<概略>
リヴァイ片想い中/女々しくもだもだ/夜の訓練として殺し合うふたり/リハビリ掌編/






   

 ねえ、兵長、

「世界が終わるときって、どんな感じなんでしょうねえ……」

 夜の真ん中で振り上げた尖り、バタフライナイフを放り投げながらエレンが言った。知るかクソガキ。俺がそう返事を寄越すまでもなく、そもそも俺からの返答などまったく待ってすらいなかったらしい(かなり腹立たしい)、エレンが自分で投げたナイフを自分の靴の踵でぐりぐりと踏みつけながら明後日の方向を睨んでいる。俺は時々こうしてこいつがサディストなのか、それともマゾヒストなのかをはかりかねるのだ。ここで俺が、こいつの思考をまるごと全部ひっくり返して跳ね返してやれるくらいに言葉を知っていれば、とは思う。例えばハンジとか、エルヴィンだったなら。そうしたら少なくともエレンは今のように明後日の方向なんかを見たりはしないだろうに。ぎゅ、と無意識的に唇を噛む。
 ふと視界に入った直ぐそばの水溜まりに映る月が、エレンの瞳のようだと思った。自分本位で、捕まえることも、踏みにじることも容易いけれど、そうしたところで、もうそれは欲しかった月ではない。ぱしゃん、と1度でも水面を揺らしてしまったら最後、水溜まりの月はぐしゃぐしゃに形を変えて歪んでいく。結局は手に入らないのだ。この手なんぞでは到底。こんなにも直ぐに、近くにあるのに。

「それはそれとして、なんですけど……俺とリヴァイ兵長がこうして出会って今日までお互いがお互いとしてまだ存在することって、言ってみれば天文学的数値よりもすごい確率だと思うんですよね。途中までは計算したんだけど。例えば、あのなかのどれかひとつの星が壊れたところで納得出来てしまうくらい」

 どう見てもてきとうに、夜空に向かって伸ばされたエレンの指ではなく、その横顔をじっと見詰める。あのなかのどれかひとつにすら、人間が生きている間分一生かけて必死に走ったところで届かないらしいですけどね、と呟いた顔を、蜂蜜のような琥珀色の瞳を綺麗だと思う。途方もないくらい遠いところにあるという星の輝きと比べても、それは決して劣らない。話が逸れたが、エレンも俺も、いつも相手の首を本気で狙い合っているわけだから、これは遊びじゃあねえだろう。どうやらまだ続いていたらしいエレンの独り言に相槌は打たなかった。嘘みたいに真っ白な喉が時折ゆっくりと上下するのを、目を細めて見詰めると安心する。上手く言えないのだが。ああ良かった、生きている。俺はまだ、今日もまだ──エレンを壊すことなく愛せている。そう思う。まだまだ続く子供の独り言を右から左へと受け流しながら。

「例えば、ですが──」
「……、」

 くるりと唐突にエレンがこちらを振り向いて、否応なく俺の唇を一息に塞いだ。潔癖症のこの俺が、エレンとだけはくちづけられる。俺にとっては毒でしかないどこまでも甘ったるいエレンの唇。ふに、と一瞬だけふれてあっという間に離れていったそれを呆然と見送る。あまりの物足りなさに何のリアクションも出来ない程だった。至近距離で蜂蜜色の瞳が細められる。なめらかなバター色の肌に蜂蜜色の瞳だけが輝いて、まるで死神の子供のようだ。

「…こうしたら誰かの『運命』が変わったり、とか、しそうじゃないですか?」
「…………………」

 なァそれは、誰かの『運命』とやらじゃあなくて、俺とおまえとでは駄目なのか。言いたくとも口が裂けようが言えずに、吹き荒ぶ夜風に乾いた唇をひと舐めする。古城裏に転がるひん曲がった鉛玉と、ぐちゃぐちゃに散らばるナイフ。これだけ壊しても壊しても壊しても、一向に何も変わらない。変わらぬままで、時間だけが淡々と積み重なって過ぎていく。今まではほんの1ミリもそれに対し虚しさを感じたことなんざ、1度もなかったのに。今はこんなにも無性に、苦しいと思う。
 何をどうすれば俺のものになってくれるのか、その答えが今欲しい。どうしたら俺だけのエレン・イェーガーになってくれるのか、その答えが果たしてこれから先にあるのか。いつも朝になれば溶けてしまうんじゃねえかと不安になる。何れだけ手酷く乱暴しても、ベッドに沈めても、朝陽が差し込めばもう隣にはいない。リヴァイ班員が皆、女型の巨人によって命を落としてからは特に、もうずっと夜にしかふたりきりでは会うことを許されていないような気さえする。何をしても、奪っても捕まえても、踏みにじっても、結局は手に入らない。それが嫌で、認めたくなくて、俺はまた銃口をエレンのこめかみに宛てがう。
 ──パァンッ!
 避けないエレンの頬の隣ぎりぎりの壁に突き刺さった鉛玉をそのままに、縋り付くようにしてそこにある細い首に頬を擦り付けた。足の下で水溜まりの月が無惨に、めちゃくちゃに揺れているのが解る。月も星もエレンも同じだ。綺麗で、直ぐそばにあるのだと錯覚させるくせに決してふれさせてはくれない。悪趣味の塊。一生分かけて走っても届かないというのなら、俺はいったいどうすれば良いのか解らない。
 それならばもういっそ──世界なんて終わってしまえば良いとさえ思う。いつかこの綺麗な生き物が、俺から離れていってしまうくらいなら。その日が来る前に。俺にはそれを笑って見送ってやれるようなやさしい心は携えられないし、大きな器も欲しくないし、耐えられない。いっそ、壊すかも知れない。だったらもう、なくなってしまえばいいだろう。出会ったことが、今日までのその確率が途方もない数字だというのなら──これが、俺の抱えたこの気持ちを、これから先エレンも同じように持ってくれるその確率は数字にすればいったいどのくらいなのか、計算して欲しい。それがゼロでもマイナスでも、俺はきっと受け入れられる気がする。『運命』とかそんなちっぽけな言葉は要らないから、ただ頬の隣で脈打つ確かな鼓動が欲しかった。
 こんなふうには夜の間しか会えないと解っても、言葉が喉で突っかえて何も言えぬままになる。朝も月も星も要らないから、このまま縋り付いていられるだけの──長く明けない夜が欲しい。

「…………よしよし」

 肩の力を抜くようにして俺の腕のなかにすっぽりとおさまると、エレンが哀れむように俺の髪をやわらかく撫でる。おい、ガキが俺をガキ扱いするな。やめろ。何も知らないくせに──ほんとうは解っているくせに。いっそもうこのままみっともなく泣いてやろうかとも思う。擦れ違いですらない。ありふれたハッピーエンドも、ない。それでも不幸だとは思わない。きっと俺は、一生分の運を使い果たしてエレンと出会ったに違いないから。だから後悔もない。この先もどうか、好きにはなってくれなくても想うことだけは赦して欲しい。俺だけに赦して欲しい、俺以外には赦さないで欲しい──想うことだけは。そんなのきれいごとだ。なァおい、どうしたらいい? どうすれば俺を見てくれるのだろう。どうしたら、どうすればエレンは俺を見る。

 白い首筋の下で正しく脈打つ鼓動にキスを落としてやればそれだけで、こんなにも俺だけのものになった気がするのに。
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