コレの続き
(途中からお読みになる方はあまりいらっしゃらないとは思いますが<概略>は前編のほうに記載してあるので未読の方はそちらをご一読の上お願いします)


   

 本部で使用しているものでは無いというのもあり、卓上にあるカレンダーには何の印も記入も無い(だからと言って本部で使用しているものにも、本日付の会議や何やらの予定は記入されていないままである)。ただ日付だけが、どこか無情にも、10月14日、という数字を示している。次の壁外調査まではまだまだあった。勿論、エルヴィンとて、子供の時分は誕生日も毎年わくわくと楽しみで仕方が無かった筈だったが、もう、この年齢になればそうそう喜ばしい日でも何でも無い。特に、調査兵団にて団長の座に登り詰めてからこちら、誕生日如何などまったくもって目出度くは無いし、そもそも誕生日だからと云って何か特別なことがあるわけでも無く、誕生日プレゼントとして巨人が1匹残らず消失してくれる筈も無くて、今日も、昨年の今日と同様に少しサボればすぐに山積みになってしまう膨大な量の仕事に励まねばならない。自ら言っては何だが、潤いが全然微塵も無い。無味乾燥な日々が今日も同じく流れてゆくだけだ。
 と、長時間、書類仕事と睨めっこをしていたせいか疲れた目の奥が地味に痛い。エルヴィンは1度、持っていたペンを置くと、右手の親指と人差し指で、両目の間にある鼻の両サイドを溜息をそっと吐きながらほぐす。万年人員不足であるせいで秘書役にさえヒトを割けない。書類仕事を手伝わせても平気な者に心当たりも無い、否、兵士長であるリヴァイならばとも考えるが彼は実戦派の現場人間であり、そんな彼自身にも書類仕事があるのだ。手伝えとは言えない。けれど、この、今の現状に無理があることも既に理解っていて、それなのに次から次へと誰もが何でも団長たるエルヴィンに仕事をさせる。エルヴィンは柄にも無く苛々していた。誕生日くらい休みを貰えても良い筈だ、と。それこそイイ歳なのだ、我儘は言わない。ずっとなどで無くて良いから今日だけだ。今日だけ、それも丸1日で無くて良い、たったそれだけで良いので何か、この疲労感を癒してくれる何かが起これば日々のオーバーワークも少しは報われるだろうに。などと願うだけ無駄だ。無駄であるのだ。そろそろ休憩に紅茶くらい飲みたいところだが、目の前にある書類の山々のうち、あとはサインをするだけの状態で机上に広げている1枚の右下の空欄を仕上げよう、と再度ペンを手にしたその瞬間。
 どかっ、だんっ! ころんころん!! ――と。
 ノックも無く挨拶も無く何者かが執務室のドアを開け、さっさと閉めた、と思ったら、どういうことか、両の腕を、肘先から手首にかけてリボンで縛られているエレンが勢い余って転がり入れられ、そのままエルヴィンの机の前の床に突っ伏しているでは無いか。何よりエルヴィンの見間違いでさえ無ければ、閉まる寸前のドアの向こうに見えたハンジと目が合い、彼女の全貌は見られなかったながらも確かに、彼女はこちらへと一瞬だけのウィンクを飛ばしていた。たぶん。

「エ、…エレン……? 大丈夫かい、怪我はしていないか?」
「うっうぅう……、ってェ…。いったい何、が、何だって……こんな、こと、を、」

 エルヴィンは思わず、座り続けていたせいで最早自身の躰の一部と化したような椅子から、呆気無く立ち上がり、慌ててエレンの傍らへと添い膝をついた。エレンはその間抜けな体勢でありつつもエルヴィンと目が合うと、咄嗟に敬礼しようとしたが当然ながら腕に食い込むリボンが邪魔で敬礼どころか何ら出来ず、まず自力で起き上がれない。幼子用のおもちゃのように再びころりん、と転がり、恥ずかしげにしている。見上げてすぐそこにある、エルヴィンのブロンドの髪が、爽やかな秋晴れのまま窓から射し込むやわらかな陽に照らされ、きらきらと目映く輝いていた。壁のなかには金髪の人間は多いけれど、きっとこんなふうに覗き込まれずとも、後ろ姿だけで誰だかわかるだろう。彼もまた、エレンの尊敬する大人のひとり、調査兵団を率いる、即ち団長だ。

