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<概略>
巨人討伐後未来捏造/海と夢/約束と猫/蟲と化け物/リヴァエレのハッピーエンドを模索したらリヴァエレっぽくなくなった気がするけれどエレリではありませんリヴァエレです/ただいまとおかえりの話(になればいいなあ)






   

 海を。憧れに憧れた壁外の世界にあるらしきあらゆる景色のなかでもエレンは1番初めに、海というものを、見に行きたかった。ずっと昔からそうだった。憎悪と虚無の果てにその雄大だろう果て無き海原を夢見て生きてきた。けれどすべてが終わった今になり漸くにして、思うのだ。夢。だとか。そのような甘美な響きのものを持ち続ける己が自身の、何たる浅ましいことかと。エレンが長年外の世界へ描いた夢は生きる為、自らを奮い立たせてくれたものの1つではあったが。だが今更だからわからなくなる。或いはほんとうはわかっているのかもしれない。どうだろう? 自問しようと答えを導く標べは存在しない。身を投じた闘いの日々のなか、いつしかエレンは識ってしまったのだ。生きることに意味がそんなにも、必要か、否か。いっそ権利と呼んでも良い。有るわけが無いものに都合よく話をうまく擦り替えてでも、無いと生きていけなかったのか、否か。それらは弱さなのか強さであったのかどうかも。

「エレン。もうこれ以上、無駄に時間を失うのはやめるべき」

 世界の残酷さと美しさを散々識り得ながらそれでも何も気付かないふりをして、夕焼けのなかで、朝焼けのそとで、ずっと遊んでいられた故郷を家族を忘れたことなど無い。けれどその、ぬるま湯のような時期は最早疾っくの昔に過ぎ去り喪われていたのだ。ただ1人きり、いま傍に居る、ミカサの声が、重厚な鋼鉄の扉──ドアノブも無ければ鍵も無いそれは扉の形をしたただの壁であり、唯一食事等最低限の必要物資を届けることが可能なまるで猫の通り道に似た長方形の穴だけが地面すれすれに開閉可能に設置されているのみで此処はそう、牢獄以下だ──の向こう側からエレンを諭す。ミカサの言い分をなるべくならばエレンとしても一蹴などしたくは無かった。心から、そうだった。けれども。

 ああ、ごめんなミカサ。それでも俺は、

「嫌だ」

 短く拒絶するエレンに、ミカサは泣きたいような寂しさと遣る瀬無さに襲われる。寂しい。悲しい。エレンはここにいる筈であるのに、どんどん遠ざかっていく。既に奪われていることを思えば殺意さえ抑えきれない、憂鬱さに陥らせる。

「エレン…私は、貴方が大事。だから、貴方を失いたく、無い」
「おまえは心配し過ぎだよ、いつも。俺は別に大丈夫だ。少しも不満なんか無い」
「大丈夫…? 何が? 何が、もう大丈夫なの? エレン。少なくとも今現在、何も大丈夫な要素が無い。こんな現状に何ら不満も感じないのだって」

 長きに渡った巨人との闘いは人類が勝利し幕を閉じた。とりあえずは。しかし人類は人類を信頼出来ぬまま、笑顔の裏腹、ヒトはヒトの胸中を探り、疑い、時として裏切り、謀って、結局のところ争いはいつまでも終結の切っ掛けさえ見せないままだ。ましてやエレンは最後の巨人なのである。幾ら数えきれぬ深い傷を負い幾度死地をさ迷おうとも治癒する躰を酷使し疲弊しきったその少年兵はもう2度と巨人化出来ない程に、負担をその体内に蓄積し尽くしてしまったというに、慎ましやかに生きる民衆からは未だ恐怖の対象で、不服の槍玉にあげられるには格好の存在であり、断じて英雄などでは無い。歴史にその存在の一縷も遺さない功労者として、かろうじて死罪を免れてはいるがたったそれだけで、万が一巨人の力を取り戻した場合への当然の処置と銘打って窓という窓には外側から鉄板が打ち付けられ、扉は上記の通り。更には古城周りには四方、以前巨大樹の森で女型の動きを止めたときに用いられたアンカーと太いワイヤーによる兵器が当たり前のように鎮座している。巨人になれなくなったエレンはもう、地下室生活で拘束されることは無くなり自由に各部屋を歩き回れるが、これでは城内すべてが薄暗い夜に似た地下室に成り代わっただけでシャワー等々の真水は引かれてはいるが普通はこんなもの、自由とは呼ばぬ。控え目に云って、監禁、幽閉、終身刑だ。なのにこんな悪条件に、不満は無いなどと本気で口にするエレンを、ミカサは信じられない。
 昨年の秋のことだった。いざ巨人の姿が消失し調査兵団は漸く本来の目的を遂行するが如く壁外へと旅立った。悠々と。英雄として見送られ。壁内には無いものを探しに、その名のままに壁外を調査するのだ。ミカサは少し迷いながらも結果、やはり頑固にも調査兵団を辞めた。エレンが居ない場所になどミカサには何の価値も無いからである。代わり、故人となって暫し経つハンネスの跡を異例の若さで継ぎ、こうして毎日エレンに必要な物資を届けては同じことばかりを話す。エレンが閉じられた鉄鋼の箱のなかにいることが、ミカサには何より赦し難いのだ。

