使いきれなかった生を、もう1度まわしていく。嘘だと糾弾されたとしても、その言葉に圧力は無い。もしも、出会わなければ、きっと俺は、ふつうに、まともな人生を歩んでいたのだ。若しくはこいつが、俺を好きにならなければ──そうすれば、俺たちは幸せに成れただろうに。

「えええ……それを当の本人に告げるの? 酷くね。大体そう言うセリフの意図は何なわけ」

 微妙に眉をぴくぴくさせながら、目の前の男は俺に問う。怒っているのか? いや、悲しんでいるのかも知れない。或いは、ただの困惑か。駄目だ、こいつの表情から頭のなかを理解するには、俺はまだまだ未熟すぎる。もそもそとそんなことを考えていると、へたりと下がる眉。造形と云う意味でこいつの姿形はいつも綺麗だ。

「ねえ、くだらないことに頭を悩ませているようだから、言わせて貰うけど、」
「くだらないとは何だ、ちっともくだらなくない。俺がどれだけ崇高なことについて思考を巡らせていたかも、知らねえくせして、おまえが勝手に評価するな」
「知ってるよ、どう高く見積もっても、崇高じゃあ無いことくらい。いいか? 僕は別に、きみの質問に対して、怒りを感じてなんかいない。単純に疑問に思ったから、質問しただけだよ。Do you understand?」
「……日本語で話せ、純日本人」

 やけに良い発音で英語を話付け加えられた。まったく、勘に障る奴だ。けれど、質問とは何だったんだろう。おまえに出会わなければ云々、と俺が言って、それをどうして本人に言うんだと。そういう話だったか。こいつと会話をしていると、知らぬ間に話題が擦れて困る。1度なんか、好きな学食メニューの話をしていた筈が、気付いたらNASAの歴史について語られていたこともあった。意味がわからない──おまえは意図がわからないと俺に言うが、こちらからしたら、おまえのほうが余程意味不明だ。

「だって、そう思わねえか?」
「僕らがもしも出会わなければ、の話?」
「そう。若しくは、おまえが俺に惚れなければ、だな」
「そうだねえ……どうだろ」
「どうだろ、じゃねえよ。おまえ」

 そんな深く考え込むふりをしなくても、誰にでも解るだろうよ。もしも出会わなかったら。俺はきっと今以上に平々凡々な高校生で、彼女なんて卒業までに出来ないだろう。それでふつうに成績に見合った大学に進学し、て、そこでか、社会に出てからか、物好きな女性と恋にでも落ちるのかも知れないなァ。そうしてどこかのふつうのサラリーマンな俺は、妻子のために懸命に働くのだ。おまえとこんなふうに、恋仲にならなければ、その平凡な人生に友人の1人としてその名前が刻まれるだけだろう。確実に、恋人というカテゴリには入らない存在が。そうだなァ、こんなところか。

「まァ、確かにそんな感じかも知れないねえ」
「そうだろう? 平和で幸福な人生設計だとは思わねえか?」
「平和だとは、思うけれどね」

 くすくすと、羽音のような微かな笑声。もっと豪快に笑えばいいのに、つくづく女のような奴である。そして俺がじとりと睨んでやると、ごめんねえ、なんて謝ってくる。まったく、何なんだ。

「え、何でも」
「意味わかんねえんだよ、おまえは」
「そんなの気にしないで。それこそどうでも良いことだ」

 元よりそのつもりだった。こいつの言動ひとつひとつに突っ込んでいたら、俺がもたない。あァ、失敗した。こんな話を持ち出したのは失敗だった。することがないからって語るようなことでは無かった──ほんとうに。夏休みの登校日。そろそろ部活動をしている生徒も帰る頃になる。西陽がさす教室は暑くて、ふたりだけしかいない。静寂。俺は小さく溜め息を吐いた。

「おい、そろそろ」
「ん」
「帰りたい?」
「なぜ疑問形なのか」

 かたりと音をたて、席を立つ。また特に何をするでもなく時間を無駄にしてしまった。勿体ないなどと言う程、日頃たいしたことをしているわけでも無いけれど、何となく損をした気になる。この時間にすごいことが出来たんじゃあ無いのか、とか──この時間にどこかですごいことが起こっているんじゃあ無かったか、とか。まァ、つまりは、無いものねだりなわけである。

「ところで」
「? なに」

 面倒臭いが、職員室に鍵を返しに寄らなきゃいけない。適当に脳内で呟きながらポケットに金属を突っ込む。鞄も持って、扉を開けて。振り返れば、少々真剣な顔のイケメンが。逆光のせいでどこか近寄り難い雰囲気のそいつは、変わらず笑っているようである。

「結局、どうして、あんな話をしたの」

 蒸し返すような話だったわけでも無いのに、律儀な奴だ。しかし、はて? 俺はいったいどうして、あんな話を始めたのだったか。だって、

「もしも俺たちが出会わなかったらさァ」
「ん」
「もっとふつうで、まともな人生が送れたと思うし」
「そうかも」
「もしも恋仲なんかにならなかったらさァ」
「ん」
「もっと簡単に、幸せになれるかも知れないし」
「否定はしないけど」
「でもな、」

 ポケットのなかで鍵が笑う。こんなことを真面目に話すなんて馬鹿みたいだ。俺だって、自分を嗤ってやりたいくらいだ。これから言うことでどれだけ恥ずかしい思いをするかわかっているのに、やめないことについてさ。

「まともに生きるより、楽に幸せになるより、おまえに出会えてよかったなァって」

 外が赤いわけである。夏の夕暮れはどこか高く遠く、どこまでも続くように俺たちを見下ろす。願わくばそれによって、頬が赤いのがばれないといい。俺も、俺を捕まえる奴も、赤に呑まれてしまえばいいのだ。100年後、俺はここにいない──100年前、俺がここにいなかったように。今日もまたかさぶたが剥がれるように消えて、明後日また生まれるのを楽しんでいる。おまえと出会えたからまともな人生で無くて、相思相愛だからなかなか幸せは見付からない。そう考えたら何だかもう、それでいいんじゃあねえの。なんつって。
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