<概略>
リハビリ/鬱屈/
小説と云うよりただのポエムになっちまった感大。





  

 ねえ、エレン。きみといっしょに居ると、僕はどうやらずっとひとりぼっちになってしまうようだ。生命はふたつ以上でも排他せずそれなりに寄り添って生きていけることを知ってしまったから。だから思う。壁の向こうで誰かが絶望を唱えても、それが耳にとって美の讃歌に等しいと謂うこと。嘆きは沈黙より潔く望みを絶つことが無い。育ちの良さそうな顔。勇敢さの感じられるきりりとした眉、二重のはっきりした瞼、そのなかには白と蜂蜜色の眼球がきれいにおさまっていて、それを縁取るまつげ、筋の通った鼻梁、薄くかたちの良い唇。ひとつひとつ確認するように、または点検するように指でなぞっては唇を落とす。すべてがきれいな僕の宝もの。

「え、ちょ、待てよ、どうしたんだ突然」
「うん? 何かね、そういう気分なんだ」

 僕にしては珍しい行動にあからさまに動揺しているエレンがかわいい。しかし別に僕は、僕と云うものを掻き回して貰いたいような気分なのでは無くて、まァこの高揚感はそういった類いのものと同じなのだけれども、加虐を欲するので無く、寧ろ正直に云えば僕がエレンに加虐を与えたいような、そんな気分になってしまっていた。先程の点検作業は、生け捕りにした動物の生命を頂く前に造形を撫で隅々までその美しさを視覚と触覚で楽しむことに似ている。自らの手で破壊し体内に取り込むほんの少し前の、張り詰めた美。何て甘美な時間だろうか。だから僕は極力黙っていたかった。代わりにスピーカーが世界のどこそこから拾ってきた雨や波や草と草の擦れ合う音なんかをとめどなく流し続けている気がして、でも多分それは気のせいだろう。
 唇を首筋へと下降させながら、血管の浮いた薄い皮膚に歯を突き立て喰い破る、そんな光景を想像してみる。くだらない妄想だと理解っていながら、ぷつり、と音を立てて食い込んでいく歯の感触や、エレンの白い肌と吹き出す血のコントラストが、頭のなかに纏わり付いて離れない。
 僕のなかに誰かが居る。誰か。凶暴な誰かが。
 適度に──には程遠いが貧相過ぎる僕よりは筋肉のついた肩口を軽く噛む。なめらかな皮膜のうちに、僕にしか見せない脆弱や悲哀や官能やその他諸々な愛憎を、きっとエレンだって隠し持っているのだと思うと、恍惚に背が震えた。善良で勤勉なこのきれいなものにこんな凶器を与えたのは、間違いなく僕自身だ。その事実が、僕を突き落としたり、頬を優しく撫でたりする。見慣れない自分の背骨の形に伸びたシルエット。に、永遠は宿るのだ。
 僕のためにどうすれば良いか判らない、と顔中に書いてあるようなところから、徐々に熱に浮かされたみたいになっていく表情のエレンが、ついに僕の躰をきつく抱き締める。するといきなり襟足をぐっとつよい力で引かれ、無理矢理上を向かされた。今度は僕が頸部を露わにすることになる。酸素を取り込もうと無様にひくつくそこを舌でゆうるりと愛撫され、濡れた瞳が尚もねぶるように躰の上を這っていき、僕はもう堪らなくなってしまった。ファンファーレはどんな姿で愛する人を呼ぶんだろう。時間さえ経てば。時間さえ経てば問いへの答えは遅れても必ずやってくる。やわやわと、エレンの前歯が感触を楽しむように僕の突き出た甲状軟骨のあたりを食む。僕は肉食獣の爪にかかった獲物よろしく、エレンの歯牙の前に喉元をさらしているのだ。

「好きだよ、エレン」

 行為とは裏腹に、とろけるような優しい声でもって囁いていた。うっそりと笑う気配、鎖骨にかかる吐息に、あろうことか僕らは快感を得ていた。もはや完全に力の入らない躰は、エレンを知覚するためだけに存在していた。

