食って寝て孔にちんぽブチ込んでズコズコやってゴムに精液出してる毎日の繰り返し。昨日と今日は同じ日で今日と明日も同じ日だ。それで上々。幸せだろう。太陽に落ちる、落ちる。でも熱いだとか痛いとか感じる暇もなく骨も何も残らないだろうから、それはそれでメルヘンチックなことかも知れない。太陽に落ちる、落ちる。俺は、ずっとここでも、ずっとここじゃなくても、どっちでもいいんだよ。

「あーもォつっまんね。飽きちゃったよ。ねえ、サコ」

 何でこんなにつまらないんだろう。誰も彼も。人間なんてどいつもこいつもしょーもない。俺含めて。

「は」

 ぽかんと間抜けな形に開かれたサコの唇から、するりと火をつけたばかりの煙草が落ちる。あーあ火事にでもなったらどーすんだよばか。俺はおまえといっしょに焼け死にたくて言ったわけじゃねえのよ。俺はそう思いながらも、ゆっくりと放物線を描きながらサコの足許へと落下してく煙草を見詰める。細く長い煙があがるのを見ていても、勿論感慨らしき何かなんてもんはひとつも浮かばない。告げてやるのはそれこそ容易いことで、いつだってできた。サコの反応も笑えるくらい予想通りだった。だからさ、サコ、つまんないんだってば。

「んだよ、それ」
「だァかァらァ、これからずっと俺は、俺からおまえに干渉することは一切ないよってことだよ」

 簡潔に言えばもう面倒臭かった。面倒臭いものは無視すりゃいいんだってこれ俺の真理ね。役に立つかは知らない。

「それって、俺と別れたいって話か?」

 サコ。迫田くん。一応付き合っている男の子。だけどね、苗字と連絡先くらいしかお互いはっきりとは覚えていないと思う。合鍵は持ってるけれど。そんくらいでいいんだよ。そんくらいが、テキトーな俺には丁度いい。

「別れるとかァ別れないとか、そうゆうのどーだっていいよ俺。サコが俺とヤリたくなったら呼べばいーんじゃん? そしたら俺たぶん断んないし」
「ちょっと待て。意味がわかんねえ」
「意味もなんもないよ」
「何で?」

 何で、なんて理由は1番おまえ自身がわかってんじゃねえのサコ。可哀想なサコの掠れた声。あー、でも、ほらやっぱり。迫田くんの驚愕に歪められた、人間染みた今その表情でこれは紛れもなく現実なんだと思い知らされる。こんなくだらないことばっかしてて気持ちイイの? うん、わりとね。ヒトゴトのように俺がへらへらといつもと同じ笑顔を浮かべればサコの双眸は見開かれた。急すぎてびっくりしてる。えー何で今更そんな顔しちゃうの。こんなにもお互い何ひとつとしてわかりあえてなんてないのに、いま俺はサコの気持ちが手に取るようにわかる。狼狽も動揺も何もかも全部鮮明に。こんなこと考えてる頭ンなか、このままあのコに教えたら、きっと、あんた神さまにでもなったつもりですか傲慢ですねまじで死ねばいいのに、とか嫌悪感たっぷりの顔で言われそうな気もするけど、でも俺はそれでいい、って思った。

