急な坂道を下り始めれば、そうやすやすと止まることなんて出来ない。そうだ、石ころに例えてみれば理解り易い。あれは自分の意思で止まることなど出来ない。誰かの足に躓くか、誰かの足に踏みつけられるか、坂が平面になるかを待つだけしか術がない。今まさにその状態だと言えば、おまえは人間だろう、と責められるだろうか？　震える手首に落ちた影が、更に落ちて坂道を黒く彩る。これ以上足を踏み出せば、もう2度と止まれないような気がした──或いは、止まらなくても良いと思っているのかも知れない。止まってしまえばそれで簡単に楽になれることは明白だろう。でも、こんな中途半端な状態で止まれば、1番苦しいのはおそらく自分自身だ。矛盾で自分が構成されていく。助けを求める場所もない。

「…？　何してんだおまえ？　さっさと行くぞ」
「ああ……ごめん」

　考え事をしてた、と呟いて、俺は止めていた歩みを再開させた。半歩前をゆっくり歩く、俺とたいして背の変わらない彼をじっと眺める。俺では彼を満足に振り返らせることすら出来ないのだから、お笑いだ。
　道端に転がっている石を軽く爪先で蹴飛ばせば、聞こえるか聞こえないか程度のコツンとした音と共に静かに転がっていった。目の前の彼の足元を通り過ぎ、緩急をつけ、時折アスファルトの凹凸に律儀に躓きながら。
　気づけばこちらを見ていた、暗い色を宿した瞳。振り向いて欲しい、と願っていたときには振り向かないのに、思考をそらせば振り替えるのだろうか。勿論これは偶然だとわかっている。

「どうかした？」
「……いや？　今おまえ、石を蹴ったか？」
「蹴ったけど…」

　それが、何だ。
　彼は数回首を横に振ると、別に、何でもない、と呟いて、また前を向いてしまった。やがて平坦な道に戻り、俺が蹴った石もカツンと音を立てて電柱にぶつかり、止まる。手のひら約4分の1程の小さな石だ。その石が止まると同時に、なぜか彼も止まり、電柱の根を見詰めている。

「……石、蹴っちゃあ、まずかった？」
「いや。何か、ゆうべ観た映画のことを思い出した」

　そういえば今日はやたらと彼は眠そうにしていたか。最低でも2時間近くかかる映画を夜中に観るのは、平日の生活リズムを正しく過ごす真面目な学生のタイムスケジュールでは、少し苦しい。睡眠時間を削ってでも観たい映画だったのかと問いかければ、まさか、と端的な言葉が返される。

「昨日は朝からずっとコーヒー飲んでいたから眠れなくなってな。深夜放送のB級映画を観てたんだが、」

　そこで、欠伸をひとつ噛み殺す、彼が言うならば、余程面白い映画だったんだろう。家に帰ったら、ゆうべ放送された映画情報をチェックしてみよう、と俺は思いつつ相槌を打った。彼は映画のタイトルは忘れたらしく、その内容を、ひとつひとつ思い出すかのようにゆっくりと口にする。

「確か、上流階級の…女に、田舎者の男が恋するんだよ。それで、城を抜け出した女を連れて、…えーと、男が、片田舎まで逃げる。坂道の途中で男が蹴った石を見て、女が呟くんだよ。『石は転がり始めたら止まらない、まるで私たちの恋心のように』……何か、そのシーンを思い出した」
「……それはそれは、古風だね」
「遠まわしにベタって言いてえんだろ？」

　結末もベタだったよ。結局女は連れ戻されてさ。男は捕らえられて、女は政略結婚をさせられる羽目になる。だけど男は逃げて、女の結婚式に颯爽と現れて、女を掻っ攫ってエンドだ。シェークスピアも真っ赤な脚本だな。まァ、演技は上手だったし観てて退屈はしなかった。
　そう言い切った彼はまた歩き出した。迷いの無い足取りについていく。ここで、なぜ自分は自分自身を自重する、ということが出来なかったのだろう？　心から理解不能だ。

「…それじゃあ、」

　振り返った彼に、一息に呟く。

「当てはめてみれば、俺はきみを拐う田舎者だね」
「……………おまえ何言ってんの」

　理解するのに数秒を要した彼は、そのまま無表情だったかと思えば次第に赤くなり、そして今度は青くなり、元の色に戻る、という偉業を果たし、そのあとで、

「気持ち悪ィ」

　と、素直な感想を言い放ってまた歩き出した。俺は置いていかれないよう慌てて着いていく。
　ああ、ほんとうに。これがハッピーエンド、に、なれば良いのに。

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