<概略>
パロ/思春期エレン/どこまでだって空廻り/
リヴァイさんは現代でも荒稼ぎするよね。






   

(寂しいから傍に居たいんじゃあ無い)
(寒いから手を握るんじゃあ無いんだ)

 じゃあ何だ? と貴方が首を傾げたら、躊躇うこと無く『好きだからです』と答えられるような俺になりたかった。例えば『ずっと貴方だけを好きです』と、そのたったひと言が言えたのなら、俺はもう、消えることすら出来なくなるけれど──それでも。
 生まれてこなけりゃ良かったなんて、そんな滑稽で根暗なことを考えたことは無い。まさか死んでしまいたいだとかそういうことだって。無い。確かに生きていたくないと不意に思う瞬間は度々やって来るけれども、生きることは基本的に好きなほうだと思うし。何より、俺にはまだ死ぬ理由だって無いのだ。と、そこまで考えてから、あれ? だったら俺ってもしかして生きる理由も特に無いんじゃね? 困ったなァ、などと笑っていたら少しへこんだ。
 リヴァイさんの住むマンションには屋内プールが設置されているフロアが有る。そこは広い敷地内で季節外れを思い切りかぶっている場所だった。暗闇のなか、幾つかの電灯がライトアップして水面をきらきらと弾かせるけれど、真夏のそれとは違いどこかどんよりとした何かが彼の躰を包み込んでいる、ように見える。そのせいで、俺はまるで魔物にでも遭ったかのようにひどくおそろしい気持ちで、追い掛けた足を今更後悔していた。思考のなかで、言葉が暴れだす。
 プールサイドで、水に沈む、貴方を見ていた。
 視界に入っているだろう濡れた髪も気にしない様子で、普段の潔癖がまるきり嘘みたいにリヴァイさんは俺のほうを向くと、案の定少し眉を顰める。俺はそれを予期していなかったわけでは無いのに予期していなかったかのような恥ずかしさでいっぱいになってしまった。ひとりで空廻って馬鹿みたいだ。そう思うと何だか無性に悔しくて、俺は手にしていた空の缶コーヒーを持て余してリヴァイさんを見詰める。目が合うとリヴァイさんは、何だよ、と言って、から、濡れた髪をかきあげた。プールにはただリヴァイさんの影だけが浮かび、他には何ひとつ見当たらない。ただただどろんと淀む何かが潜んで、今直ぐにでもリヴァイさんを食い尽くしてしまいそうで俺はひどく怖かった。魚でも人間でも無い、かと言って人魚なんかでも無い、水底を泳ぐ何かが、リヴァイさんに手を伸ばしてそのまま水底へと落としそうでならない。リヴァイさんを困らせる予定だった『好き過ぎて、逢いたかったんです』と云う言葉も、あっさりとその何かに喰われて失くなってしまった。

「俺で、す、か」
「おまえと俺以外に、今ここに、誰が居る」
「あー…ええと、空廻ってます」
「何に」
「リヴァイさんなら理解るでしょ」

 まさか知らないとは言わせません、と俺が小声で続けると、らしくも無く、リヴァイさんは居場所が無いとでも云わんばかりの顔をした。俺はそんなリヴァイさんを眺めながら、もしも俺が生まれていなければ世界は何か違ったのだろうかとそんなことを、頭の隅でぼんやり考える。思春期特有の、くだらない思考だ。

「そういうリヴァイさんこそ、何してるんですか」
「泳いでんだよ。見りゃあ判るだろ馬鹿」
「だって今まだ5月ですよ、泳ぐ季節には早いでしょう。しかもこんな時間に」

 そう言うと、ここは温水プールだ、と返す。え、そうなの、と手を伸ばしてプールのなかに手を入れてみると、ひやりとした液体が纏わりついた。やっぱ水じゃ無いですか。湯だと思えば湯に思える温度だ。何ですかそれ。さァな。一通り会話を交わしたけれど、形になる解答はひとつも手に入らなかった。それはリヴァイさんが俺に、何にも与えてくれる気が無いからだろう。

「それで結局おまえは何しに来たんだ。ガキは疾っくに寝てる時間だろうが」
「え、ええと…」
「言い淀んでんじゃねえよ」
「えっと、だから、その、」

 拭った筈の手が冷たい。濡れているみたいだ。そう思って言葉の途中、ちらりと右手を見てみると、俺の手のひらは汗でじっとりと湿っていた。だから、まるで、魔物にでも遭ったかのように。

「──貴方に逢いに来ただけですよ。リヴァイさん」

 俺がこういう台詞を言うとリヴァイさんは、決まって『黙れクソガキ』と言う。俺はおまえになんざまったく逢いたくねえよ、ヒトの都合も考えずに好き勝手してんじゃねえ。そう言うけれど、リヴァイさんは俺を責めつつきっと自室に上げてくれるのだ。頼んでもいないのにあたたかいコーヒーを煎れてくれる。きちんと砂糖をふたつ入れて。と、云うのは俺の願望だけれど。でも実際、リヴァイさんはそう言うと『ちゃんと両親には許可取ってあるんだろうな?』とだけ言った。一応の確認、のように。何もかも全部、見透かしていたかのように──と云うかきっと何もかも全部、見透かしていたのだろう。第一俺がこんな時間にリヴァイさんに逢いに来る理由なんかいつだってたったひとつだけだ。あまりにも単純でやさしくて浅ましい答え。逢いたかったのだ。それだけだ。それだけだった。頭を撫でられたいとかキスをしたいとか手を繋ぎたいとか顔を見たいとかソファでセックスがしたいとか殴って欲しいとか蹴り飛ばされたいとかそういうのはその次の話で、すべてはそれだけだ。それだけなのだ。逢いたかったのだ。ただ、それだけ。