「エレン。……エレンは寒くないの? 春が過ぎてしまおうと、こんなところに居たら、きっと凍えてしまう。いっしょに逃げよう。そしてどこかに小さな家を建ててそこで私と靜かに、ずっと家族だけで、暮らそう」
「気持ちは嬉しいけど、そんな無責任なこと俺には出来ないし、おまえにもさせたくない。落ち着いて考えてみろ」
「私は至って冷静。その上で最善を落ち着いて考えている。ほんとうなら誕生日に──少なくとも4月中には間に合うように戻るという約束は、何の便りも無く、不義理にも破られた。待ち続けるのは最早不毛」
「ははっ…おまえよく知ってんなァ」
「暢気に感心することじゃ無い。エレン。エレンが望むなら、私は何でもする。私を信頼する人間を裏切ることも、殺すことも、躊躇い無く何だって出来る」
「ミカサ。なァそういうの、もうやめろって。信頼には信頼を返すべきだ。そうやって積み重ねて絆を結びながら生きていくものだろう? 折角とりあえずは平和になったんだろ、態々俺の為なんかにおまえの手を汚そうとするなよ。俺はそんなこと微塵も望んじゃあいねえんだから」

 勝手にそんなことをされたら俺は泣くぞ、と笑みを含めて若干冗談めかし、だがきっと本心からエレンは言う。

「じゃあエレンは、いつまでもその暗闇のなかで、そうやってただ独りぼっちで、いる、つもりなの」
「そこまで殊勝なわけ無いだろ。信じてるんだよ。だって、約束を貰った」
「約束は、果たされるとは限らない。所詮、口約束は口約束。エレンを縛る抗力は無い。予定は未定」
「あー…まァうん、そうだな」
「それに、あいつは、事もあろうにエレンを置いて行った。こんなところに独りにさせている」
「うん、そうだな」

 でも。とエレンは続けた。何だかほんの少しばかり愉快そうな声音で。

「俺は、俺を、信じてるよ」

 そうだ、そうするのだと決めていた。などというのは厭になる程、疑うことに疲れたからだ。リヴァイが約束を果たさなくとも良い。エレンは約束を信じると決めた自分自身を信じているのだ。その上で我儘を云うならば、もしも、次またリヴァイに抱き締められることがあるとして、これは決して妥協ではなく、正しい選択だったのだと、ただの1度きりで良い。あの声で告げて貰えるなら。それだけで良いのだ。そこに自身が居なくとも。無論ミカサの言う通り約束は破られても仕方の無いものであり、あくまで予定は未定でしか無い。何れ程信頼関係を築いてこようとも、疑いだせばきりが無い。どうしようとも心は、言葉にしたその瞬間から朽ちてゆく。何れ死に逝く肉体のように歯車の噛み合わせが時間と共にずれてしまう、精神、の、ように。だからそのときはきっと、エレンは自身の輪郭すら曖昧になるのだろう。だがエレンはそれで構わない。まるで無限にも均しい数えきれぬ程の散っていった命の、しがらみを背負い闘い続けてきたリヴァイがいま幸せなら良い。後悔も後ろめたさもあの背中から剥がれ落ちていくように自由に翔んでくれていれば良い。瞼を閉じて想像する。だからエレンは構わないと断言していられるのだ。この最早化け物としてどころか兵士としてさえろくに使い物にならなくなったガラクタの肉体が、飛散し蒸発し消え失せるその前に、つよく抱き締めることも無く口付けの1つも無く告げられた、何の感慨も乗せられていなかった約束は、逆に真摯な信憑性を与えた。

 ──エレン、俺は必ず海を見付けて戻ってくる。そしておまえを連れて行く。それまで何があろうとも、変わらず笑って待ってろ。勝手にくたばるなよ、死んでやがったらぶち殺すからな。

 海を、海を見に。考えただけで心が痛くて、痛くて、エレンはランプのなか揺らめく蝋燭の頼り無い灯のように至く、消えたくなる。聞こえる筈の無い波の音。潮の香りがするというつよい風を受け頬を叩く髪。塩っ辛くて飲み水には不向きな水。陽の光を弾き目映い砂浜。幼い夢に吐き気がする。なのになぜ、何度でも手を、伸ばそうとしては、生き穢くここでも未だ生きようとしている惨めさ。あんな口約束などせずに嘲笑えば良かったのだ、リヴァイは。彼にはそうしても赦されるだけの権利があった筈だった。ミカサが凍えてしまうと口にしたことはおそらく真実以外の何でも無く、薄暗い石畳にしゃがみ込めば最期、エレンはそれきりになるのかも知れない。