「サコのせいじゃないよ別に」

 強いて言うなら俺のせいだ。俺のあきっぽさが悪い。秋だけに。例えばさァ。何が欲しい? とか訊かれても、俺は上手く答えられない。どうしても自分だけのものにしたくて躍起になる程も欲しいなんて感じるものは何もなくて、いま現在俺がかろうじて繋がっているすべてのものを失いたくない、けれどそれは大事だからじゃあないよ。面倒だからだ。ただそれだけなんだ。俺はね、ほんとう、よくわかんないんだよ。愛とか恋とか。そりゃあまァ男だし性欲あるし、こう、むらっと、して、気持ち悦いことは好きだけれど、だから女の子も好きだし、男の子も好き。ヤらせてくれるのなら。でも本音的には別にどうだっていいんだ。だって俺にはわからない。そういう意味でヒトを好きになったことなんてたぶんないし、きっとこれからもそんなことは起こり得ないんだろうなァ。って、思うんだよ。ずっと煩わしかった、俺は、俺を含む人間全員。でもそのなかでも1番煩わしくて邪魔だったものがすごくキレエで俺はますますそのコを邪魔だと思うようになってしまった。サコのことじゃない。その邪魔なキレエなものを気持ち良く受け入れられるなんて無理なことで、そんなことが俺にできるわけもなくって、ていうか俺はそのキレエなものでできているそのコの感情とか周りにあるものとか、の、ことを、にわかには信じ難い。何しろ俺は自分の性格が宜しくないことくらい充分に自覚してんのに、最近トモダチになったそのコ(というと物凄く嫌そうな顔をされて気持ちイイ)からは、ずばっと、あんたにはほんとうに反吐が出そうになります、なんて吐き捨てられるし、彼は俺のことが大嫌いなんだよ。信じらんない。俺の人当たりの良さは学内でも折り紙付きなのに信じらんない。けど彼曰く、俺はドMの変態で最低最悪なんだって。その上こう飽きっぽいなんて知られたら絶対に、あんたまじで救いようのない下衆野郎ですね先輩、と言われるだろうこと必至。それでも残念なことにそれは事実なんだ。ドMってよりは自分自身にも興味がないだけなんだけどね。んで、俺はこんなだし、都々逸だって“色はよけれど深山の紅葉 あきという字が気にかかる”っていってるし、それと同じくらいサコへの興味も失くした。っていうか俺はサコに興味あったのかな。そんなこと、1度だってあったのかな。考えるのも面倒臭い。




 あのコとセックスしたのは殆ど脅迫だった。暇すぎて誰かいないかなーと思って脚が向いた大学構内で、見付けたキレエな後ろ姿に声を掛けて名前を呼んだら振り返ってはくれたけれど、

『? すみません。どなたでしたっけ』

 ってそれ超ひどくね? わざとじゃなく本気で俺の顔さえ覚えてなかったあのコは色素の薄いガラス玉のような目をきょとんとさせて俺を見ながら考えていた。

『えーと。夏休み』
『はい』
『喫茶店で』
『はい』
『きみが南総里見八犬伝読んでて』
『ああ、太宰のヒト』

 そこで漸く彼は俺を思い出したらしく首を縦に1度動かし、嫌そうな顔をした。だから何でそんな顔するんだろう、と俺は不思議で仕方なかった。そんな目で見られる意味がわかんないんだけどこんなんならあの日きみに声なんか掛けなきゃよかったかな失敗失敗。

『ほんとうに先輩だったんですね』
『えええ? つうか…そこから疑ってたわけ? 意外と酷いのね、きみ』
『だってうちの大学結構偏差値高いですし』
『ちょ、それもっと酷ェし…』

 理不尽なレッテル。それでいて俺は満足しているんだよ。継いできっと待ってもいたんだ。待ちたくなんかないのにね。きみの余所行き用のおキレイな笑みが、俺の前では般若のように豹変すればいいんだよ。わざとらしい泣き真似なんかじゃ、あのコは笑ってもくれない。連絡先だって渡してあったのに連絡くれないし、サコともマンネリ気味で飽きてきてたところだったし。女の子と遊んでもハッテン場で野郎のケツ掘ってもそれ程面白くもないし退屈で仕方ない夏休みはまだ終わんないし。だからといって大学が始まったら楽しいかと言えばそーでもないだろうし。このキレエなコは俺を知らない。おそらく実は俺たち同中だったんだよ、ということだってこのコは知らない。絶対気付いていない。別にいいけどね。俺そこまできみのこと好きじゃあないから。あの日喫茶店で声を掛けてみたのも意味らしき意味はなかった。遊んでくんないかな、とか気紛れに思っただけだった。すごく、すごくキレエだったから。

“──怖いんだろ?”

