夏が鮮々しく色味を増す度に思い出す。彼は、誰よりも夏が似合わぬヒトだった。
 暑さにひどく弱いヒトで、夏場外に出ることは稀だった。その数少ない外出のなか、彼は肌が弱かったのだろう、陽に灼けると真っ赤になってしまうらしく、乱暴な太陽に焦がされた肌には痛々しさすら感じた。知っていますか、黒く日焼けしない人間は癌になりやすいそうですよ、などと他愛もない信憑性の薄い噂を咲って口にしていたけれど、なぜか僕は笑えなかった。他の誰かが言ったのであれば、馬鹿馬鹿しい、そんなのただの迷信だよと言えるだろうに。
 太陽にも負けない程に眩しく思えた笑顔が、遠く見えたのを今でもよく覚えている。彼はすぐ傍で咲っているのに、彼と世界と僕との間にはいつも、どうすることも出来ない何かが立ち塞がっているように思えた。
 彼は夏になると必ずと言って良い程、頻繁に、体調を崩した。だから夏場に出かけることは少なかった。出先で倒れてしまったことも幾度も有る。僕の記憶にある夏の彼は、いつでも仄かに暗い部屋で苦しそうに微笑んでいる。夏になるとすぐこんなふうになる、情けない、昼間だというのに仄暗い奥座敷に敷かれた布団に横たわって彼は口を開く度にそう呟いた。でも、いつも彼の枕元で彼の青白い顔を見下ろしていた僕は知っていた。彼が臥している原因は、確かに夏バテの症状は見受けられたけれど、それよりずっと、ずっと深刻なものだと。現代の進歩した医療でも治すことの難しい、こころ、の問題なのだと。僕は知っていた。

 誤解を招いてしまうのは本意では無いのでここでひとつ言っておきたい。前述した僕の話からすると、彼は弱いヒトのように思えるかも知れない。僕の話は実際にほんとうのことだし、夏場の体調不良だけの話ではなく、普段から彼は少し運動しただけでへばってしまうような体力に不安のあるヒトではあった。しかしながら彼は誰よりもつよいヒトでもあったのだ。彼と十数年、深い付き合いのあった僕は彼の涙を見た記憶がない。彼を幼い頃から知っていた人間も彼が泣いたところを見たことが無かったと言っていたから、事実だろう。それだけでは無い。彼は揺らがないヒトだった。頑固だったと云うわけでは無く、例えば信念や大切なものについて、金とか地位とかそんな小さなものではなく、友人とか家族とかそういうものを、護ることの出来るヒトだった。更に云うなれば、こころを、命と同じくらい大切なそれを護ることの出来るヒトだった。他者から相談を受ける彼を何度も見たことがある、ほんとうの正しさをそっとくれるヒトだった、つらいときには何日でもただ傍にいてくれた、挙げればきりがない程、たくさんの感謝の言葉を与えられるヒトだった。つまり、そういうことだったのだろう。
 兎に角そういった意味で彼はつよいヒトだった。夏場体調を崩して臥せるのも、きっと神さまが休めと言っていたからに違い無い。そして、神さまも彼に相談したいことが有ったのだろう。だから少し早く、呼び寄せたのでは無いかと思う。

 彼のことはいつでも鮮やかに僕のこころに蘇るけれど、夏が来る度につよく鮮明に思い出す。誰よりも夏が似合わなくて、すぐに布団に横になってしまって、日焼けに白い肌を真っ赤にしてしまって、早起きが得意であっても布団からなかなか起き上がれず猫っ毛な髪は寝癖がひどくて、舟を漕ぎながら食卓について、テーブルに頭をぶつけて苦笑いし恥ずかしさを誤魔化して、耐え切れず僕が声を立てて笑って、そうすると彼は一瞬頬を膨らませて、けれど最後にはふたり、笑って、いっしょに、笑って。
 夏に弱い彼はそれでも夏が好きだと咲っていた。向日葵や花火、風鈴にかき氷。この国の夏は美しくて、楽しいのだと。その横顔が何よりも美しいのだと僕は思った。
 今年も夏がきた。相変わらず湿気が多くて不快だ。彼は夏が好きだと言っていたけれど、僕は苦手なままだ。湿度を含んだ暑さは元々苦手だったけれども、ここ数年の温暖化に伴う異常気象は、ほんとうにきつい。夏が好きだった彼だって意見を変えるかも知れない程だ。それでもやはり、夏は美しい。そう思うのはきっと、彼が教えてくれたからだろう。誰よりも夏が似合わなくて、でも夏を愛していて、暑さに顔を歪める人間に少しでも涼しさを感じさせようとして、暑いだけでは無いことを知っていた彼が、すべて教えてくれたもの。僕は確かに昔よりは夏が好きになったのかも知れない。少なくとも楽しむことが出来る。

 嫌いだなぞともう言わないから。だから今日だけは赦して欲しい。
 きみがいなくなってしまったあの日と同じ日付を示す今日だけにするので、言わせて欲しい。

「きみをどこかへ、神さまのところへ、連れ去って行った夏なんか、ほんとうは大嫌いだよ」

 ってさ。
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