「私は認めない。エレン。明日も来る」
「……うん」

 ミカサには、ミカサにしか出来ない役目がたくさんあった。毎日エレンに物資を届けるなど彼女で無くとも誰にでも出来る。ゆえにエレンはミカサに、もう来るなよ、とでも言ってしまうべきであるのだ。けれどそれが難しい。ミカサを絶望させることは本意では無い。それだって、紛れの無い、エレンの本心であるというのに。なのに。
 海を。見に。
 夢を馳せる権利も無い自身がまだ夢を馳せていて、エレンは己の欲深さに溜息をつく。せめて、理性がまだ、繋がっているうちに。暗闇に居る日々だけを正当化してしまえればと。化け物として兵士として闘っていた、そう遠くない頃に、巨人の、否、誰かの、死骸を踏み付けては不謹慎に安堵した。境目が無く見失うばかりで。途方も無く長い、長い血飛沫と永遠。だがまだ自分は進める、その現実がエレンを支えた。憎まれたかったわけでは無い、恨まれたかったわけでも無い、憐れまれたかったわけでも無い、愚か過ぎるこの肉を、いつでも嘲笑われていたかった。
 例えば誰の前からもこの生命が肉体ごと消失する日があの日であれば良かったと思う。だが巨人の躰と共に蒸発しかけていたエレンを力任せに引っ張り出した、リヴァイは、ひと言だけ言った。まるで独り言のように言ったのだ。エレン、おまえは生きていると。
 だから壁外調査へと旅立つ朝ですら、

『約束を忘れるな。おまえが生きることを、信じよう』

 それだけを。しかしそのひと言を大切に噛み締め、独り言を呟いて、そうして振り返らずに前進したリヴァイからの約束を幾度も幾度も反芻しては、兵長それは約束と云うより命令ですよ、と込み上げる可笑しさを我慢しきれずエレンは声をたて笑って。ならば、ならば俺も死ぬまで一生をかけ、可能な限り貴方のその嘘に付き合います。思いながらいつまでも果たされぬかも知れないその覚悟を捧げた。果たされなくとも構わない。

(貴方が幸せであるのなら──)





 無風さが気持ち悪く、エレンはそっと小さな鉄蓋をあげた。途端、まるで重鉄で出来た何かを無理矢理に起こし上げ、剥がすかのような乱暴な音がした気がして、しかし直後に流れる静寂に気のせいだと遣り過ごす。当然周りには何も無い。最近と云わずここへ閉じ込められてからというものエレンは幻聴をよく聴いた。きっと己自身にもあずかり知らぬところで身勝手に嗤うべく、図々しい希望的観測を含んだ深層心理が働いているのだとエレンは毎夜自分を揺るがそうとするそれを、そう解釈していた。または犇々と僅かずつ、この頭が使い物にならない躰同様靜かに狂っているだけであるのだろう。そんなくだらないものはじっとしていればそのうちに、夜の色に溶けていく。辺りを見渡せば幾分心地好く、掻き乱されし胸懐は靄然として頓に和らいだ。何も無い、ということはそれだけで何も失わずに済むということだ。こんなにも生ぬるい夜だと云うのに、閑かに、けれども見透かされているような鋭利な視線。ふたつの目玉を無感動に光らせている。淡々と光るそれと、闇色のしなやかな、猛獣程におおきくは無くとも迂闊に目を逸らせぬ獣の美しさがあった。兵長に似てるなァなんて、──リヴァイ本人に言えば削がれそうなことをエレンは思った。リヴァイは猫に限らず大抵の生物を好まなかった。いつだったかエレンが庭の掃除中に見付けた仔猫を腕に抱いてペトラたちに囲まれながら可愛がっていたら、その日は近寄ることも赦されず、ろくに口もきいてくれずに機嫌は悪いし大層面倒であった。とても似ているのに。だが曰く猫は自らの前足が地面に付いたまま手を持たない生物であることに不便を感じはしないのだろうと。それはなぜですか? 馬鹿かそんなもん、見れば解るだろうがエレン、猫はソーサーに乗せたカップで紅茶を飲まない。スプーンやフォークやナイフで食事をしない。何より巨人の項を削ぐために、武器を握り締め使いたいと考える類いの生物じゃあねえ。だからきっとそれで事足りている。エレンよ、猫は聡く俊敏で勘が良く、同じ轍を踏まない習性から賢いと謂われるが、実は烏より脳が小せえんだとおまえは識っているか。脳が小さいってことはな、生物として劣るってことだ。だから猫はおそらく烏なんぞよりずっと自由に生きて死ねる。と、教授してくれたリヴァイには悪いがエレンはそんな話は聞きたく無かった。猫がそんなにも自由なら、だったらどこかの哲学者たちが『歩く脳』だとか『考える葦である』だとか、表する人間はどうすれば良いのですか、──俺たちは、いったい、どうすれ、ば。言いかけて、やめた。自由を求めて闘う筈が、そうであるべき筈が、例えば手足がたったの2本ずつしか生えていないことにどうしようも無い不便を感じ、困ったことにこの貪欲さは、3つでも4つでも殺戮の為の手を欲していた。大事なものを零さずに要られるならあともう2本は多く腕が欲しい。少なくともエレンはそういう類いの生物なのだ。だったのだ。進化か退化かそれは知らないけれど兎に角手足を合わせても4本しか無いことに、ずっと歯痒さを抱え生きていた。口にしたときリヴァイは苦虫を噛み潰したような顔をして、それは最早人間じゃねえ、蟲だ。と言った。非常に厭そうだった。成る程そうか、蟲か。エレンは自分をだからこその、化け物なのかも知れないと考えていた。
 兵長、兵長、と何気無く小声で猫を呼んでみれば、にゃあお、ひどく面倒臭そうに返事をする闇色の猫は、やはり面倒臭そうにぞんざいな態度でエレンを見ていた。エレンは鋼鉄の檻のなかからリヴァイに似たその猫へ、ひらひらと手を振ってみせる。不機嫌そうな眼光は、リヴァイが椅子をぎしりと軋ませ溜息を吐き出すさまを彷彿させた。エレンは喉を塞ぐ刺々しい何かを飲み込み、それから大袈裟に肩を竦める。その何かは諦めの欠片であるのにまるく無い。それこそ小さな棘のように、欠けた星屑のように引っ掛かる。長方形の板を閉めれば視界はまた元に戻り、端に置いた薄明かりを灯すランプが、かろうじてエレンの影を映すがそんなものをエレンは半ば躍起になって見ないふりをする。大体、猫だ何だと思い出そうとも、あの話はあれで完結していたのだ。リヴァイは今やここでは無いどこか、自由などこかで幸せを堪能すべきで、今更ここへ戻る理由など無い。