「俺を、食べてしまいたいくらいに?」
「そう。きみを、食べてしまいたいくらいに」

 僕は何も期待しない目で、昏い空が隠したかろやかな星が何かの拍子でもう1度、奇跡みたいにして当然みたいにして、昇ってくるところを見つけてやりさえすれば良いのだ。それは血の繋がりを持たない、唯一の、人間になっていたかも知れなかった、しこりの、単なる残留。成れの果て。思い出した。つもりだった。きみはどんな顔をしていたっけ。どんな声で話し掛けてきたのだっけ。どんな手でどこに何をするのだっけ。僕は躰のどの部分で彼を覚えていたのだっけ。こちらが悶々とし始めるとしこりは明らかに震えるのだった。舌の根の上で消えていく味のように正体の無いものが、狭い世界を嗤われてこちらへ来たのかも知れなかった。僕は切除されたく無く、けれどエレンはしたくなくても切除をするだろう。命じられた言葉だけ実行する機械みたいに。従順という言葉さえ感じさせない。無感情という言葉さえ感じさせない、冷たいという温度さえ、静かな、という気配さえ、気配というものの存在さえ感じさせないただのエレン・イェーガーとして、僕が死ねばその名残である肉塊を切除するだろう。その説明のつかなさは文字に似ている。好きだ、と脳内で繰り返し流れ続ける永遠のこの3文字が無ければ、僕自身さえ、この世界のどこを探しても見当たりっこないに違いない。だからって幻なんかじゃあ無い(と、思っていたい)のだけれど。うまく言えない。何かをうまく言えたことなど僕にはただの1度だって無いんだな。僕は、今やっと、瞬間的に、することを思い出したみたいに瞬きをしてみる。長いこと忘れていた、と云わんばかりにばっちりと。
 そうか──僕が自分の肉体に執着をしないのは、体内にきみと云う獣を飼っているからか。それは答えでは無いだろう。いくつか有る可能性のひとつに過ぎない。壊死するのは僕であったほうがいいかも知れない。きみにならば、浸食されていくのも悪くないかも知れない。

「狂えるよ。僕はね」

 望んだものに。あの日々に置き去りにされひとりしくしくと子供のように泣きながら大人になった僕は新たな異物の芽生えを喉仏の下に体感しながら、その時に金魚鉢の向こうで青空が陰って、ほら僕ときみの待ちに待ったあの夕立ち。限りあるものを平等に分けようとして僕たちはしばしば失敗をした。それなのに燃えない本がいつまでも生臭い理想を掲げるから成長しないったら無かった。こんな時間、壊したって何になるの。こんな命、守ったくらいで何になるの。伸び切った前髪が風に吹かれて瞳の色が見えないまま、僕たちは通じているかも判らない言葉を飽かずに投げ合った。迷いたくなくて握り締めた手が、いつか鬱陶しいものになる日まで。僕は、僕だけは、大切な人をちゃんと最後まで食べてあげたい。この部屋の名前を忘れさせ、僕の思考をこの手記の1行目へと戻してしまう夕立ちが幕を引いてしまうよ。あァもう、またやり直しかな。僕らはどちらもまだ狂えず、ヒトはさみしい。空は橙をひけらかす。乾いた涙の行方は頬も知らない。

「そんなこと言うなよ」

 なんて苦笑するきみに、きみに生きていて欲しくない。黒い烏が目線の先を旋回する。繰り返しに怯えない魂は逸脱するたびに蘇生させられる。命の貴重性は何の理由にもならない。冷めた双眸に映した世界で、きみの叫ぶ理由なんか殆ど無いんだ。夢にまで見た碧い海に浮かぶ。裏側から月に照らされた雲が金銀を散りばめた星雲のように発光して仰向けに浮遊している。

「おまえの考えは酷だよ」

 ねえ、エレン。少し困ったように良くない笑みを零している、きみの顔も、いつだって既にもう、幻なのかも知れない。
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