窓から見下ろしたグラウンドの虫みたいなヒトの群れのなかで俺の目に飛び込んできたのは、腹チラでもパンティでもなく、無造作にも散切りに切られたへんてこな髪型だった。有り得ねえ。可笑しな散切り頭の衝撃から3ヵ月弱、漸く伸びて馴染んできたところで、あいつはやっぱりやりやがった。

「夜中に起きてるとさ、急に切りたくなるんだよね」

 ケラケラと笑って工作鋏を見せびらかしたあいつの顔が甦る。俺のどこかがキリキリ痛んで、俺の平穏な1日は6時間めにして、さっき覚えたばかりのサ変活用と共に、脆くも崩れ去った。
 キスするようになってからもあいつのことはわからない。
 その上キスするようになって初めて知った。俺はあいつが嫌いだ。

 放課後、もう誰も居なくなった教室のドアを開けた途端、嗅ぎ慣れない匂いが鼻をついた。反射的に眉間に皺が寄るのがわかる。俺は音を立てずにゆっくり長く息を吐いて、口許に微笑みさえ浮かべる努力をした。

「何してんの?」

 へんてこ頭は少しも振り向かず小さな声で、

「ん? マニキュア」

 と言った。俺がまた寄りそうになる眉間を指で押さえて椅子の後ろに回り込めば、案の定、こいつはあの顔で爪に色を塗っている。馬鹿みたいな頭にして笑うあの顔だ。

「また女子に貰ったの?」
「うん。鈴木がくれた」

 女子というのはどうしてこう物をやるのが上手いのだろう。こいつの欲しいもの、こいつの喜ぶものをあいつらは的確に見つけだす。こいつにマニキュアなんて、俺は死んでもやらねえけど。

「……男がマニキュアなんて変だよ」
「何で? 格好いいじゃん」

 得意げにかざされた左手の人差し指と中指の先が、汚らしく真っ黒に塗り潰されている。ぐちゃぐちゃに指まではみだしたマニキュアは、『格好いい』とは程遠く、俺はもう眉間の皺を制御出来ない。

「……下手くそだね」
「女子にも言われた。あいつら塗りたがるんだよ」

 そりゃあそうだ。マニキュアなんて口実だ。だって女子だもん。

「……塗って貰ったら良かったんじゃん」
「それじゃあ意味ねえじゃん」

 まるで当たり前のことを言うように笑って、また爪にとりかかった。こうなってしまったら最後、こいつの世界には誰もいなくなる。俺の言葉は届かない。

「また髪自分で切っちゃったんだね」
「美容室行きなよ」
「マニキュアってプラモの塗料といっしょなんだよ? シンナーで落とすんだよ」
「また生活指導に怒られても知らないよ」
「あのさあ、SのなかにはちっせえMが居て、MのなかにはちっせえSが居るんだってさ」

 届かないことを知りながらそれでも諦めきれず俺は話し掛ける。返事は返ってこない。
 短く噛み過ぎて血の滲んだ指先が次々に真っ黒に潰されていく。どろっとしたその黒い液体が傷口に染み込むのを思って、俺は思わず自分の指先を握った。

 何度言っても爪を噛む癖はなおらない。
 何度言っても髪を有り得ないへんてこに切ってくる。
 何度言ってもこいつは、手首をカッターナイフで切る。
 怪我しても怪我しても、目を見開いて、唇を噛んで、何も見ないで、何も聞かないで。
 俺は知っている。
 そうしてこいつは笑っているのだ。
 痛むのはいつも俺の痛覚だ。握った爪が手の平に突き刺さる。痛い。

「……なあ、もう、いいじゃん」

 背中から抱き締めるように無理矢理両手を押さえ込んだら、見た目より細い体がきしりと鳴った。俺のどこかがまた痛みに泣く。

「……なあって。もう、やめてよ」
「変なやつう。おまえってさあ、夕方になるといっつも泣くよな」

 俺の腕のなかで、黒い指先を机の上に弾ませながら、へんてこ頭がケラケラ笑った。

 きっとこいつは俺を嫌いなのだろう。もしかして俺たちは気が合うのかも知れない。だって、キスするようになって初めて知った。俺はこいつが嫌いだ。
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