「エレン」

 幻聴とほぼ変わらない声は案の定幻聴で、呼ばれた己の名に吃驚しビクリ、痩せ細ってしまった躰が突如物凄い速度でもって芯まで冷えて。壁に背を預けてずるずると座り込んでしまえば『終い』とばかりに、つんのめるようにして駆けた。せいで、おおきく揺れたランプの灯火が消え、闇が深くなる。けれど──けれども優しい彼の人は、決してエレンに嘘をつかないのだ。仮に、嘘であって欲しい、と何れだけエレンが願ったところで、無意味なのである。いつしか何がどこだとか、どこに何があったのだとか、知り尽くしたエレンは今や遠い記憶にも均しい食堂のドアを開け訝しげに室内を確認し、心臓のある位置を無意識に撫でた。無論人影など見えやしない。広がるは暗闇ばかり。なのに不安に襲われずに済んでいるのはおそらく、リヴァイに似た黒い野良猫を『兵長』と呼んでみたからだろう。エレンにとっても彼は幼き頃から今も憧れ変わらぬ英雄だった。リヴァイが決まって常に座っていた席を手探りに、腰を掛け、て、から。エレンは再度、リヴァイ本人の嫌そうな表情を想像し、そっと微かな笑みを唇から零す。

「へいちょう、も、そういう類いの生き物なんじゃあ無いんですか」

 呟きすらも逃さない、逃してなどくれない。

「そんな不気味なことは、考えたこともねえ。おまえは3度や4度、疾っくに超えて、2本や4本じゃきかねえ程の手足を巨人にもがれちゃあその都度、四肢も顔面すら再生し過ぎて、だから手だか腕だかいっそ幾らでも、馬鹿みてえに欲しいと思うのか?」

 気色悪ィ。眉を顰めて咎められた。それじゃあ本物の化け物になっちまうじゃねえかよ、と付け足された優しい言葉が奥へ奥へと器用に潜り込む既に化け物であったエレンの耳の、その表面を甘く丁寧に舐めては乾いた吐息と共に吹き込んでくる。冷たく無い隙間風が如く、すゥ、と、そしてそれは浸透していく。エレンを甘やかすときの声であった。リヴァイは三白眼の双眸を細め、にこりともしない。ただ続けた。

「エレン、」
「……あ、の、兵…長、おれ、俺は」
「、わかるか」

 リヴァイがぶつけた言葉がひどく柔く、エレンは困り果てそれでもゆるり、首を横に振るしか出来ずに。動揺したエレンを見詰めるリヴァイの唇がかすか、笑うように口角を上げるのを見止めて更に困っていたら、そんなエレンの細い肩にリヴァイは呆気なく触れ、て、少しの悪意無しにぽんぽんと軽く2回程叩いてからするり、気紛れな猫のように腕を払う。わかるか、という先程の所作だった。或いはもう自分には何を言おうが無駄だとも、若しくはもうおまえには何を言おうが無駄だとも、リヴァイは珍しく笑ったのかも知れなかった。あくまでエレンはそのようにしか理解し得なかった。