 頭のなかで誰かが言って、俺は素直にそれを肯定する。そうだよ重くてつよいものは得体が知れないから怖い。俺は置いていかれることも待つことも嫌いだ。だっていっつも、みんな何だかんだ言ってても最後にはどうせ見捨てるじゃん。俺を。だったら最初っから誰も近くに置きたくないし本気で何かを成し遂げようなんて努力が無駄になったら虚しいだけだから思いたくもない。俺は高みの見物気取ってへらへらしながら浅く広く生きてるほうがずっと良い。楽していたい。軽くていたい。

『先輩相手に、どころかヒトさま相手に大変失礼だとは思っていますが。俺、頭のネジの緩そうな人は苦手です』

 なのにあのコは嫌悪感と共に畏怖さえ顕わにそんなことを言った。顔に似合わずキッツイのな。けち。へらへらしてたら大抵の人間は笑顔で話相手くらいしてくれるのにね。

『もう行っていいですか』
『きみ辛辣すぎ。俺いますっげームラムラきちゃった。ね、セックスしてみない?』
『……おまえまじで阿呆じゃねえの』

 タメ語で罵られた。そして残暑で腐敗した生ゴミでも見るような目で見られた。はっはーうん、きみの言っていることは、とても正しいと思うよ。でもね、もうとっくに俺はどうしようもないんだ。

『ねえ俺、きみの声、好きだよ。だからきみが何を言おうが逆効果。そうやって呆れられるのも、ばかにされるのも、すごい気持ちーよ』
『ドMかよ。気持ちの悪いこと言わないでくれますか』
『やーだね。はははっ』

 俺は俺を嫌ってくれる誰かとの出逢いを待ってたのかも知れないなァとそのとき思ったんだ。陰口とかじゃなくて、正面切っておまえのこと気持ち悪いし嫌いだよってちゃんと言ってくれる誰かを。誰かだから誰だっていいんだ。ただ単純に、それが偶々あのコだったっていうそれだけのことだったんだ。

『離してください』

 腕を掴んだら露骨に嫌がられた。しかしそれは無理だ。なぜならこれが俺なんでね。だから、そう、俺にだって変えられない。気持ち悦いことは好きで、つらいことは嫌で。いつだって俺だけ美味しいとこ取りで生きてたいんだ。誰の記憶にも残らないでいいから、誰にも覚えて貰えなくていいから。自分じゃあ見えないけれど誰のうなじにも、タグがついている。扱い方のような丁寧さは無いくせに事実だけははっきりと、書きこんである。不安感はない。そのガラス玉に見られると思うだけで俺はもう。それだけで不完全な俺はたまんない。想像したんだ。きみの余所行き用のおキレイな笑みが、俺の前でだけ般若のように豹変すればいいってね。

『暇ならさァどっか行かない? 俺と。てか、ヤらしてよ』

 軽薄すぎる俺のお誘いに。

『嫌ですよ。先輩のこと好きでも無いのに』
『あはは。今更? きみだって、好きでもない男と寝んの得意っしょ、なに急に処女ぶったこと言ってんの? あーうん、幼馴染みだっけ? 本命にはなんも言えないくせしてねーえ。ばらしちゃっていいの?』
『……』
『えー、何でそんな顔すんの。意味わかんね』