「あっ、あ…あ、こんな体勢で特効してしまいっ…すみません団長! それと、それから、あと、あっ! こ、こんにちはっ!」
「いや『こんにちは』じゃあ無いだろう」
「ほんとうにすみません! お仕事中に…!」

 団長執務室にノックも無く新兵が比喩では無く転がり込んだ(実際には勝手にドアの開閉をしたのもエレンを転がし入れたのも、エレンでは無い別人たちの仕業なのだが)なんて、こんなに無礼なことはあるまい。エレンは顔を真っ赤に染めながら泣きそうに情けなく眉を下げ、謝罪を繰り返しつつ、またもや立ち上がろうと、して、また――、ころりん、と起き上がりかけては失敗し、ころりん、と起き上がりこぼしのように転がる、という愚行を幾度か続けた。

「いやいやいや、エレン。きみが自分で起きようとする度に、ころんころんと転がる姿も非常に愛らしくて、押し倒してしまいたく――いやいやいや、可能な限りずっと眺めていたい程に惜しいのだが、そのうち怪我をしてしまうかもしれないので良ければ私に起こさせて貰えないだろうか」

 いい加減目が回るだろう、と、エルヴィンは心配半分、耐えきれず笑みを溢してしまうのが半分で、エレンを支える。

「すすすみ、ません。あの、じゃあ、お、お願いします……引き起こしてください……」

 あああああ情けない、穴があれば入りたい、団長たるエルヴィンに更なる迷惑をかけてしまっている、と隠さずその表情豊かな顔に出してしまいながらエレンは、とりあえず机を背に座れるようエルヴィンに身を委ねた。その様子すら可愛くて、エルヴィンはやはり笑ってしまうのだが、あまり声に出して笑ってしまえば真面目なエレンがいたたまれなくなるだろうことを理解している。

「あの、団長……お忙しいところを、すみません…こんな……」

 項垂れるエレンの頭に垂れた犬耳が見える、尻尾もしゅんとしている、何だろうかこの可愛い子犬は……というのは幻覚だエルヴィン・スミス。確りしろ。
 エルヴィンは気を取り直し、いつもの如く、余裕を持って、微笑んだ。

「そんなことは気にしなくて良いんだよ、エレン。私も丁度、そろそろ休憩がてらお茶にしようかと考えていたところだったから」
「あ! お茶なら俺が…っ!」
「その腕では難しいと思うよ?」
「あっ…、うあ、あああああもおおっ!! 度々お手間をおかけして、すみませんが団長!! コレ…お願いです、ほどいてくださいっ!!」
「え? 私がほどいて良いのかい?」

 不可解そうな顔をするエルヴィンに、最早エレンは泣きたかった。そうでしょう、不可解でしょう、意味不明でしょう……俺も不可解さを持て余したまま頗る意味不明なんですよ、と。

「ふむ。エレン、初めから話してごらん。そもそも私に何の用も無く、こんな、執務室なんかに来る理由も無いだろう?」

 優しくエレンを宥めるエルヴィンに、申し訳無さと恥ずかしさとでエレンはほんとうにその双眸を潤ませ始めた。流石、団長ともなる人物は器もおおきく広い度量の持ち主だ。新兵のこれ程の無礼に怒らないだけで無く、心配し労ってさえくれるのだから。

