<概略>
四肢切断/達磨エレン/サンプリング/マッドサイエンティストハンジさん/
グロでは無いです。
ハン→エレと見せ掛けたハン←エレ。に見せ掛けたハン↑↓エレ。ラブい。






   

 瞼を開けていても閉じていても眩しい。碧白く輝く液体のなかで、俺は不遇を感じてはいなかった。こぽこぽ。こぽこぽ。呼吸する度に水の音が響いて、反響し易いこの室内は、湯気がかかったように視界を煙らせる。僅かに、水の香りがする気がするのだけれど、クン、と鼻を掠めるのが果たして水の香りなのか、無臭なのか、薬品の香りなのか、それとも。あの人の香りなのか、定かでは無い。それでも良いや。と思う。思っている。良いや別に。俺は鮮明ではない視界を巡らせながら思案した。カツン、カツン、足音。たったそれだけの特徴で、それが誰のものか判ってしまう。しまうようになっていた。

「やァ、エレン。ご機嫌如何かな」

 声だけでは性別且つ年齢も不詳な──けれど紛れもなく大人の女性のものだ──声が、直接脳内に響いた。なので俺は気怠いだけの意識に少々鞭を打って首をゆっくりと動かし、音の出た先へと視線を移した。

「加減はどうだい? どこも変わり無いかい?」

 尋ねられ、こくり。頷く。小さく頷いたので傍目には微動だにしていないと思われても仕方がない程だろう。それでもハンジさんは嬉しそうに、にっこりと微笑んだ。ああ、その笑顔が好きだ。と俺は思う。無邪気で残酷で執着心にうらおもてが無くて素直。お互いに胸宇を忖度し合う必要も無い。そしてそれはきっとハンジさんも同様に思っていることだろう。こぽこぽ。こぽぽ。水音が鼓膜を刺激する。これが水音なのか、気泡が弾けた音なのか。判らなくなる程、もう随分長い間、浸かっている気がした。

「熱かったり冷た過ぎたりはしない?」

 いいえ。
 俺は首を横に振る。

「そっかそっか。じゃあ、心地好い?」

 はい。
 今度は頷く。

「あんまり心地好過ぎても困りものなんだよねえ。きみはすぐ寝ちゃうから。エレン、油断したら簡単にうとうとするだろう? 春とか凄かったね。隙あらば眠る! って感じでさァ……起こすの大変なんだよね」

 はァ。と敢えて大袈裟に、ジェスチャー付きで溜息を吐いたハンジさんを見て俺は少しだけ、申し訳ないような気持ちになる。

「でも、知っている? エレン、きみはね、うとうとしているときはけんも取れて、眠っているときには無防備に過ぎるくらい、ほんとう幼い寝顔を晒すんだよ! リヴァイなんか延命カプセルからきみを出して抱き締めそうな勢いでさァ、もう…私は気が気じゃなくって! そこから出したら死んじゃうって云うのにねえ。可愛過ぎるのも困ったもんだね」

 可愛い? 誰が。俺が? たちの悪い冗談だろう。俺の躰は今、信じられないことに頭部と首と鎖骨と肩しか残されていないのだから。徐々に不用品となっていった俺をそれでも畏怖し、即座に処刑して殺すか、はたまた解剖したのちにやっぱり殺すか、と議論されている隙に、ハンジさんはこの碧白の、水色みたいな化合液をつくった。この不思議な液体に浸かっている限り俺は巨人化どころか欠損した躰の再生も出来なくて、ただの生きたサンプルに成る。どうしたらそんなことが可能なのか、説明を受けても頭の悪い俺にはさっぱりなのだけれど、ハンジさんが『特殊な液体』と言うからには『特殊な液体』、それで良いんだろう。たったの幾数年弱なんかできみを失いたくないんだよね。ハンジさんはそう言うけれど、でも、きっとそれも、たちの悪い冗談だと思う。勿体無い、が率直な正解なのだろう。それはこの室内を見れば明白だ。何せ、俺の入っているカプセルの周囲には、ホルマリン漬けのあらゆる生き物だったものたちが、所狭し、棚に整然と並んでいる。だからたぶん、俺もそれらのひとつでしか無いのだと思わざるを得ない。泣くことも遠く、感情はいま誰の手も届かないどこかの空の上で。旅人のように佇んで瞬きを惜しむ。考えることは外国語のように意味不明で気持ち良くさえある。この暗室からは空を見上げることも出来ない。だから騙されるし、それで良いとも思える。空は。空は。水じゃあ無く空が色を再現する。陶磁でなく世界が黄金を比率する。幸か不幸か俺はそれを目の当たりにしている。眩い水色になら勘違いをして、包まれていられたらこの躰を死なせても悪くないとすら感じる。それくらいに満ちている。命も亡骸もその記憶も、ひとつだって漏らすこと無く。ちっぽけなことだ。哀しくなる程、それなのに真逆、嬉しくもなる程に、平等な小ささだ。