 変なの。なに泣きそうな顔しちゃってんの? え、何でこの流れで泣く理由があんの? けれどキレエな両目に浮かんだ涙はキレエだった。あんたなんか最低だ、と言いながら。最低なんて頭の良い彼は、自分もだと確りわかっていたんだろうに。最低同士仲良くしようよ、って言ったのに。なのに変なの。キレエな彼は俺と違うみたいだった。キレエだった。変なの。そうして俺は彼をサークル棟の空き部屋(通称ヤリ部屋)まで引っ張ってって、犯すことに成功した。精巧な人形みたくどこもかしこもキレエなあのコは、だけど大して気持ち悦いものでも無かった。肩透かしを喰らった気分だった。寧ろ、何だか損したとすら思った。その瞬間、彼はキレエな、人間離れしたものから、ただのつまんない人間へと進化、いや、劣化した。何とも素晴らしいタイミングで人間の出来損ないから、もっと出来損ないへと。俺の興味を何年も惹き続けたキレエな生き物から、ふつーにそこらへん歩ってるエキストラのようなただの人間という存在へと。それでも俺は自分でも全然わけがわからないことに、彼を見掛ける度にしつこく付き纏うようになっていた。どんな言葉も俺の心には響かないから、それはつまり、つまらないことだから、頭ンなかに鏡を置くことにしたんだよ。いつだって反射率が良さそうなやつを選んだつもりでいた。のに。いつだって、すぐに砕けて駄目になるんだよ。おかしいね。ただ、見え過ぎることはひどく疲れるから、もしかしたら俺が自分で壊してんのかもしれんね。その度に今度はどうしようかを考えて、あーまァいっかと思った。笑顔をつくっていればいい。そうすれば、俺だけはずっと大丈夫だ。無理に変わるのは面倒臭くて不可能で。期待するのも然り。ヒトなんて雑音のかたまりなので耳は塞いでしまおう。削ぎ落とすのは痛いだろうから、両耳をヘッドホンで覆ってさ、俺はそういうふうに生きてきたんだよ。頭なんか使えなくても特に困らない。どこか痛々しいところへと頭から突っ込んで傷だらけになったとしても俺はへらへら笑って耐えてゆける。空っぽだから。中身がないから、だからどっこも痛くない。ねえ見て。見てみてよ。ほら、俺は便利。
 ずっとそうやってきた筈だったのに、唇を噛み締めて意地でもひと声さえあげなかったあのコを抱いてみてから、俺のネジはどこかがズレた。キレエなあのコはただの人間で別段気持ちくもなかったのにどうしてか無視が出来ない。からかってやるつもりでからかわれて、傷つけてみようとして傷つけられてる。そんな錯覚にまで乗っ取られてそれは今もずっと続いてるんだ。俺を見るときのあのコの、嫌そうな顔を見ていたい。話し掛けて嫌そうに、けれども言葉を返してくれるとどうしてだろうね? 少しだけ嬉しくなるんだ。





 そこまで話したあたりで、つまんない話をしちゃたねごめんねサコ、なんてちょっと気取って言ってみる。と、サコは、思わず、といった感じで初めて俺を殴ろうと手を上げて、でも結局殴らずに、わかった、と言った。え、いったい何がわかったんだろう。見た目だけキレエなのにかわいくない後輩の話をしただけじゃん俺は。サコは俺の名前を呼んで静かに言った。

「好きなんだな。そのコのこと」
「サコ、俺の話聞いてた? どう聞いたらそうゆう結論になんの」
「聞いてたからそういう結論になるんだよ。ばか」
「えー……俺そのコのこと抱いてから、とっても嫌いなんだけど」
「いいよ」

 サコは言う。

「いいよ」

 何がいいんだろう。俺の予測じゃサコだってもうちょっと縋ってくるとか怒るとかするもんだと思っていたのに。なんて。想像したら途中で吹き出しそうになった。まァ元々今までも、俺とサコは特別な関係ってわけじゃなかったし、出逢いもネット上のSNSからだったしねこれが。ただあまりにも俺たちはドライでサコは俺の浮気とか逐一咎めたりしないし、つうかサコのほうも平気で浮気するタイプだから、そういった意味での俺たちの相性は抜群に良かったと思うし。俺は中学生の頃から、ずっと──もしかしたらもっとずっと前からなのかな──幼馴染みなんてものに固執してるあのコの健気さが気持ち悪くて理解不能でそれが嫌で嫌で仕方なかったから、喫茶店で声掛けたのだって構内で声掛けて犯したのだって実際のところ嫌がらせの一環でしかなかった気がしているくらいだ。