「あっ…、はい。さ、最初は俺、ふつうに、いつも通りに掃除をしていたんです、けど…、そこへ、ええと、オルオさんと、モブリットさんと、ハンジさんと、ペトラさんが、やって来て……」
「珍しい組み合わせだね」
「あ、はい。言われてみるとほんとうにそうですね…じゃあ無い。はい。それで、ペトラさんに言われたように腕を出したら、こんな感じに、リボンを結ばれまして、」
「コレ? 見目には…あたかも可愛らしく結んであるように見えるが、コレはどう考えても捕縛するための無茶な縛り方だね」
「へ…? そ、そうなんですか!?」
「うん。だって肘先から手首に向けてぐるぐるのがちがちに縛ってあるじゃあ無いか。エレン、コレ自力ではほどけないだろう?」
「……はい」
「しかも実は結構、痛いよね?」
「はい……実は。でも我慢出来ない程では無いので」
「それはつまり、我慢しなければならない程痛い、ということだよね」
「ううう…、そうですその通りです。わりとまじで痛いです……」
「だろうねえ…だってこの拘束は、自力でほどこうとすればする程、結び目が固くなり、腕に巻き付いている部分は深く食い込むように縛られている。いやしかし、リボン自体のセンスは良いね。態と光沢を抑えたベビーピンク、と、ほんのり赤い染色だけれど少しのくすみも無く品が良い、サイドのレース細工も緻密で愛らしいし、生地も、シルクでは無いだけで手触りの良さから察するになかなか良い生地を使用しているし――うん、きみの白く瑞々しい、きれいな肌に誂えたかのように映えているよ。エレン。よく似合っている」
「……えぇえ…? 俺にはもう…何が何だかわかりません……」
「そうだろうね。それで? どうして、きみは私のところへ?」
「あ、ええと、モブリットさんに肩車されまして」
「肩車…!? ぷっ…ははは!」
「ちょっ…わら、笑わないでくださいよ団長……っ! 俺すっごく恥ずかしかったし、こ、怖かったんですからっ! 立体起動よりも、15歳で何の装備も無いままにされる肩車のほうがずっと怖いなんて、初めて知りましたよっ!」
「ごめんごめん。そう、モブリットがねえ……? ではおそらく、ハンジとペトラもいっしょだった?」
「はい。凄いですね団長。両サイドに、ハンジさんとペトラさんが着いていてくれまして……あの、万が一にも、俺が落っこちちゃうことの無いように、って」
「ふむ。そうして、きみはここまで連れて来られた、と」
「あ! す、すみませんでした! 団長はお仕事中だったのに、ノックも挨拶も無く…勝手に入っちゃった、り、して……、俺っ……」
「いや、良いよ全然。そんなことは」
「ですが……」
「強制連行とは云え、きみが来てくれたことはとても嬉しいよ。エレン」
「そ、そうなんですか…?」
「勿論だ。それから? 彼女たちから何か言われたのかな?」
「は、はい。確か、ペトラさんが『リボンを団長にほどいて頂いて』と…」
「何と! 何ということだろうか! これが夢では無く現実ならば、ウォール教のような紛い物の神ならず実は隠れているだけで、ほんとうの神は存在するのか!? エレン!!」
「うわわ団長どうなさったんですか、正気に戻ってくださいよ!」
「あっ…いやいや、私としたことが取り乱すところだった。すまない」
「いえもう取り乱していらっしゃいましたが…大丈夫ですか?」

 団長に今最も必要なのは仮眠という名の休息なのでは無いだろうかとエレンは思う。

「大丈夫だ問題無い。恥ずかしながら少し興奮してしまっただけだよ。ああ、とても素敵なプレゼントだ。リヴァイには会わなかったのかい?」
「え、っと…、いいえ、兵長には会いませんでしたよ。朝、今日の業務について説明があったときだけで。……プレゼントって、え、あれ? あの、団長。何かお祝い事があったんですか?」

