絶対に頷いてもらえない気がして誰にも言えないことがある。例えば、渋谷行きの電車の中は青色でしばらく地下を走るから海底列車に乗ってるみたいだ、とか、メロンソーダにポーションミルクを入れるとクリームソーダの味がする、とか、きみは僕のことが好きだ、とか。
 きみは折角うちに居るのに、床に座って厚い本を読んでいる。だから僕も同じようにして少し離れて漫画雑誌を読む。きみが時計を見ないから、僕も時計を見ない。
 今きみは躰の左半分で僕を待っている(ような気がする)。僕が頁をめくる手を止める度に、きみの左半分がどきどきしている(と、良いな)と思って10頁に1回くらい態と一休みしてみる。きみは1度だって本から顔を上げない。

 何読んでんの? 面白い?

 って訊く程僕はその青い色の表紙の本に興味がないし、訊いたところで多分きみだってきっと面倒そうに、

 別に。

 と答えてろくに説明もしてくれないに決まっている。
 きみは息をするのと同じように本を読む。世界に退屈しているふりをしながら、きみはいつも待っている。僕を。

「ねえ、」

 僕の声にきみの心拍数が一気に上がる。素知らぬ顔で目を落としたまま、僕の言葉を待っている。

「何?」

 平静な口調も精一杯の努力の結果だ。

「こないだきみの大学の女の子と友達になったよ、渋谷のカラオケで」
「ふうん」

 この上なく興味無さげな相槌。でも僕は追い討ちをかける手を弱めない。

「チセちゃんていう子。知ってる? わけないよね」

 がっかりして、それから多分怒っている。このタイミングでこんなことを言い出す僕に。何かを確かに期待していた自分に。心拍数は急降下だ。

「そういえばあいつ、何て名前だっけ。きみんちの猫。元気?」
「別に。ふつうだよ?」

 平静な口調はこれ以上がっかりしないための防衛機制としてのあきらめ。

「ねえ、」
「何」
「僕といっしょに暮らそうよ」
「うんん?」
「いやだから、いっしょに暮らそうって……」
「別にいいけど。どうでも」
「いいの?」
「うん」
「ベッドもいっしょだよ?」
「うん」
「言っとくけれど、まじでダブル1個とかにするよ?」
「すれば?」
「……部屋とか家具はきみが選んでいいから」
「わーい、嬉しいなー」

 只管に棒読みで、どころかそもそも手元の本から一瞬たりとも目も上げずに適当に返事をし続けられて、僕は折れた。

「ねえ、キスしていい?」

 きみの心臓が止まる。思考が止まる。血流が止まる。

「なァんて」

 すかさず言った。きみは何も言わずにちらりと僕を一瞥して、また顔を落とした。がっかりして怒って、でも半分でほっとしている。高鳴った心臓を元に戻そうと本の文字をゆっくり目で追っている。内容なんてちっとも頭に入っていないくせに。

「なァんて」

 床に両手をついて、きみの前に身を乗り出して、そのまま僕はキスをした。目を閉じる一瞬前に見えたきみは目を開けたままだった。どきどきしている。どきどきしている。今こいつは全身でどきどきしている、絶対に。
 だけど今僕の耳に鳴り響くのは激しく脈打つ僕の鼓動で、それがあんまりうるさいものだから、他には何も聞こえない。つながった唇までもが脈打って、この音が全部きみにも聞こえている気がして、僕は泣いてしまうのかも知れない、と思った。
×
第4回BLove小説・漫画コンテスト応募作品募集中!
テーマ「推しとの恋」
- ナノ -