「俺があのコを好きなんて有り得ない」

 言葉にしてみれば呆気なく、そしてまたくだらないもののように感じてしまう、俺はきっと完全に飽きてしまってるんだ。目の前のサコはただの人間。あんなにもありったけの嫌悪を詰め込んだガラス玉の瞳で、でしか、俺を見ないあのコも、今じゃただの人間でキレエなのは単純にハーフだからだってくらいにしか感じないのだから。

「それと俺がサコに飽きたのは関係ないから殴っていいよ」

 俺は笑ってぎゅっと目を瞑る。振り下ろされなかったサコの手はさっきから空中に上げられたままで行き場がない。だったら俺のこと殴っちゃえばいいんだよ。

「おまえはさ、怖いんだろ」
「何が」
「痛いのが嫌なんだろ」
「だから、何が」
「そのコに嫌われるのも。俺に殴られるのも」
「はっは何それウケる。超展開」
「だったら目ェ閉じんじゃねえよ」
「瞑ってたほうがいつ殴られんのかわかんなくてどきどきする」
「……嘘だろそれ」
「嘘じゃないって」

 俺はね、サコ。あのコが俺に対して思ってる通り、ドMで気持ち悪くて救いようのない下衆野郎なんだよ。サコは眉を寄せて俺を睨んだけれど、まったくもって迫力ない。何で泣いてんの。あの日のあのコみたい。おやおやいつも達観している迫田くんらしくないね。

「サコ、」

 慰め方なんか俺は知らないのでとりあえずサコの頭を撫でてみる、と、サコが今日初めて一歩足を踏み出した。俯いたままで、ついでにラブホのカーペットに転がったままだった煙草がいつの間にか、俺の知らないうちに踏み潰されている。わざとらしく首を傾げてみせれば長い前髪で隠れた表情のなかから、ほんの一瞬だけ目が合った。気がした。それからはあっという間。
 がつ、
 殴られたのは顔なのに躰の内側にまで疾った衝撃に息を詰める。反射的に地面に落ちる赤い色。あ、ちょっと鼻血出た。抱き締め合うと刺さる筈だった男同士の固い骨が嫌な音を立てて軋んで。そう言えば俺、今まで誰とも抱き締め合ったことなかった。サコ。初めてだ。こんなの。俺は信じられないことにそれを聞いて感じたのは痛みでも怒りでも驚きでもなく、ただそうまでして俺に対して何かを思うサコへの静かな憐れみと、他でもない、愛しさの一端だった。俺は初めてサコを可愛いと思った。俺は、サコは俺がサコを好きでいる以上には好いてくれてないと思ってた。でも気にならなかった。俺はサコをふつーのつまんない人間程度に好きだったけれど、例えサコが俺を嫌ってたって、別に俺の人生において何の支障もないし。俺にとってはたぶん全部どうでもいい。人間にとって最もぎりぎりのところ、生きるか死ぬかとか、そういうことも、たぶんどうでもいい。ヒトが目の前で車に轢かれそうになってたら俺は迷わず車道に飛び出してその誰かを突き飛ばして、俺が代わりに轢かれてあげるつもりだけれど、それは決して優しいとかそういうんじゃなくて、どうでもいいからだった。俺の代わりに誰かが助かるんなら、俺の代わりに誰かが生きて人生を謳歌できるんなら、俺は喜んで俺を差し出す。何でかよく誤解されるけれど、俺は優しい奴だって。そんなのは欺瞞だしおおきな誤解だ。面倒臭いだけなんだ。全部、全部。ヒトの考えてることもよくわかんないけど、自分の考えてることはもっとよくわからないものだと思う。嬉しいって感じても、悲しいって感じても、心のなかのもうひとりの俺はいつも妙に冷静で、俺の躰よりちょっとだけ離れたところから、ぽつんと俺を見ている。俺と俺が分裂してしまったのは、たぶん、小学校の低学年くらいの年齢のとき。まだ全然無邪気だった頃だ。近所に住んでてトモダチだった、仲良しの女の子が病気になった。原因不明の、不治のやつ。躰のなかで血が漏れていく病気だって聞いた。だからその女の子はいつも貧血で、日に日に白く、更に白く、真っ青な顔色になっていった。彼女が血を吐くのを幾度か見た。怖かった。死ぬの? って訊いてみれば、儚い笑顔で、そうだね、と言った。彼女はどこかの遠い場所にあるらしい病院に入院してしまったからそのあとのことを俺は知らない。けれどあのとき俺は、きっと、理解していたんだろう。俺より先にきみは死ぬんだな。だったら、最初から仲良くするんじゃなかった。かなしいのは嫌いだ。怖い。怖い。怖い。怖い。そうだった。日本人とアイスランド人の血をひくキレエな彼は、あのときの女の子に似てるんだ。
 サコが俺を離したから俺もサコを離す。わざとゆっくり瞬きをして、それから自分の手で髪をかきあげた。前髪が邪魔だなァ。明日髪を切りに行こう。顔を上げると、サコがすぐ隣に立ってた。サコは、俺が何か言うより先に右手を差し出した。へ、と思った。握手で別れるとか、あまりに正しくて、けれど断る理由も見付からないので俺は右手でそっと握った。俺より熱い体温をしたサコの手が痛いくらいぎゅうっと握り返してきた。俺は左手で鼻血を拭いながらいつもと変わらずにへらへら笑った。笑えば楽になる。脳内麻薬が出る。たぶん今も出ている。