「エレン、きみは立派だよ」

 そんな騙す気など更々無い貴女の嘘に、幼さを放擲して途方に暮れた。いまだってそうだ。貴女が俺に齎したものは絶望だけじゃあ無かった。それだけで充分だと思える程に。

「……ハ、ン、ジ、さ、ん」

 口をゆっくりと丁寧に動かして──名前を呼んだ。名前を呼べば、訝しささえ微塵も無い視線が縋り付いてくる。だから俺は教えてあげるのだ。心配しなくたって俺はもうここにしか居ませんよ、って。

「なあに? どうかしたの、エレン」

 ハンジさんは優しく微笑み、それに応える。こんなにも近くなのに遠くから見ている。それこそ特殊な液体のように──何かに包まれて見ている。それでも光と音が不鮮明ななかで、貴女だけに照準が合っている。だから錯覚を含めた幸せになれる才能ひとつで、俺は貴女の大事な地獄なんかを切り裂くのだ。

「は、や、く、こ、ろ、し、て、く、だ、さ、い」

 はっきりと言葉が伝わるように声に出した。筈だが、音は鳴らなかった。

「それは出来ないよ、ごめんねエレン」

 再び、ハンジさんは優しく微笑んで。硝子越し、俺の頬に手を触れた。ハンジさんの指先に触れたのは無機質で冷たい硝子のカプセルでしか無い筈なのに──それでもハンジさんはまるで俺に直接触れているかのように、うっそりと双眸を細めて笑んだ。俺は何を棄てても世界はうつくしかった。誰に棄てられても世界は。俺じゃ無い誰かの悲しみの果てで。
 そのまま硝子越しにハンジさんは俺に口付ける。それだけで良いや。と思う。また訊きそびれた。俺から斬り放した四肢はいまどこでどうなっているのか、とか。良いや。と思う。思っている。良いや別に。ハンジさんが俺を研究者として──それだけでは無いのかも知れないけれど──愛していてくれるうちは。そんなふうにうっとりとした目で懇願されたら、躊躇なんて出来ないことを知っていて。ハンジさんは狡い。女性の狡さを理解っている。
 俺を知る貴女の居ない世界は、俺のことも貴女のことも知らない世界にとっても。そしてそこに消えて生じるあらゆる情欲に、それでも琥珀のように輝いてやまない。こぽ。こぽ。こぽり。無い筈の指先が──俺の指先が、ハンジさんにふれようとして藻掻いた音が鼓膜に響いた。そうやって解らなくなっていく。望まれる清楚になっていく。居なくなって、いく。やかましいだけの子供はもう疾っくに死んだのだと謂うこと。靜けさがすべてを語っているじゃ無いか。海の青さは覚えていても、俺は既に自分の名前さえ思い出せない。エレン、と呼ばれるから返事をするだけ。だけれど、良いや。別に。ハンジさんがそれを笑顔で適当に続けるので、俺も仕方なく笑ってみせて、仕方なく有りもしない手を繋いでみて。これ以上の幸福は無いと今更こころから思った。




随分前に雑記にてガチマッドサイエンティストなハンジさんとエレンってのも良いよね的に呟いたものに、誰よりも(笑)いち早く(笑)読みたい!と反応してくださったunicoさんへ捧げます。unicoさんが仰ってくれたように、意外と需要有るみたいだった、というのも勿論有りますが、unicoさんの熱情が私を突き動かしてくださったので。
unicoさんありがとうございました☆彡.。遅くなりましたが、楽しんで頂けたならと願います。まだまだこれからも頑張りますよ!
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