7月。
 そうだ。7月だしね。
 7月なのだ、仕方が無いさ。

(何も通じ合え、無い、ことが)
(ほんとうは通じ合えることよりも、大切なんじゃないかと思うんだ)
(などという──何も理解せずに馬鹿げた理想論を翳していた頃の自分を思いきり、殴りつけてやりたいよ)

 殺人的な暑さだ、と毎年夏がくる度に思っていた。その度に、老衰している状態でもあるまいし暑いくらいでそうそう死ぬか、と彼は鼻で嘲るように、けれど咲った。咲っていたのだった。
 うるさいよ、うるさい。
 そりゃあまだ僕は若々しい者だから暑さなんかで淡如もむざむざ死んでしまう儚いことはないけれど、例え誰も死ななくたって夏の暑さは殺人的だ。
 はァ、成る程。そう言ったあの顔は思い僻める程に意地の悪さを含んだもので、憎まれっこ世に憚るという昔の人の言葉がよく似合っていた。それ、なのに。儚くなど無いと云ってさ、うそつき。哲学的に話を飛躍させるなら、つまり彼は向日葵だったので空に愛されてしまったのだ。まるで吸い込まれていくような見事なダイブ、屋上のフェンスを乗り越えて、そのコンクリートを蹴り飛ばした行く末は、灰色強い地上では無く、真っ青な高い夏の空だった。というただ、それだけの話なのだ。
 茹だるような暑さで脳がふやける思いがする。あァそう言えば彼の生まれ月は確か7月だったか8月だったか。薄情者、と非難されてしまうかもしれないが、7月でも8月でもどっちでも良いよ。だってどちらも暑い。
 さてあなたには想像してみて欲しい。何も感じない自分を。愛されても愛することが出来ず、話しても笑ってもすべてが他人事のようで、その惨めさに態々涙しようとは考えるのだが悲しくないので涙も出ない。そうして誰も居なくなった無人の部屋に置いてある林檎は、湿気と殺人的な暑さで林檎らしく黴て腐っていくだけなので僕が食べたことにすれば良いとして、僕を犯人にして。ほんとうに夏が悪かったのかは知らない。どうでも良い。頭から、きっといろんなものが滲み流れて落ちてしまったのだ。フィクションドラマのように殺人に繋がるわけでは無いけれど密室の謎はとても美しいと思う。きっとあなたは何も言わない、今日も明日も明後日も。誰も、誰にも告げ口をしないのだろう。だから僕は犯人にすらなれないのだ。こんなふうにいつも野放しで、非道な愛撫でも良いから触れて欲しくて、寂しくて。有る筈の無い地下室から聞こえてくる折檻の音声ですら艶めかしく、耳を澄ませてしまって。まるで危うくも無い僕の独りぼっちの心臓を、僕はそう、乱暴に掻き毟りながら、結局林檎を腐らせてしまう。好きだとか嫌いだとか愛だとか手を繋ぎたいだとかキスしたいだとかセックスをしたいと思うのはすべて違う別のものだと何度も何度もいやになるくらいに繰り返し言い聞かされたけれども、そんなものは今でもきちんとわからない。理解できたところで、だから、何だ。頭からなのか額からなのか頬からなのか首からなのかわからないくらいに、汗が滲み流れて落ちた。止まりもしないでただ後から後から垂れ続けるそれはまるで、涙に似ていて腹立たしい。着慣れない喪服が肌に張り付く感触はひどく不愉快で、今日の最高気温を計るまでも無くだらだらと垂れ落ちる汗に、もしかしたら茹だった脳がとうとう溶けて混じっているのでは無いか。なんて。
 もう2度と見ることの無い、彼の笑顔。姿。かたち。意地悪げな声も聴こえない。
 耳鳴りすら掻き消す蝉の鳴き声が煩くて堪らないよ。何度も思い浮かべようとは努力するものの、蜃気楼のように彼の姿形が揺れ消えていく。僕は知っているのだ、やがては何も思い出せなくなることを。
 すべては暑さのせいだった。
 墓石に水をかけながら少し笑う。だァいじょうぶ、泣いてなんかいないよ。これからだって僕は独り。でも泣いたりしない。なぜなら夏場は汗が出る分涙が出ないし、ただでさえ蜃気楼みたいになっている曖昧な記憶が、涙で流れていくのはとても許し難い。ヒトは泣いた分だけ痛みを忘れていくと云う。それならもう一生泣いてなどやらないと僕は決めたのだ。自分以外の誰かのために、泣いたりなんて絶対しない。夏の空に消えた向日葵がひとつだけ。彼が代わりに泣けば良い。せめて暑さもましになるのだ。そしたらそのうち空は真っ逆さまに、降ちてくるだろうさ。たぶん。
 きちんと迷わず落ちて来い。この腕に、今度こそ。薬を大量に頬張っても眠れない、今年も夏は殺人的な暑さだ。
 だから。あなたには想像してみて欲しい。想像してみて欲しいのだ。
 自分の身体から弾き出されたかのような、自分を。そして、そのまま生き続けなければならない現実を。おそらくこれこそが絶望的だと形容するものなのでは無いのかとは思うのだが、絶望というものがどういうものかよくわからない。
 あァそうだね、単純に。
 何もかも単純に、頭が悪いだけだと信じていたのに。
 想像してよ、して。
 それらがすべて剥がされてしまった後の話を。
 出来るなら教えてくれないだろうか、その話通りにしてみるから。してみるから。あの頃の続きは何れ程想像しても無意味で。二度とこないと知っているよ。
 だからもう僕は願いごとも祈りもしないのだ。どこかの飽食に疲弊した子供を装うことに終始して、その実飢えて、腐りきった林檎に手を伸ばすのを誤魔化すことに必死になりながら、咲わなくなった彼の匂いも消え失せた、消え失せてしまった、不快でやわらかなタオルケットにくるまって、漸く死んで腐ってしまえる。
 だって、今はさ。

(そうだよ。僕が)

 7月だしね。
 7月だシネ。
 7月だ死ね。
 7月。
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