「寂しくなったら連絡してね」
「は? てか、飽きたとかで振ったのおまえだろ…殴った拍子に忘れたのかよ」
「いや俺、“サコが俺とヤリたくなったら呼べばいーんじゃん?”って言ったし」
「それは断れ。好きなヒトを好きになった、てめえ自身に失礼だ」
「ねえ。サコはさァ。ずっとそのままで、ちゃんと生きててね」
「強く殴りすぎたかな」
「あはは、ははっ」

 笑ってみせて会話は強制終了。これ以上サコにあのコがどうとか喋られると、俺はどうにかなってしまう。どうにかなっちゃったとしても俺はもう、何かに護られる歳じゃないから誰にも依存なんかしたくない。疲れることは嫌いだ。望みのないことも同じく嫌い。サコの首を絞めるみたいにしてキスをする。俺はさ、あのコのことなんか見たくないんだってば。全然好きじゃないしね。かわいそうな片想いの行方なんて見ててやらない。もう興味ない。面倒臭い。全部が。あー俺は、生まれる種族を間違ったんだ。脳なんか要らなかった。植物になりたい。いっぱい光合成して酸素つくって、他の生き物の役に立てたら、それでもう幸せだろ、いいじゃん。そうなりたいのに。

 なァ、ケイトくん。きみにわかるかよ。

“僕は自分が──なぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。”
“君のような秀才にはわかるまいが、『自分の生きていることが、人に迷惑をかける。僕は余計者だ』という意識ほどつらい思いは世の中にない。”

 そうだ。きみには、永遠にわかるまい。






 9月だし秋だしキリがいいからサコと別れてきた。と言った俺にケイトくんはまるで興味なさげに、はァそうですか、と言った。しかも、良かったんじゃないですかあんたみたいな下衆野郎と別れられたそのひとが。って。相も変わらずケイトくんは酷い。いや、それでもケイトくん、きみは、ただのつまんない人間だ。あくまでも、俺のなかでのことだけれど。それでもきみは平凡な、ふつーに日本人らしい人間になりたかった筈だろう。中学生時代、俺は見世物じゃないと声を殺して幼馴染みの彼の目の前で、泣きそうな顔をしておいて、それでいてその容姿を利用しては代用品の数々に抱き締められてきた身勝手さは、何とも人間染みていて吐き気を催したけどあれも今では微笑ましく思える。俺はきみを愛してあげられない。だけどね、今このときだけなら特に鬱陶しくも感じない。どうだっていい無駄な会話を重ねたおかげだろうか、漸く俺たちは俺たちにとって1番いい状態に落ち着いたのかもね。これは奇跡に近い。俺は神さまなんてものは一切信じていないし、これから信じる予定もないけど。ケイトくんの泣きそうな顔なんてヤリ部屋で犯したとき以来で夢みたいだ。ねえねえ、ぎりっと爪を立てて頬でもつねってみようか、勿論きみの。