 だけどそれなら朝のうちに兵長が何か言う筈だし、というエレンの呟きにエルヴィンは苦笑を隠せない。リヴァイがエレンには言わない理由など幾つでも思い付くからである。

「因みにエレン、きみは今日どこの掃除をさせられていたのかな。外?」
「外では…ありません、けれど。ええと、説明下手ですみませんが、塔部分の、1番奥の部屋です。ほら、滅多に誰も使用しなくて資料倉庫みたいになっている古書室の、まだ向こうにある…あの何も無い空き部屋。普段誰も使わないし、使う予定も無いからって、放置し続けているわけにはいかないだろう、と、兵長が。実際ほんとうに何にも無くって、机や椅子も棚ひとつ無かったので、掃除はし易い部屋でしたが」
「そうか。成る程成る程。この部屋から最も遠い部屋だね。うん、だからリヴァイは今日そこを、きみに振り当てたんだろうね。その部屋に居れば絶対に廊下でさえも、私と擦れ違うことすら無いだろうからね。…………姑息な(ボソッ」
「え? すみません、今何て、」
「ああ、何でも無いよ。気にしないでくれ、エレン。しかしそれにしても、ハンジたちも粋なはからいをしてくれたものだ。多忙窮まり癒されたくてどうにかなりそうだった私には、この上無く嬉しいプレゼントだな。エレン。今日はね、私の誕生日なんだよ」
「ええ!? そうだったんですか!??」
「そうだったんだよ」
「お誕生日おめでとうございます、団長! それは早速みんなでお祝いしなくちゃ! 質素なものにはなるでしょうが食堂に集まって……って、…あ! でも、どうしよう俺……知らなくて、何もプレゼントを用意していな…――」
「きみだよ」
「え、」
「だから。エレン。エレン・イェーガー、きみが彼女たちから私への、誕生日プレゼントだそうだ」

 何が? 何がプレゼント? え、俺がプレゼント? 何だそれは、意味がわからない、とばかりに無意味にもきょどりながら辺りを見回すエレンに、エルヴィンはその笑みを深くした。エルヴィンの誕生日が今日だということを知らなくて、何も知らされずにいたエレンは当然プレゼントなど用意しておらず、だからと言って、きみが誕生日プレゼント、などと言われてもよりいっそう意味がわからなくなる一方であり、よもや、ではハッピーバースデーの歌を贈ろうと思う、ような、そういうことが咄嗟に頭に浮かぶ程、出来の良い頭を持ち合わせてはいなかった。エレンは困り果てていた。ペトラにリボンで縛られたことも、モブリットの肩車で運ばれたことも、こうして、団長執務室に放り込まれたことも、ひたすら、わけのわからないことだらけではあったけれど、上機嫌で納得しているらしきエルヴィンは兎も角、エレンはどんどんわけがわからなくなるのみだった。誕生日と聞いて反射的に、おめでとうございますとだけ祝辞を述べはしたが、何も知らず何も持たぬまま、この先をどうするべきなのかわからない。

「何度もすみませんが、団長。ヒントをください。要は、つまり…?」
「エレン。きみの知っている、プレゼントというものをじっくりと思い浮かべてごらん」
「プレゼント……」

 Present=Geschenk=贈りもの。
 ええと…ええと、何だっけ。
 エレンは足りない頭を振り絞る。プレゼントというものは、きれいにラッピングされているもので、それから、それから、大抵は可愛いリボンで飾りつけられていて、その結び目は蝶々結びになっているものが定番で…――。
 え? 俺!?
 そこで漸く、エレンは自身の両腕から手首を縛り、おまけのように蝶々結びを最後にちょこん、と飾られていることに気が付いた。

「お、お、俺が! 俺が団長の誕生日プレゼントですか!!?」
「ははは。ペトラに縛られたときに気付いておくべきだったね」
「えええええ!!?」
「私はきみのその鈍さもまた、愛おしいと思っているけれど」
「俺! な、何をすれば良いんでしょうか!!?」

 人間とは切羽詰まるれば何を言いだすかなどわかったものでは無い。なのでエレンの、チョイスした台詞の選択ミスも、致し方無いとも云えよう。エレン自身は、エルヴィンの仕事方面のちょっとした手伝いとか、休憩時の紅茶を用意するとか、そういったことを提供するという意味で口に出したわけだが、何をすれば良いか、なんて、誰の目にも明らかな、愚の骨頂であり、端的に馬鹿な選択であった。

「うん、これ程嬉しい誕生日は久し振り――いや、子供の頃以来、初めてかもしれないな。では私がこのリボンをほどいて、さてエレンに何をして貰おうか。ああ、そうだ。それとも逆に、私がエレンに何かをする、という手もあるな。何と良い誕生日プレゼントなのだろう。最早よい歳だが歳甲斐も無くやたらめったら浮かれて胸が高鳴ってしまうよ」

