「馬鹿野郎。てめえはやはり何にも理解っちゃいねえな、エレン」

 15のガキの頃のままだと。あ、いま少し、ほんの少し兵長は寂しげだったかも知れない、余所事だがエレンは気付いてどこか少なからず嬉しくなって。煩く喚き立てる生物を特に嫌うリヴァイへと、わざと煩く喚き立てる。長々しい言葉など要らない。ただ兵長兵長と無意味に呼び掛け続ければ良い。さすれば1分も経たずうるせえ黙れクソガキと、エレンの狙いにたがわず2本しか無い脚の1本が飛んでくるのだから。

「痛いと生きている感じがしますよねえ」
「しねえよマゾかおまえ。頭以外にもいろいろ足りてねェおまえに教えてやる。生きているものは何もかもすべて――なぜ好きなのか知らねえが、おまえがやたら好きな猫みてえに媚びも懐きもしねえでお高くとまって澄ましていりゃあ良いんだよ。気に入らなけりゃ鋭い武器で引っ掻いて終いだ。気が向いたときだけ『にゃあお』と、ひと鳴きすれば良い。発情期の声はつい叩っ斬って黙らせてやろうかと思っちまう程喧し過ぎて堪らねえが、年中無休で毎晩っつうわけじゃねェ分もしかしたら人間さまより随分ましな生物かもな。無駄口を叩かねえところには好感が持てる。腹が減ってやがるのかもちっともわからねえ。ただ寂しいからだとか哀しいからだとか、そうで無いところは良い。何しろ俺にはわからねえんだからな。だから関係無えと一瞥くれて無視出来る。おまえは猫を好いちゃいるが、それでもおまえも腕に抱こうが猫の気持ちなんざ何にもわかんねえんだろう? なァ、エレンよ」

 やんわりと口端を圧し上げて、堪えきれず怖気付きつつ寄り添った。きっと拙いも精巧も、言葉は海に流れ着く。波際に棄てられている。潮水と砂浜の狭間で枯れては果てず濡れている。

「そりゃ、だって、わかりませんけど。でもそれが無視する理由にはなりません。兵長は俺の気持ちがわからなければ無視しちゃうんですか」
「するか馬鹿。おまえは普通じゃねえだろう。初めておまえの目を見たときから知っている、巨人よりこの世界より、狂ってやがることを。だからおまえは可愛い」
「可愛いと仰るなら俺が仔猫に構うだけで不機嫌にならないでください。何ですか兵長、その矛盾と理不尽は」
「察しろ愚図」
「俺には兵長のほうが随分可愛く見えます。物凄く時々ですが」
「三十路過ぎのおっさんに何言ってんだ、この馬鹿は」

 けれどリヴァイの矛盾した理不尽さに、エレンは思ったのだった。リヴァイの持論によるならば、猫はどうしようとも己が猫であることを理解り得ないし識り得ない。が。そんなことに不便を感じることなど死ぬまで1度として無く何ら思うところも無いのだろう。猫は猫でしか無いからだ。だって猫はカップで紅茶を飲まない。し、スプーンやフォークやナイフで食事をしない。何より巨人の項を削ぐために、武器を握り締め使いたいと考える類いの生物では無い。のだと。だからそれで事足りている。猫の脳は実は烏より小さく、そしておそらくは烏なぞよりずっと自由だ。そうエレンに教えたのはリヴァイなのだ。そんな話は識りたくも無かったのに。果たして涙を誰にも見せぬ、リヴァイはそういった遣り方で、ほんとうは泣いていたのだろうか。到底、誰も、エレンにも理解り得ることの出来ない遣り方で。伝える気など端から更々無い遣り方で。猫より不便さを知る烏のほうが不自由だと、それだけを求める遣り方で。