「遠くに行きたい、って、サコはそればっか言ってたんだ。付き合いだした頃からずーっと」

 大学の裏手にある、急すぎる坂の上は見晴しが良く、風がまっすぐにケイトくんの髪をやわく嬲って乱していく。ケイトくんは顔を顰めて、呆れて、から。

「でも、アラタ──俺の幼馴染みも、それ、よく言います」
「へえ? 遠くに行きたい、って? 何なんだろうねー。ストレスとか?」
「さァ、知りませんけれど」
「ふうん? そっかァ」

 どうでもいい会話をする。俺は髪を押さえもせずに笑っている。風のせいでケイトくんの白い肌のなかでも特別白い、うなじが見えて、その姿はこんな風の吹く日に相応しいように思えた。中学の頃は、制服が嫌だったけれど、もしもケイトくんと俺が同級生で、親友にも幼馴染みにもなれなくとも、ふつーに友達になれていたとしたら、いっしょにどこかへ出かけたり図書室で本を読んだり出来たのかも知れなかった。そうしたら1回くらいは、いっしょに自転車でふたり乗りして坂道を下ったりして、このうなじを後ろから至近距離で見詰められたかも知れなかった。でも、この坂は、中学校のそばの坂ではないので俺は生憎ただの1回すらもケイトくんと自転車で下れないままだ、という意味のわからない気持ちだけが俺のなかで燻っているんだった。

「今度。サイクリングデートしない? ケイトくん」

 と俺が言うと、ケイトくんは当然のように、しません、嫌ですよ阿呆ですか、と言った。俺は、中学の頃の帰りにケイトくんの自転車の後ろに乗ってすごいスピードで坂を下る彼らの姿を想像していた。夕暮れ色に染まった制服、が、風をいっぱいに受けて膨らんで、きみは幼馴染みと楽しそうに笑って。何十年後かに思い返したらそれは俺自身の中学時代の思い出にすり変わってしまうかもね。だったらはやくそうなればいいのになァ、と、思う。
 脅迫紛いでケイトくんを抱いたとき。お互いに惨めな射精はしたからたぶんまったく肉体的快感、みたいなものがなかったわけでは、なかったんだと思う。少なくとも躰は。でもそれだけで、気持ちくもなくて実のところ俺はサコとしてもそうだったし行きずりで誰としてもそう。だから、神さまが気合い入れて人間つくったらこうなった、って感じの、キレエなきみには期待したんだよ。したくもない期待をしたんだ。結果はガッカリだったけどさ。

「俺だって、」

 ケイトくんは言った。

「誰と寝たって気持ち悦くなんか無いです」

 へえ。そーなんだ。その理由を、きみは知っていた。

「いつだったか脳科学の本で読んだんですけれど。セックスにおいて、ヒトの感度というものは、生まれ持った多少の差異は有るものの、大して、感じやすいとか感じにくいとかって、無いらしいですよ。友人の話でも一部の脳科学者たちの間では、セックスは躰ではなく脳でするものである、なんて通説が有るくらいだそうですし」

 ふうん。じゃあ俺たち不幸だね。一生、心から気持ちいセックスは出来ないってことじゃん。俺も、きみも、この先たったの1度だって、セックスは虚しいオナニーみてえなもんなんだ。それ以上のものには絶対にならないんだ。