「気温が上がれば余計にどこからか、嫌になる程に蟲が湧く。清潔に保っていようと奴らはしつこい。年中無休に不衛生な地下街と死体に群がる蛆や羽蟲は当然だったが、空気が温暖になる季節や雨の日の翌日は特に、森だの草原だの、おまえの傍でさえ腹立たしいくれえ、煩くて穢くて気持ちが悪い」
「生物嫌いなのか潔癖症なのか…どちらにせよ神経質な方は大変ですね」
「ほう、上官に憐憫的な意見を述べるとはイイ度胸だ。エレン。俺からすりゃあ寧ろおまえは鈍過ぎる」
「ええと…まァ俺が鈍感なのは確かですが……。まさか俺が兵長に憐憫的意見なんて述べるわけ無いでしょう」
「成る程。つまり俺の被害妄想だと?」
「ちょ、どうしてそういう卑屈なことばっか言うんですか」
「てめえの困り顔が面白いからだろ」
「ひでえ…」
「冗談だ」
「兵長の冗談は心臓に悪いです」

 このあたりが引き際だった。どこからどうなりそんな会話になったのかは唐突に過ぎ不明。だが少なくとも、今の時期もう既に外は命を振り絞り精一杯の鳴き声で、へばり付くままに蟲という生物も世界を揺らしているのだろう。今や存在さえ希薄になったエレンなどより余程、ずっと。そして、そうだ、だから、猫だ。エレンが猫を美しく思う度、リヴァイはあからさまにうんざりしていた。しなやかなフォルムに鋭利で覗うような視線。小さいと侮るなどあまりにも愚かしい、肉食獣。つよい警戒心でもって簡単に懐いたり媚びることも無い。その気高さに眩暈のする程追い掛けたい衝動に駆られる。自ら理性を放棄したいと、そんなことを考えてしまいおぞましくすらあった。しかしそんな愚かさを口にすれば、最後の最後で諦めを叩き出す1歩手前のそれでリヴァイは核心をついてエレンを打ちのめす。伝えるために人類は言葉を得たのだ。視線や身振りだけでは伝えきれぬものを伝え合うために。理解するために。なのにその筈の言葉があるからこそ伝えきれない。必死になって言葉を重ねれば重ねただけ真実は遠く彼方へと飛散してしまう。きっと最早それは戻らない。どうしようと肝心なところで伝わらないという諦めと、もう何を言おうと届かないという諦めと、実のところ俺は諦めていたいです兵長、というふうなそれこそ根本的な諦めと、エレンはそれらすべてをいつからか愈愈腹を括っており己のなかから、てきとうで、嘘では無いが本音でも無い、言葉を投げ出すまさしくそのときに、それはあまりに容易く見透かされネイビーブルーの三白眼は細められる。エレンが伝えたいことはリヴァイによって与えられる。そうしていつでも不機嫌そうな無表情でエレンの幼稚さを揺さぶった。

「クソみてえな小蟲共なんぞ1匹残らずくたばっちまえばいい」
「巨人を1匹残らず駆逐するより更にもっと大変そうですけど。……兵長になら出来ちゃいそうなあたり、かなり怖いです」

 実際それは巨人よりおぞましい。生物により構築される世界はおぞましいのだ。

「馬鹿野郎。てめえはやはり何にも理解っちゃいねえな、エレン」

 15のガキの頃のままだと。あ、いま少し、ほんの少し兵長は寂しげだったかも知れない、余所事だがエレンは気付いてどこか少なからず嬉しくなって。煩く喚き立てる生物を特に嫌うリヴァイへと、わざと煩く喚き立てる。長々しい言葉など要らない。ただ兵長兵長と無意味に呼び掛け続ければ良い。さすれば1分も経たずうるせえ黙れクソガキと、エレンの狙いにたがわず2本しか無い脚の1本が飛んでくるのだから。

「痛いと生きている感じがしますよねえ」
「しねえよマゾかおまえ。頭以外にもいろいろ足りてねェおまえに教えてやる。生きているものは何もかもすべて──なぜ好きなのか知らねえが、おまえがやたら好きな猫みてえに媚びも懐きもしねえでお高くとまって澄ましていりゃあ良いんだよ。気に入らなけりゃ鋭い武器で引っ掻いて終いだ。気が向いたときだけ『にゃあお』と、ひと鳴きすれば良い。発情期の声はつい叩っ斬って黙らせてやろうかと思っちまう程喧し過ぎて堪らねえが、年中無休で毎晩っつうわけじゃねェ分もしかしたら人間さまより随分ましな生物かもな。無駄口を叩かねえところには好感が持てる。腹が減ってやがるのかもちっともわからねえ。ただ寂しいからだとか哀しいからだとか、そうで無いところは良い。何しろ俺にはわからねえんだからな。だから関係無えと一瞥くれて無視出来る。おまえは猫を好いちゃいるが、それでもおまえも腕に抱こうが猫の気持ちなんざ何にもわかんねえんだろう? なァ、エレンよ」

 やんわりと口端を圧し上げて、堪えきれず怖気付きつつ寄り添った。きっと拙いも精巧も、言葉は海に流れ着く。波際に棄てられている。潮水と砂浜の狭間で枯れては果てず濡れている。

