは武州というところで、江戸という大都会に比べると田舎であること。
総悟君の誕生日は7/8で、今は13歳であること。最近は近藤さんという人のいる道場で剣術を学んでいること。
覚えきれないほどのたくさんの情報にあたふたしてきたころ、奉行所についた。
けだるげなお役人さんにミツバさんは軽く事情を説明したところ、中に通してもらえた。
「えーと…理子さん?名字も年齢も住所も家族も不明、でいいのかな。」
「はい…。」
「家出とかでは」
「ないと思います。…わかりませんが。」
「一応聞くけど、天人じゃないよね?人間だよね?」
「あまんと…?人間のつもりです。」
「…ちなみに、発見されたときに、けがとかは?服はきちんと着てた?」
「けがはないです。服もちゃんと着てました。」
「うーーん…。沖田さんでしたっけ?あんまりにも情報が少なすぎてね。こっちもどうしようもないんだが…」
「このあたりで、このくらいの子供の捜索願を出しているご家庭はないのですか?」
「ないなあ。一応近くの奉行所にも連絡は取ってみるが…あまり期待しないでくれよ。」
お手上げ、というように手を振るお役人さんに頭を下げ、奉行所を出る。
予想はしていたからか、あまりショックではない。
けれど、このままミツバさんたちのお世話になるのも申し訳なくて…
ちらりとミツバさんの顔をうかがうと、にこりと笑顔を見せてくれた。
「せっかくできたお友達ともうお別れなんてことにならなくて、ちょっと嬉しくなっちゃったわ。…不謹慎かしら?」
茶化すように笑ってくれるミツバさんはどこまでも優しくて。
私もうれしいです、とだけ返して、うるむ目を見られないよう顔を俯かせた。
優しい人2020.07.14
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