「気が済んだ」
「何にですか」
「存分に泳げたからな」
「…何でこんな時期に泳ごうと思ったんです? 時間も、遅いなんてもんじゃあ無いですよ?」
「別に。理由なんぞ知らねえ」

 人間の言動すべてに理由を求めても無駄に疲弊するだけだ。と、言って、リヴァイさんは俺の座る椅子に掛けてあったバスローブを羽織りながら嗤う。俺なんかよりずっと歳上の大人であるのにそれこそほんとうに子供みたいなふうに。水に囲まれていたときに見せた、あのおどろおどろしい魔物の顔では無くもっと単純な顔で。俺は、それに安心する。しかし、ああ、もしかしたら俺のように空廻る俺とまったく同じヒトがこの世界のどこかに居たとして、だけどそれは確かに俺とは違う誰かで、その他人をリヴァイさんがいつか見付けだしてしまったら俺はどうすれば良いのだろうか? なんて、辛気臭くて馬鹿げているにも程が有るとは理解ってはいる、けれど。

(俺が生まれていなければ──或いは貴方と出逢っていなければ、何かが違いましたか)

 ひとりで空廻ってばかりでほんとうに俺は馬鹿みたいだ。朝晩の冷え込みはまだまだ終わらないその寒さのせいで、吐き出した溜息が余計に俺の全部を簡単に揺るがす。

「おい」
「もういいです」
「そうじゃねえだろ」
「何がですか」
「寒ィだろう」
「寒いですよ」
「じゃあ、さっさと歩け」

 ほら。と差し出された存外おおきな手と神経質そうな指。
 ふと脳裏に浮かんだ切れ切れのシーン。まるで擦り切れた旧い映画のフィルムみたいに。おそらくこれはラストシーンだ。俺と誰か──何か、とのラストシーン。出来ることなら貴方とが良いし、出来ることなら最後なんて来なければ良い。ピリオドなんて打ちたくない。けれどこんなにかわいくてかわいそうなシーンは、貴方と俺が、たぶん世界で1番似合う。だからこれは、現実を見ていられない、だけど夢のなかで生きることも出来得ない俺と、現実を見過ぎて夢の見方を忘れてしまった貴方の、かわいくてかわいそうな映画なのだろう。映画、なのだろう。映画だったら良かった。

「──エレン、」

 リヴァイさんが俺の名を呼ぶ。とても素敵なことだ。奇跡よりもやわい響きで名前を呼んで、それから俺の頭に手を置いた。まだ濡れたままだったリヴァイさんの手から雫が垂れて、頬を伝って俺の輪郭をなぞるように顔の上を流れた。やさしい手だ。俺は返事をしたつもりで、けれど喉は声を生んではくれなかった。せめて顔を上げる。窓の外はいつの間にか雨が降ってきていた。随分と強い雨だ。窓から下を覗けば雨が地面を埋めていて、光を放つ水溜まりが直ぐに出来上がる。

「リヴァイさん、逃げなきゃ、」
「それは良いが、どこに?」
「どこでも良いから、はやく」
「おい、エレン」
「はやく、…」

 リヴァイさんが俺の手を握った。繋ぐと云うより、紡ぐように。それで俺は漸く振り返る。

「落ち着け。エレン」

 俺は突然理解する。何かを理解して、そして何かを諦めた。俺は水に溺れているようにとても、肺が苦しい。雨はやまない。俺の心のなかいっぱいに泥水が満たしている。それを具現化する雨。言葉だけの無責任な約束をリヴァイさんはしない。どうして俺の、逃げよう、に対して、貴方は、良いが、なんて言ったのだ。それはつまり貴方にも見えていると云うことなのだろうか、俺のなかを巣食うラストシーンが。

「…………リヴァイさん。俺は、貴方に逢いたかった」
「ああ」
「逢いたかったんだ」
「知っている」
「ねえ、だけど、リヴァイさん。俺は現実も見られないのに、夢のなかで生きることも出来ないんです」
「そんなもん、今だけだ」

 ほら、行くぞ。コーヒーくらいなら煎れてやる。ガキには砂糖をふたつ入れて。

 再び差し伸べられたリヴァイさんの手はもうすっかり乾いていた。俺の手のひらに滲んでいた汗も、何かを諦めたように乾いてしまっていた。でもまだ、冷たい。どちらかの手があまりにも冷たかったので、そのせいでふたり共、冷えてしまったのだ。
 生まれてこなけりゃ良かったなんて、思ったことは無い。ふたりの隙間をほんとうは寂しいと思っていたのだ。正しい答えは理解らないままで良い。理解ったら理解ったで、俺はとても困る。なぜなら俺は今まだここに存在するのだし、これから先にどうなろうとも、今、俺は、リヴァイさんとここに存在するのだし、正当など出てしまったら俺は居なくなってしまうことになる。そんなのは、困るのだ。いつかは必ず終わってしまうのだとしても、今だけは、たった少し、今だけは。

(貴方というすべてを俺で満たせている事実)
(俺はそれだけで良いと思える)

 だから差し出されたその手を、俺は寒いから取るんじゃあ無い。ぎゅ、と握り返して。離さない離さない離さない離さない離さない。離したく、無い。
 けれど俺は、きっと、この手をいつか、離してしまう。
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