「そりゃ、だって、わかりませんけど。でもそれが無視する理由にはなりません。兵長は俺の気持ちがわからなければ無視しちゃうんですか」
「するか馬鹿。おまえは普通じゃねえだろう。初めておまえの目を見たときから知っている、巨人よりこの世界より、狂ってやがることを。だからおまえは可愛い」
「可愛いと仰るなら俺が仔猫に構うだけで不機嫌にならないでください。何ですか兵長、その矛盾と理不尽は」
「察しろ愚図」
「俺には兵長のほうが随分可愛く見えます。物凄く時々ですが」
「三十路過ぎのおっさんに何言ってんだ、この馬鹿は」

 けれどリヴァイの矛盾した理不尽さに、エレンは思ったのだった。リヴァイの持論によるならば、猫はどうしようとも己が猫であることを理解り得ないし識り得ない。が。そんなことに不便を感じることなど死ぬまで1度として無く何ら思うところも無いのだろう。猫は猫でしか無いからだ。だって猫はカップで紅茶を飲まない。し、スプーンやフォークやナイフで食事をしない。何より巨人の項を削ぐために、武器を握り締め使いたいと考える類いの生物では無い。のだと。だからそれで事足りている。猫の脳は実は烏より小さく、そしておそらくは烏なぞよりずっと自由だ。そうエレンに教えたのはリヴァイなのだ。そんな話は識りたくも無かったのに。果たして涙を誰にも見せぬ、リヴァイはそういった遣り方で、ほんとうは泣いていたのだろうか。到底、誰も、エレンにも理解り得ることの出来ない遣り方で。伝える気など端から更々無い遣り方で。猫より不便さを知る烏のほうが不自由だと、それだけを求める遣り方で。

「だがまァ、そうなれば終いだな。俺とおまえは」
「終い? ……終いですか。それはひどく勝手ですね、兵長」

 言葉どころか息が出来なくなりそうに身勝手だ。それだからエレンはいつまでも子供のままに愚図ついて、結局は自分ばかりが何もかも理解り得ないふりを続けなければならなくなる。別に、何もかも特別に。全部。余すところ無くすべてなんて言わない。けれど知り得たことなら理解りたかった、その努力くらい赦されたかった。未だ。そうだ今この瞬間も。

「たった2本ずつしか無い手足が不便で、俺は。蟲にも化け物にも変化出来ないんです。もう今は。こんなの。こんなんじゃ、足りない。のに」
「は、」

 鼻で嗤う、薄く、低体温な唇が。そうなっちまえばそれこそ終いだ、と言った。リヴァイが幾度として不意に繰り返す『終い』とは具体的にどういう意図を孕んだ意味なのだろうとエレンは頭痛がする程考えて、だが考え過ぎるに越したことは無いと考えた。解を導き出せる何かがもしも、有るとして、若しくはそれそのもの自体がどこかに必ず存在するのであれば、それはひっそりとしかし確実に、初めから既に己のなかに無ければ辻褄が合わない。ただ単純にリヴァイとエレンにどうしようもない相違として阻まれるものであるのならば、それはおそらくも何も言葉にするだけで全部を『終い』だとリヴァイがつよく意思表示をするからだ。何れ程煩く喚き立て子供の癇癪に似た言葉を振り翳そうが、彼の人のほうは『終い』のひと言で暗にもう黙れとでも云わんばかり、寧ろ命じて回避する術を示しそれを標べとしようとするのだから最早どうにも出来ぬでは無いか。エレンにとっては何1つとして『終い』になどならずとも。途切れてしまう何かを──『解』を、リヴァイは具現化したく無いのだ。ならば自分は決してそれを自身から求めはしまい。エレンはだからそれで良かった。幾らリヴァイによって、おまえは何も理解っちゃいねえ、と、15のガキの頃のままだ、と、謗られたとしてもだ。完全なる離別は、調査兵団に所属しながら何を愚かなと誰かに嘲笑されようと、関係無く哀しい。与えられるものへとそれなりの分別はつく程度の耐性は手に入ってしまっていたが与える側になるにはまだ足りていない未熟さばかりで、こうして閉塞的に閉じ込められようが未だ生き延びている、という事実が、殊更煩わしくて仕方が無かった。それでも結果としてリヴァイの選択をエレン自身選んだのだ。こうなればこうだという結果になるに違い無いとわかっていて、相変わらず身勝手にも伸ばされた手を享受して。エレンは責任を負っている。その責任の取り方は煩わしさ無くしては存在しないと知りつつも。

「巨人のいない世界に俺は必要無いんです。なのになぜ貴方はその手で俺を生かす選択をしたんですか、兵長」

 そのたった2本しか無い、仮に失われても化け物のように再生などしないリヴァイの手。けれどこの世界に唯一無二の、逞しくも何より確実に頼られてきた、強靭なる大切なもの。それは穢されてはならない。それは普通の人間で無い生物を救ってはならない。

(本来破られるべき約束を、貴方は守ってはならない──)