 言いながら、本日最高の笑顔と自負する笑みを浮かべエルヴィンはするすると他愛無く、結び方を逐一視認などせずとも解放は容易い、とでもいうように、頗る順調に手慣れた手付きで、エレンを拘束しているリボンをほどき始めた。

「団長…っエルヴィン団長…! 俺でも出来ることなら、喜んでさせて頂きますが…、え? あれ? 団長が、俺に何かをする? うんん? まったく意味がわかりません、どういうことですか……?」
「つまり、きみは私の仕事の手伝いやお茶の用意などしなくても良いということだよ。その代わり、きみにしか出来ないことを私からさせて貰おう」
「…? あの、やはりどういうことなのか意味がわからないのですが…?」

 全身全霊全力で、戸惑うばかりであったエレンのその顔が何らかの危機感を(既に時遅過ぎて手の施しようが無いのだが)キャッチし自然、ただでさえ靜かである執務室内は更に、しいん、と靜まった。それでも尚エレンは何が何だかさっぱり過ぎて、己の脳のキャパシティにおける狭小さに最早ぱちぱちと常時より多くはやい瞬きをしながら、いま交わされた、自分とエルヴィンとの会話をじっくり噛み締め、噛み締め噛み締め噛み締めるだけで、続き噛み締め過ぎて、その今更に及んだこの状況にて、壁外調査など巨人に関すること、仕事の上では凛々しく、頼もしさも兼ね備えているが、食事時や休憩時で逢えば大人の余裕で穏やかに、紳士的に笑むエルヴィンが、今やだらしなく、にやけている様子をも、この期に及んで見逃してしまっていた。

「まァ、まずはコレをほどいてしまおう。エレンも痛いだろう?」
「え、あ、はい! すみません団長、お願いします!」
「ああ、あまり長くこのままだと、折角きれいな陶磁器のようなきみの柔肌に、痣が出来てしまうからね。なるべく痕など残らぬよう、ぎりぎりまで上手く縛ってあるけれど……うん、リヴァイ班所属の女性兵士とは云えどもただの悪戯や対人格闘や、単なるケンカですら、並大抵の男じゃあペトラの足許にも及ばず到底敵わないだろう。しかもこの拘束技術は凄いね。彼女がそれを、どこで学んで、何れ程の練習を重ね、いつ修得したのかは、私も知らないが」

 よくわからないが、どうやらエルヴィンから見てもペトラは凄い兵士であり凄い技術の持ち主らしい。流石リヴァイ班唯一の女性だと、エレンはそれをペトラへの賛辞であると受け止めた。すげえ、ペトラさんすげえ。巨人討伐のみならずきっと何でも出来る、ペトラさんすげえ。
 だが幼い頃に父にされたきりの大の大人による肩車は、怖かった。颯爽な程簡単に担ぎ上げられ、そればかりか階段も廊下も一切ペースを落とさずに寧ろペースを上げてまで走られて、いつ振り落とされようがおかしくなかったのだ。そのようにエレンが辿々しくもほんの少しだけ愚痴ってみせると、エルヴィンのおおきな手のひらが優しく、ごめんね、と云わんばかりにエレンの頭をそっと撫でる。兵士としては頭を撫でられるなど恥ずべきことなのかもしれないが、エレンは歳上の手で撫でられてしまえば、つい、ふにゃりと心地好く顔を緩めてしまう。

「その顔は反則だよ、エレン」
「顔ですか?」
「常々私はリヴァイの自慢に聞き飽きて辟易していたのだが、こう、実際に目の前でそんな表情を浮かべられてしまうと、誰かに自慢したくて仕方の無い気持ちは理解るな」