「だがまァ、そうなれば終いだな。俺とおまえは」
「終い? ……終いですか。それはひどく勝手ですね、兵長」

 言葉どころか息が出来なくなりそうに身勝手だ。それだからエレンはいつまでも子供のままに愚図ついて、結局は自分ばかりが何もかも理解り得ないふりを続けなければならなくなる。別に、何もかも特別に。全部。余すところ無くすべてなんて言わない。けれど知り得たことなら理解りたかった、その努力くらい赦されたかった。未だ。そうだ今この瞬間も。

「たった2本ずつしか無い手足が不便で、俺は。蟲にも化け物にも変化出来ないんです。もう今は。こんなの。こんなんじゃ、足りない。のに」
「は、」

 鼻で嗤う、薄く、低体温な唇が。そうなっちまえばそれこそ終いだ、と言った。リヴァイが幾度として不意に繰り返す『終い』とは具体的にどういう意図を孕んだ意味なのだろうとエレンは頭痛がする程考えて、だが考え過ぎるに越したことは無いと考えた。解を導き出せる何かがもしも、有るとして、若しくはそれそのもの自体がどこかに必ず存在するのであれば、それはひっそりとしかし確実に、初めから既に己のなかに無ければ辻褄が合わない。ただ単純にリヴァイとエレンにどうしようもない相違として阻まれるものであるのならば、それはおそらくも何も言葉にするだけで全部を『終い』だとリヴァイがつよく意思表示をするからだ。何れ程煩く喚き立て子供の癇癪に似た言葉を振り翳そうが、彼の人のほうは『終い』のひと言で暗にもう黙れとでも云わんばかり、寧ろ命じて回避する術を示しそれを標べとしようとするのだから最早どうにも出来ぬでは無いか。エレンにとっては何1つとして『終い』になどならずとも。途切れてしまう何かを――『解』を、リヴァイは具現化したく無いのだ。ならば自分は決してそれを自身から求めはしまい。エレンはだからそれで良かった。幾らリヴァイによって、おまえは何も理解っちゃいねえ、と、15のガキの頃のままだ、と、謗られたとしてもだ。完全なる離別は、調査兵団に所属しながら何を愚かなと誰かに嘲笑されようと、関係無く哀しい。与えられるものへとそれなりの分別はつく程度の耐性は手に入ってしまっていたが与える側になるにはまだ足りていない未熟さばかりで、こうして閉塞的に閉じ込められようが未だ生き延びている、という事実が、殊更煩わしくて仕方が無かった。それでも結果としてリヴァイの選択をエレン自身選んだのだ。こうなればこうだという結果になるに違い無いとわかっていて、相変わらず身勝手にも伸ばされた手を享受して。エレンは責任を負っている。その責任の取り方は煩わしさ無くしては存在しないと知りつつも。

「巨人のいない世界に俺は必要無いんです。なのになぜ貴方はその手で俺を生かす選択をしたんですか、兵長」

 そのたった2本しか無い、仮に失われても化け物のように再生などしないリヴァイの手。けれどこの世界に唯一無二の、逞しくも何より確実に頼られてきた、強靭なる大切なもの。それは穢されてはならない。それは普通の人間で無い生物を救ってはならない。

(本来破られるべき約束を、貴方は守ってはならない――)

 正直に言えたならば何れ程に楽なことか。だがきっとそれは赦されない。知るな、越えるな、選び取るな、けれど理解れと言われながらにきっちりと引かれたリヴァイという人間を象る境界線を、それこそ知り、越えて、選んで理解しないでいるということ。たぶんそれがおそらくのところ彼の言う『終い』の入口なのだろう、と。エレンとてエレンなりに朧気ながらではあっても、本能で確実に感じ取っている。『終い』は死よりも消失よりも救われない完全なる離別だ。それ故エレンは自分が、ほんとうなら選ぶべきである筈の離別のかたちに、それらにはすべてにおいて――たった1つたりともの漏れも無くほんとうにすべて――そうした正しい理由があるというのに、それを理由にするわけにはいかぬ歯痒さが只々もどかしいのだ。

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