2月14日。ローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌスさんもあの世で憤慨或いは泣いていることだろう菓子メーカーの陰謀渦巻くこの日。陰謀であるのだと理解していても翻弄されてしまうのが現代人だ。理性が幾ら『陰謀と知りつつ乗っかってどうすんだ! 男ならいっそ企業戦略の逆を行け!』と叫んだところで、悲しいかな本能は、そんなもの歯牙にもかけない。それでも、幾らたくさん貰えても本命から貰えないなら意味が無い、などと涼しい顔でぬかすのが天然モノのモテ男だったりするのだ。
 紙袋いっぱいに溢れんばかりのチョコをこれみよがしに引っ提げて、それらはケイトが歩く度にガサガサと耳障りな音を立てる。しかし本人は少し困ったように、全部義理だよ、と言いながら斜めに振り返る、その角度がモデルのようでタレントのようで、俺はつい、そのうちの何個がほんとうは本命なんだろうな、と意地の悪い言い方をした。
 子供の頃よく遊んだ寂れた公園。時間的に今はもう誰も居ない。

「そういうこと言うなよ。気付かないでおく優しさってのもあるだろう」
「へえ?」

 相変わらず困ったふうに、でも、にっこり笑ったケイトに、にっこり笑って返したら、いきなり腹に1発こぶしが決まった。痛い。何だよおまえも同じくせに。それでもケイトは物凄く綺麗に笑顔だった。食らったこぶしなんかより俺はそっちのほうが随分と痛かった。
 こんなときがくるなんて俺は考えもしなかった。どうしておまえと純粋なだけの友達になれなかったのか、とさえ思う。徹夜でゲームしたりとか、部屋で退屈を持て余したりとか、めちゃくちゃなケンカとかもして、仲直りにジュースでも奢らせたりとか、誰のかもうわからないAV回したりとか、合コン行ったりとか、チョコレートの数で揉めたりとか、そういうのが出来るのであれば余程楽しかったのでは無いかと思う。今更、想像もつかないけれど。──それから偶に、本気で偶にだが、ケイトと俺のどちらかが女だったら、もしかして付き合ったりもしたのかなァとか考えたりも、した。今までにも幾度も。手を繋いだりキスをしたりベットの上でいちゃついたりそのままセックスしたり。するだろうか。するだろうな。恋人だったなら。些細なことで喧嘩をして口もきかなくなって、けれども、泣きながら電話して仲直りして、そのくせきっともっとどうでも良いようなことで、呆気なく、別れてしまうのだろう。そうして何年かして道端で会ったりしたら、気まずそうに久しぶりって言うんだろうな。
 何でも無い俺たちは何でも有りで、何にも出来ない。しないんじゃあ無い、出来ないのだと最近漸く気が付いた。だって俺はケイトのお気に入りのAVなんて知りたくないし、ケイトの隣で合コンの女たちと王様ゲームなんて絶対出来ない。ましてケイトからチョコを貰う俺が生きている世界のことなど、どうしたって考えられもしないのだ。小百合にケイトのことを話そうとすると嘘ばかりになってしまう。うまく言おうとすればする程、全部が嘘になってしまう。
 立ちはだかる階段の前で、俺は足を止めた。帰りたくない、なんて言うつもりでは無いことくらいきっとケイトは理解っているのだろうが、分かれ道にちゃんと気付いていたことが半分嬉しくて、半分切なかった。ケイトが俺を置いて行く。俺のことを好きなくせに俺を置いて、留学だか何だかで遠くへ行ってしまう。

「じゃんけん」
「え?」
「ほら、最初はグー」

 じゃんけん、ぽん。

 咄嗟の勝負でチョキを出す、おまえって案外ひねくれている。昔からそうだったので、俺が負けることは無い。

「グ、リ、コ」

 ほんとうは昇らなくていい階段を、わざと跳ねるみたいに3段昇った。振り返ると、ケイトは今にも溜息をつきそうな顔で俺を見上げていたけれど、そんなの知ったこっちゃ無い。

「じゃんけん、」
「まだやんの? ちょっと意味わかんねえんだけれど」
「まだ1回じゃん。な、じゃんけんぽん」
「えー……」

 ケイトは構えなしで流れるように手を出すから、見極めるのが難しい。らしい。俺以外は。

「パ、イ、ナ、ツ、プ、ル」

 まるで酔っ払いの自棄に聞こえるかも知れないはしゃいだ声を無理矢理出して、俺はまた6段昇る。遠くなったケイトはまだ呆れていた。

「早く来いよ。俺が昇ってもしょうがねえじゃん」
「もういいよ、アラタ。どうせおまえには勝てないから」

 そんなふうに言いながら昇っては来ないケイトは、実のところ普通の良い奴なのだ。純粋に友達だったなら。仮に恋人だったなら。

「そんなことねえって!」

 距離に合わせて俺はもっと叫ぶ。

「何が」

 つられて叫んだケイトが可愛い。可愛い? 可愛いだって。信じられない。ケイトはいつでも綺麗な生き物で無ければならない。少なくとも俺の前では。だから。

「次はケイトがチョキで勝つよ、絶対!」

 ケイトがチョキを出すまであいこにし続けようと、ちょっと集中した俺のやる気は杞憂に終わり、ケイトはあっさりと俺の言う通りにチョキを出した。

「ケイト、」

 下に向かってパーのままの右手をひらひら振れば、ケイトは口許を少し曲げて俺を見た。

「ほら、来いよ。チ、ヨ、コ、レ、イ、ト」

 俺のかけ声を無視し、すたすたと、それでもきっかり6段ケイトは近付いた。手を伸ばせば届く距離で、今度は何も言わずに右手を出す。無言のタイミングがぴったり合って、じゃんけんが続く。ケイトはまたチョキを出して、俺はまたパーを出した。俺に近付き、並んで、黙って横を抜かしてゆくケイトの足音を心のなかで数える。
 チ、ヨ、コ、レ、イ、ト。
 ケイトはチョキを出し続ける。俺はパーを出し続ける。だが1回1回が俺にとっては真剣勝負だった。
 チ、ヨ、コ、レ、イ、ト、チ、ヨ、コ、レ、イ、ト、チ、ヨ、コ、レ、イ、ト、チ、ヨ、コ、レ、

「あのさ」

 ずっと上のケイトの背中に、普通の声で言った。叫ばなくとも聞こえることを知っていた。俺はケイトが振り向く前に言葉を続ける。

「留学なんかするなよ。どこにも行くなよ。……おまえが居なくなったら、俺は、寂しい」

 ケイトは振り向かない。おそらくは、おまえが背中を向けている間に俺が消えるのだとおまえは思っているんだろうし、そうしたい気持ちは真実だが、どうせ近々会えなくなる人間にその手はあまり意味がないと思うから、

「気付かないでおく優しさはもうやめる」

 俺がそう言うと、途端、ケイトが体ごとこっちを向いた。俺を見下ろすその顔が何を考えているのか、最早今の俺にはわからない。

「おまえだって、そうだろ」

 俺のこと、好きなくせに。

「くたばれ」

 見上げたら

「くたばれ、アラタ」

 とケイトが低く呟いた。崩れ落ちるようにしてしゃがんで顔を隠している。叫ばなくてもちゃんと聞こえた。ケイトは、低く、低く、呟いた。
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