 エレンの頭を撫でる先輩兵士は男女問わずに存在し、そしてそうした誰もがエレンの反応を自慢するが、やはり最もそれが多いのはエレンの直属上司且つ目附役でもあるリヴァイである。同じ班でありこの古城内に共に暮らしているのだから、どこの誰よりも、リヴァイが1番エレンに近いところに居るということは当然ではあるのだけれども、直ぐにエレンを独り占めする事実は頂けない。狡い。狡すぎる。率直にエルヴィンはそう思う。しかし今日は誕生日なのだ。その誕生日に、リボンをきれいに巻き付けられたエレンがこの部屋へやって来た。ということは、即ち、今日だけはエルヴィンがエレンを独り占めしたところで罰は当たるまい。そのくらいのことは赦して貰いたい。

「エレン」

 エルヴィンは、ほどききったリボンを、それさえ大切そうにとりあえず己の直ぐ傍に置くと、エレンに告げる。

「きみに誕生日を祝って貰うにあたり、お願いがあるのだが聞いて貰えるだろうか?」
「何でしょうか? あまり出来ることが少ないので恐縮ですけれど、先程も言いましたが俺に出来ることなんてろくにありませんが出来ることであるなら、何でもしますよ。だって今日は団長のお誕生日ですから、何だろうと喜んでさせて頂きます」

 普段から常時多忙をきわめているエルヴィンの心労を思えば、多少エレンには難しかったりとなかなか聞いてあげられないような願いだろうとも、今日は聞いてあげられるよういつも以上に努力をしたい、とエレンは唇を引き結ぶ。だって今日は誕生日。1年に1度しか無い、それも、有りとあらゆる苦労をその一身に受けながら、調査兵団を率いる団長の願いなのだ。肩揉みでもパシリでもエルヴィンの馬の世話でも執務室の掃除や片付けでも何でも良い、命じて貰えることなら何でもしよう。
 あ、でも。とそこでふとエレンは思う。なぜなら未熟な新兵では給金も微々たるもの、有って無いようなものである。では技術的な面では、と考えてみても、出来ないようなことはどうにもならないので要相談であるからして。ぶっちゃけ、エレンにはなぜだか巨人化したり治癒力がヒトより高かったり程度の他には突出したところは無く、出来ることよりも出来ぬことのほうがずっと多いのだ。ここはアイデア勝負だろうか、益々無謀だ。等々エレンが無言でその頭を悩ませていると、何とも予想外の『願い』が待っていた。

「目を、」
「はい?」
「目を閉じてくれないか。エレン」
「え。目…ですか? そんなことで良いんですか?」
「ああ。目を瞑り、私を信じて、じっとしていて欲しい」

 そう言いながらエルヴィンは既にエレンとの距離を詰め、ぽん、とそのおおきな手のひらで優しくエレンの両肩をおさえ、顔を近付けてきていた。何という唐突さと、予期せぬ至近距離。団長たるエルヴィンの、本来ならエレンのような新兵が軽々しく傍に寄ることも出来ない程の人物。そんな人の瞳にこんなにも近く、見詰められて、エレンは恥ずかしくなり顔が熱を持ってしまっていることを自覚してしまった。なぜか心臓が早鐘をうつ。エレンの体内であるのにも関わらずエレン自身を完全に無視だ。
 何だコレ、何だコレ、何だコレ。

「えっ…と、あの……この体勢で、俺が目を瞑って、そんなの、そしたら団長は何を、なさるんです…?」

 エレンは未だ未成熟な齢15ではあるが何も知らない幼子では無い。体勢から想像する、その先に、あたって――。余計な心配をしたせいで尚更首から上に熱が集まる。どうしよう、どうしよう、とそればかりが無意識にぐるぐる巡る。緊張し強張る躰は、リボンという拘束をほどいて貰い今はもう無いというに、まったく動けない。逃げ出せもしない。

「はは。エレンきみは、もしかして、私が突然きみにキスでもするのでは無いかなどと、警戒しているのかな。大丈夫だよエレン。そんな不意打ちで不埒な、紳士らしからぬことを、私はしない」
「…そっ、そんな、ことはっ……考えていませんッ!」

