いつの間にか9月が来た。暑い夏休みを呆気なく終え、2学期が始まっていた。あんなに待ち焦がれていた、終わらないで欲しいと祈った夏休みが、予定通りに過不足なく終わってしまった。あんまりだ。俺はうちひしがれていた。ついでに俺は最近、寝ている時間が普段より確実に、1〜2時間は長くなってしまったようだ。思うに、俺はたぶん、着地点がわからなくなってしまったのだ。夏の始まりと同時にどこかへ飛んでいった俺のヤル気、今頃は南の島の雲の上あたりで、ぷかぷか昼寝してんじゃないのかと思う。
 コンクリートの上、ケイトが猫のようにまるくなって眠っている。紺色のカーデを肩にかけ、バッグを枕にして。俺は屋上のドアをあけてその場面に出くわし、阿呆のように、ぽかんとしてしまった。こんなことは、凄く、珍しい。近くまで歩いてゆき、すうすうと気持ち良さげに上下する肩をみる。今度は頭の近くにしゃがみこんで、じろじろと寝顔をみた。風で邪魔そうな前髪を掻き上げてやって、額も見る。白くてきれいだ。形の良い眉も、くるんとした睫毛もきれい。

「今日わりと涼しいのに。風邪ひいても知らねえぞ」

 呟けば、ケイトの長い睫毛が震えて、けだるげに瞼が持ち上がった。

「……何だ。アラタか」
「ケイトが屋上いるなんて、珍しいな」

 前髪を掻き上げたまま、ケイトと視線を合わせ笑ってみせた。色素の薄いケイトは太陽に弱く日焼けをしない。代わりに軽い火傷のようにその白い肌が赤くなるので、曇天の下、更に日陰で無ければ外で昼寝なんぞ出来ない。俺はケイトの肌が大丈夫か確かめて、から、安堵と共に立ち上がって、涼しい風を吸い込んだ。空がとても薄暗い。

「そうだ。ケイト」

 俺はポケットから封筒を取り出した。

「こんなん、貰った」

 ケイトの顔の上で、はたはたとその紙切れを振る。ケイトは寝転がったまま怠そうにそれを見て、何だよ、手紙? と言う。

「そう、ラブレター」

 ケイトは目を丸くした。けれど、俺宛てじゃねえけど、と付け足すと、あァ…ごめんな、と言って、腕を持ち上げてそれを受け取った。

「2学期第1号だな」
「つまんないこと言うなよ」

 この中学の女生徒は、俺をケイト直通のポストだと思ってやがるふしが有る。ついでケイトは律儀なものだから、貰った手紙はひとつ残らず読む。ただし、絶対に返事は書かない。だから、こんなの、あげても無駄だよと言って、1年の夏休み前くらいに、隣のクラスの女子が押しつけてきた手紙を、俺は、突っ返したことがある。それでも強引に押しつけてくるから、アタマに来て、ケイトに見せる前にそれを破ってやった。だがそれを知って、ケイトはひどくひどく怒ったのだ。俺がびびる程に。だって、手紙如き直接渡す勇気も無いような人間からのラブレターなぞ、読む価値は無いよ。そんなものの為に自分の時間を割いてケイトはお人好し過ぎる。そう思ったが、そのことがあって以来、俺は文句のひとつも言わずに、こうやって不毛なラブレターを運び続けている。いつかケイトが返事を書くことがありませんようにと願いながら。
 ケイトは躰を起こし、手紙を読み始めた。薄い桜模様の便箋が強い風にかさかさと鳴っていた。ケイトのやわらかな金色の髪も、風になぶられている。長い睫毛を伏せた無表情が、横顔から見ても凄く絵になって、それを眺めているだけで耳の内側が厭な音を立てた。
 なァ、おまえは夏休み終わっちゃって悲しくねえの。甘えてくれない背中にはりつきながら、俺は毎日のように訊く。そんなこと言ったって、終わったものはもう仕方が無いだろう、とケイトは言って、俺の頭をぱすんとはたく。ケイトが気安くそんな触れ方をする人間は俺だけだ。正直俺はそれだけが嬉しくて、眠い朝を踏ん張って登校しているようなものなのに。
 手紙を渡してきた女子を思い出す。束ねた細い髪の毛と、神経質そうな目許に薄いくちびる。ケイトは絶対に返事を書かない。でも、それはあくまでも『前例』であって、この手紙に返事を書かないと云う保証は、どこにも無いのだ。この手紙には書かなくとも、次の手紙には書くかも知れない。ケイトの性格からして、直接言うのかも──。俺はどこかが悲しくて、そんなものはやく読み終えれば良い、それでいつもみたいに、興味無さそうにポケットに突っ込んじまえよ、と、そればかりを思っていた。そういう自分を、とても間抜けだと思った。
 ケイトがすっと便箋をふたつ折りにした。俺は咄嗟に、手を伸ばしそれを奪い取ってしまった。なぜそんなことしたのか、自分でも解らない。けれども、極薄い便箋は、ぴり、とかすかな音を立て、俺の手の中で確かに裂けていた。驚愕する程軽い手ごたえと共に。

「え、アラタ!?」

 どうした、と強い非難がましい声が聞こえる。きっと、信じられない、とでも云わんばかりの顔をしているだろう。途端に後悔で胸が痛んだけれど、俺はやめなかった。ふたつに裂いたそれを重ねて裂き、また重ねて裂いた。水色のインクでつづられた右下がりの字が、一瞬目に飛び込んできた。便箋いっぱいに、細かで筆圧の低い、几帳面な字、が。

 直接渡す勇気も無い。
 だけど。

 俺は名前も知らないその女子に、ごめんなさい、と思いながら、8等分された手紙を、今度は端っこのほうから、細かく、少しずつ、ちぎっていった。ちぎる端から手紙はひらひらひらひら風にさらわれていく。コンクリートの上を滑って、くるくる踊るように回って空へ。屋上に居る俺とケイトを遺して。

「弔い」
「え?」

 いきなり自分の口から出てきた言葉は、今の気分に凄く合っている気がした。

「弔いだよ。ケイト」

 俺はしつこいくらいの熱心さで、細かく、細かくちぎった。ケイトはもう何も言わずに、呆然と、俺と、散り散りになっていく手紙を見ていた。
 飛んで行けよ、飛ん行けよ、逃がしてやるから。

『周囲は醜い。自己も醜い。
 そしてそれを目のあたりに見て、
 生きるのは苦しい』──誰の言葉だったかな。もう忘れてしまった。

 ただ、高い空に吸い込まれてゆく白い紙きれ、次の夏が来る頃には、南の島あたりの雲になっているといい。
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