 正直に言えたならば何れ程に楽なことか。だがきっとそれは赦されない。知るな、越えるな、選び取るな、けれど理解れと言われながらにきっちりと引かれたリヴァイという人間を象る境界線を、それこそ知り、越えて、選んで理解しないでいるということ。たぶんそれがおそらくのところ彼の言う『終い』の入口なのだろう、と。エレンとてエレンなりに朧気ながらではあっても、本能で確実に感じ取っている。『終い』は死よりも消失よりも救われない完全なる離別だ。それ故エレンは自分が、ほんとうなら選ぶべきである筈の離別のかたちに、それらにはすべてにおいて──たった1つたりともの漏れも無くほんとうにすべて──そうした正しい理由があるというのに、それを理由にするわけにはいかぬ歯痒さが只々もどかしいのだ。
 少なくともあと2本は多く腕が欲しいとエレンは思っていたし、思っている。リヴァイはそれを気味悪がり手足など2本ずつ生えていれば人間は事足りると言ったが、ではやはりそれは、彼もまた誰にも何にも縛られることなぞ必要無く、猫などの生物と大差など無し自由に生きていける筈であった、という証にはならないだろうか。少なくともあと2本は多く腕が欲しいと何かに乞うように願う程の理由をエレンは自ら解っている。ほんとうは。随分以前から。だが自覚し認め許容し望んではならないのだ。なぜならばほんとうは、ほんとうは、闘う為だけに、より多くの殺戮する手を欲しただけで無く。1つめの手で砂浜の渇きかたちを歪つな尖った欠片となっているらしい砂粒を掴み、2つめの手で碧海の水をそうっと掬ってみて、3つめと4つめは一刻も早く振り解き離してしまわねばならぬ筈の、彼の着痩せして小柄に見える躰を抱き締め返して離さずにいたかった。でもどうしようともそれは言えない。言ってはならない。だってその権利をエレンは既に持たないのだ。夢。だとか。そのような甘美な響きのものを持ち続ける己が自身の、何と浅ましいことかと。今更だからわかっている。或いはほんとうは初めから理解していたのだろう? 自分は。何もかもを投げ打って身を投じたつもりでいた闘いの日々はエレンに何も投げ棄てられぬということを厭になる程思い知らせるものだった。闘いのなか、いつしかエレンは識ってしまったのだ。海を。海を、見に。幼い夢に吐き気がする。あんな口約束などせずに嘲笑えば良かったのだ、リヴァイは。彼にはそうしても赦されるだけの権利があった筈だった。同時、巨人化出来なくなり兵士としても存在出来なくなってから久しい最後の巨人にはもう、罪しか残されていないのだと。錆びたガラクタ以下と成り果てたこの愚鈍で無価値な肉体。だがそれでも幾度と知れず少なくともあともう2本は腕が欲しいと不自由さを感じつつ、あれ程に愛を優しさを与えられておいて変われない。絶対的にリヴァイ以外のほうを手放すことは不可能であるのだという選択を、それもほんの1秒にも満たぬ時間で選んでしまうだろう確固たる意志に近い予想を、必然的なまでにエレンは抗えないと己の本能でしっかと解っているからだ。そして可笑しな話だとも思うのだが、けれど、それでいてリヴァイはエレンのこういったところを責めるでも無く怒るでも無くただ無感情に総じて、そのような未来を2人にとっての『終い』であるのだと暗に示していたのだった。2人にとっての『終い』というものに、如何に差違が有り掛け離れ別物で遠くて、深く暗い溝を埋められないとしても。言葉どころか息が出来なくなりそうに身勝手だ。それだからエレンはいつまでも子供のままに愚図ついて、結局は自分ばかりが何もかも理解り得ないふりを続けなければならなくなる。生きているものは何もかもすべて、媚びず懐かず高飛車に澄ましていれば良いと、猫どころか生物を好まぬ視線でリヴァイは言った。気に入らなければ鋭い武器で引っ掻いて終いだ、と。そうして気が向いたときだけ『にゃあお』と、ひと鳴きすれば良いのだと。

「まるでエレンおまえみてえだな」
「そうですか? 俺はいつも、俺なんかより兵長に似ていると思いながら愛でてましたけど」
「クソガキ。まさかずっとそう思ってやがったのか。削ぎ殺すぞ」
「……にゃあお」

 本望だという感情を確り込めて言ってみると存外舌に馴染んだひと鳴きに、エレンは笑った。リヴァイだってそうしてみれば良いのだ。それ程無闇矢鱈に毛嫌いする前に。1度くらい。そんなふうに思いながら、ほんとうに『にゃあお』のひと鳴き如きですべてが済むのか否か、そんな筈があって堪るかと考える、エレンは何でも良いので何かしらの正確さを求めた。正しく言い訳で構わない。懲りずに考え続けてしまうのはリヴァイが如何に今こそ自由で幸せであるだろうかというそれだけで。いっそそれがすべてであった。