 言い当てられてしまったことそれこそが、あたかもまるでエレンが不埒で淫らな疚しい想像をしているかのようで、してしまったかのようで、エレンは蜂蜜色の瞳を恥じ入りながら潤ませた。だがよくよく考えれば当然だ。足癖の悪い潔癖な兵士長が今ここに、仮にこの瞬間に居たならば、騙されるなエレン! はやくエルヴィンから離れろ! とでも命じたかもしれないが、エレンの知るエルヴィンは、エレンなど足許にも及ばぬ程に死線を潜り抜けて来た尊敬すべき人物のひとりであり、しかも調査兵団を率いる実力も頭脳も併せ持った信頼出来る大人で、その上、危うさや不審な言動などまるで無い、洗練された振る舞いは本物の紳士である。それゆえエレンは自身の浅慮を恥じ、エルヴィンに言われるまま素直に目を瞑った。
 しかしエルヴィンはそんなふうに無防備に、いとも簡単に単純に従う、エレンの顔をまじまじと観察するかの如く暫し見詰めながら、巨人に対し憎しみを顕わにするときは容赦無くぎらぎらと輝く反抗期そのものであるような瞳が、ただ瞼を閉じたというだけで、母親似であるのだろうおおきな瞳に比べ全体的に小造りに出来ているバランス良く整ったパーツや、上背は歳相応とも呼べるが実年齢よりあどけないばかりで未だ幼さを残す姿形に見入ってしまい、顔を更に近付けて、やはりこのまま何もしないでリヴァイ班に戻すなんて勿体無い、寧ろ出来得ることなら自身直属の秘書にして毎日顔を見ていたい、と心内でしみじみ呟きつつ、ついぞ耐えかね、気付けば、ちゅ、と、小さな音をたてて口付けていた。

「エレン。すまないとは思うが私は大の嘘つきでもあるんだよ。因みに武器も無く無謀な賭事にも決断すれば迷わず積極的に、うって出る」

 不意打ちで不埒なキスなど紳士らしからぬことはしないとまで言っておいて、結局はエレンの合意を得ることも無く、唇を押しあてた。僅か。子供の唇は、まるでマシュマロのようにふわふわした唇だった。エルヴィンが唇を離すと、何をされたかを理解したエレンは両目を溢さんばかりに開き、即座、赤い花を咲かせたように顔を、頬だけで無く耳から首すべてを色濃く染めて、けれども、な、な、な、な、と平仮名ひと文字を口にするだけでいっぱいいっぱいであるらしかった。無垢な少女でさえこれ程可愛らしい反応をしてはくれないだろう。瞬時思考したエルヴィンは数秒後、1度だけでは無い、1箇所だけでは無い、わざとらしく音が鳴るよう触れるだけのあざといバードキスを雨のように降らせた。どこもかしこもやわらかで甘く、唇に、頬に、額に、鼻の頭に、手の甲に、首筋に、鎖骨に、喉仏に、と。幾度そうしたかわからない程に。口付けながら壊さぬようそっと気を付け抱き寄せ、て、から、ぎゅう、とその華奢で未完成な躰を抱き締めてもみる。

「ふ、ゃ、……だ、んちょうっ!」

 そして耳朶を唇ではみ甘噛みされ、ただの恥ずかしさばかりで無く勝手に出た自らの声にエレンは驚き瞠目し、エルヴィンが触れる度に硬直を過ぎて痺れ、手足からは力が抜けていく。

「ゃ、やめっ……こんなッ、だめっ、です…っ団長……! 何でもするとは言いましたが…っこ、こういうのはっ…! あ、っ…――っんんぅん!!」

 何と可愛く微笑ましく、愛らしい子供であるのだろうか。ついでにエレンには知識も足りない。エルヴィンに説明を求めるため会話しようとするにあたり口をひらいたエレンの歯列は、強引さなど微塵も必要無く、エルヴィンの舌先の侵入を容易く赦した。

「ふ、ぁ、っ…んうっ、ん、ん、あっ……、は、ぁっ、は、っふ…っ」

 エルヴィンの舌は巧みにも蠢きエレンの舌を絡め取りながら、蛞蝓のようにゆっくりと這いまわりもする。歯並びの良い整った歯列の裏側を1本ずつ擽るよう擦り、頬の粘膜を撫でては、上顎や下顎の肉をつつきまわす。時折苦しげにするエレンに酸素を与え、溢れてくる互いの唾液は敢えてわざと濁音をたて、啜るようにエルヴィンは飲み下していく。その都度上下するエルヴィンの喉仏の様子すら、エレンにとっては目の毒となり、羞恥は慣れるどころか増すばかり。