「セックスドラッグでもつかう?」
「あんた以外となら」
「はっはーそうゆうと思った」

 来期から、留学する予定です。とケイトくんが脈絡なく言ったけれど俺は少しも驚かなかった。うん。だって。ずっと同じところで同じ人間付き合いだけで変わらず同じことをし続けるなんてほんとうは正気の沙汰じゃないって俺も思ってる。それにさ、やっぱきみには似合わないよ。キレイだけどその分だけ高温多湿なこの国のなか。

「何でみんな遠くに行きたいなんて言うのかなー」
「そういう時期なんじゃないですか? 知りませんけれど」
「ふっ、あははは、」
「前から思ってましたが先輩の笑いどころが全然わかりません」

 いやそんなもんわかってくれなくていーんだけどさ。

「だって、時期ってゆうんなら幼馴染みくんもきみも同い歳だろォ。サコもだし」
「はあ」
「んじゃ、きみが留学するのもそれ? どっか遠くに行きたいから?」
「関係無いですね。留学自体は大学受験の前から視野に入れていましたから。だって、こう言っちゃ元も子も無いのかも知れないですけれど、どこか、なんて、行こうと思えば行けるでしょうが。いつでも。どこまででも。新幹線にだってフェリーにだって飛行機にだって乗れますし、引き止めるものなんて何か有ります? 行きたいとほんとうに思うのなら今すぐにでも、好きなところへ行けるんですよ。誰でも。なのに、遠くに行きたいなんて言いながら、どこかへ行きたいなんて言いながら、結局どこにも行かないヒトの理由だとか、気持ちだとか、理解る筈が無いでしょう」

 やばい。俺の空っぽの躰のなかの空洞を、思い切りつよい風が吹き抜けていった。やばい。ケイトくんはとても、とても格好いい。

「何それ──」

 だから時折、俺はきみが怖いよ。怖くて怖くてたまんない。きみの幼馴染みくんもサコも、それに俺だって、どこにも行きたくなんかない。俺たちは成人してようがまだ大人になりきれていなくて、今ここで最後の子供で、ほんとうはそれを悪くないと思っていて、行けないどこかを夢見ながら、惰性と愛着と執着とそれから淡い希望で生きている。けれどきみは、きみだけは、この坂を下るスピードでひとり、簡単に明日へ行くんだ。振り返りもせずに。引き止める手にも、声にも、靡かずに、向かい風にも気付かない程のスピードで、いつか、空だって飛ぶんだ。なァ、そうなんだろ。

「何それ、かっけェね。ケイトくん」

 ずっとふつーになりたかった筈で、やっと取るに足らないつまんないものになれたというのに。耳に入る風の音がまるで、嫌だと繰り返す嗚咽をあげているようで不愉快だった。折角きみは俺にとって、キレエな何かじゃなくって、そこらへん歩ってるエキストラのような人間になれたのにそんなにも易々と一瞬で放り投げてしまう。また戻る。重くてつよいものは得体が知れないから怖い。そういうものにまたきみは戻る。かわいそう。これはほんとうに、自分でも、反吐が出るかもしれんね。

「“弱虫は、幸福をさえおそれるものです。
綿で怪我するんです。
幸福に傷つけられる事もあるんです。”」
「先輩、太宰すきですね」
「別に好きなわけじゃないよ」
「俺にはあんたが、幸せそうにはとても見えませんが」
「失礼だねェ。失くしたくないものはたくさんあるけど、欲しいものなんて、なんもない」

 そう言って、それを虚しいとか悲しいとか寂しいとか思っている俺はきっと、とても、とても格好悪いんだ。そんなこときみを見付ける前から知っていた。だけど、俺は、明日も明後日もずっと、嫌いだよって言いながら、それはこっちの台詞ですよって言われながら、きみに会いたいよ。
 風に煽られた髪の毛が顔にかかって上手く前を見られない。そうだ、落ちる太陽の下でタグを読めないきみばっか狡いんだ。きみのキレエな指先でこの髪をそっと掻き分けて、キスしてくれないかなァ。もしくは。緩んでいたネジがきみのせいでズレた俺は、疼くみたいに今きみのその横っ面、を、とっても殴りたい。
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