「───で。いつまで俺をただの過ぎ去った幻影にしてえんだ? なァ、エレン。俺は既におまえにとっての不必要な過去か」

 聞き間違いでも幻聴でも無い。それをどんなに認めたくなくとも。鋼鉄の窓を引っペがす人間など、エレンはこの世に1人しか知らない。そしておそらく他には存在しない。

「っ……」

 名前すら呼ぶ前におかえりなさいと言うより先に、きつく抱き締める筋肉質な腕が苦しい程エレンを拘束して離さないのだ。気配も悟らせること無く近付いていたリヴァイがついぞ呆れて2本しか無い腕を、エレンへと伸ばし力任せに思い切り引き寄せる。ガタン、倒れる椅子。半端に体勢を崩したエレンは抱き止められたままに、ぎゅう、と瞼を頑なに閉じている。

「おい。どうしてこんなに冷えてやがるんだ。ここはそれ程寒いかエレン。おまえの言っていた海とやらは余程暖かく養生向きだったぞ」

 リヴァイが抱き締めたエレンの躰は凍え震えていた。右頬にぺたりと頬をくっつければ、反射的に赤く染まるエレンの耳朶が、ひどく冷たい。けれどぎりぎりまで寄せられたリヴァイの唇の感触に咄嗟、エレンの唇は最早すべての無駄な動きを止めてしまう。

「遅れて悪かった。幾ら何でも待たせ過ぎたな」
「……っ! ぁ、ッ……!」

 引き攣るエレンの喉からは思うように声すら出ない。耳の奥へ囁かれた言葉は信じられない程の熱量をもってして容赦無く、加減知らずにエレンを追い詰めにかかってくるものだった。聞こえる筈の無い波の音。潮の香りがするというつよい風を受け頬を叩く髪。塩っ辛くて飲み水には不向きな水。陽の光を弾き目映い砂浜。約束は守られてしまった。だって、とエレンは思う。だって、何れ程願ったところで無駄であったのだ。だって、リヴァイは──嘘を、決してつかない。

「海のものだ。ほら、おまえはずっと正しかった」

 リヴァイが取り出した2つの小瓶のうちの片方に詰められていたものは、無責任な幼い子供の夢のように、ひと粒ひと粒が欠けてはそれなのに飲み込めない星屑に似た形をしていた。もう片方は透明な水。おそらくは塩をたっぷりと含んだ海の水なのだろう。

 ああ、もう、どうして!

 エレンは途端、癇癪を起こしたかの如く煩く咽び泣いていた。リヴァイを罵りたいのに言葉がどうしようと出てこない。差し出されたリヴァイの手に存在する海の欠片を、早く受け取るべきだと理解しているのにそう出来ない。

「どうした。要らねえのか? 小せえがこれはおまえがずっと夢見ていた海だろ」

 ああもう! ああもう! どうして貴方は!
 錆びつき使い物にならなくなったガラクタ以下の俺をなぜ、赦すのか!

 ほんとうはその理由さえ、エレンは随分以前から、識っていたのだ。煩く喚き立てる生物を特に嫌うリヴァイへと、わざと煩く喚き立てる為には長々しい言葉など要らない。ただ兵長兵長と無意味に呼び掛け続ければ良い。理解し得ていることなら幾つもある。たった2本しか無いエレンの腕は、夢見ていた海の欠片を大事に受け取るだけで良かったのに、そうする筈であったのに。気付けばエレンは夢の詰まった小瓶を払い除けてしまう程の勢いで、縋るようにリヴァイの背にまわした2本ずつの腕と脚を絡ませ、離せもせずに全身全霊でしがみついていた。少なくともあと2本は無いと足りないと思ってきた筈の腕は今もまだ化け物にも蟲にもなれぬエレンには生え揃っていない。けれどももうそれで良かった。それですべてだった。4本もの腕など無くとも、だから、それだけで事足りている。

「次はいっしょに行くんだろうが。俺が戻るまで生きていろという約束をおまえは守った。エレン。おまえは俺とここから出て、」

 どこへでも好きなところへ行ける、何だって出来る。おまえは自由だ、と。それこそ猫より烏より蟲よりも。そこに意味があろうと無かろうと、リヴァイは、エレンは、ヒトは、2つの腕と2つの脚で征く所詮そういう生物なのだ。これより正しい選択などきっとどこにも存在しない。まるで世界に2人きりになったような耳に痛い静寂を劈きて、暗闇のなか漸くにしてエレンの咆哮が鋼鉄を裂く程におおきく、鋭く響き渡った。共に生きよと共に死すると言葉無き号鐘が、それは今まさに互いの心臓に刻み込まれ、そうして浅ましさも理由も何もかもを体内に許容した愛おしい身1つ、境界線のある別々の生物だから手を伸ばし取り合え、終い、ただここから、否、エレンを抱え込むリヴァイの、リヴァイを抱き返すエレンの、互いのその腕のなかから始まっていく。征く。往く。じきに朝陽が昇るだろう。




かなり遅れてしまいましたが『よもぎ餅』のあすみさんのお誕生日に寄せて。
ど、どうしても贈りたかったんです…!!いつもありがとうと出逢ってくださってありがとうと、そして生まれてきてくださってありがとうと、伝えたくて。なので本文がこんな感じなのでした!
あすみさん、大好きです。これからもどうか宜しく&Happy Birthday_( ´ ω `_)⌒)_
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