「あふ、…っく、……はぁっ…は、…んんっ、ひ、ぁ、あっ…、あ、」

 口内が蕩けてしまうとしてもおかしくない程に熱い。エレンは目許を滲ませつつ、エルヴィンから与えられる口付けに翻弄される。自分のものであるのに自分のものでは無いような声が呼吸と共に勝手に出て、鼻から抜ける。駄目だ、と頭のどこかでは拒絶している筈であるのに、あたたかく、やわらかで、エレンの口内を牛耳るエルヴィンの舌の動きが艶かしくて少しでも長くこうされていたい、という気分にすらなってしまう。

「ぁう…ぅ、……んっ、あぁ…は、ぁ、…あふ…っう、うぅ……っ」

 目を瞑っていた筈のエレンの双瞳はいつの間にあけられて、潤んで、とろりと蕩けた蜂蜜色はエルヴィンの成すがままに抵抗のひとつとして無く、受け入れ、焦点の合わなくなったその端あたりを丁度食べ頃な薄桃のように色付け染めている。

「ん……、ふ、あ…だ、だん、ちょう……、っ…はふ、あっ……、ゃ、あぁ」

 きっと初めてする深いキスなのだろう、不慣れにもエレンの舌は、エレンの意識ごと彼を絡めてゆくエルヴィンの舌へと伸ばされて、与えられているものを懸命に返そうとしている。その辿々しさがまた、どうしようも無く、いじらしくてエルヴィンを煽り、子供の稚拙であり必死なキスは、テクニックとしては未熟でへたくそではあるけれども、だからこそ愛おしくてならなかった。

「っは、ぁ……っ、…ぷはっ、」
「すまない。エレン私はもう、きみと違い、疾うに大人だからね……ただソフトに啄むだけの、バードキスばかりでは満足出来かねてしまうんだよ。無理をさせてしまったね。こんな『大人のキス』はきみには初めてだったろうに。ごめんね。――軽蔑したかい?」

 突如開始され突如解放されたエレンは、その華奢な肩を上下させながも、力が入らないせいで弱々しく、けれど確かにエルヴィンにわかるよう、何度も首を横に振った。軽蔑などするものか。嫌だなんて嫌悪を抱く理由などあるものか。

「だんちょう、…は、…俺なんかに、こ……こんな、こん、なこと、を、なさって、少しでも……喜ん、で…ください、ました、か…?」

 荒く吐き出す吐息と共にエレンはエルヴィンを見上げ、尋ねた。

「ああ勿論だよ、エレン。私は今どこの誰より幸せを実感している。きみのおかげだ」
「なら、――良かった…です。俺……が、貴方のお役に…立てたの、なら…、団長は、いつも、お忙しい、です……から」
「……エレン」

 何ということであろう! 合意を得ることも無く、大人のキスを、エレンはまったく求めてもいないのに悪い大人の欲望のまま教えられ、それでいて、なぜまだ、これ程までに愛らしくて堪らない天使のような笑顔を向けてくれるのだろうか! エレン・イェーガー=エレンジェル説はほんとうだった! エルヴィンは心の底からうち奮えた。
 子供と云えどエレンは特殊な立場に立たされている兵士だが、寧ろそれらは、いっそ具体的に云ってしまえば、人間でありながら巨人化するだとか、そのせいで治癒力が異常であるだとか、そんなものは何もかも、総じてただの後付けに過ぎない(あらゆる意味で)。ハンジとモブリットと、エルヴィン自身と、エレンの幼馴染みたちを含めた104期生、リヴァイ班の面々は、エレンの本質を知っているのだ。だからどうあろうと可愛がりもするし、彼の素直さを愛するし、彼との信頼を築くため幾らでも奮闘し、偶にはこの時世も蹴り上げ、恋にも落ちる。愛らしい、愛すべき、愛さずにいられない、などという形容詞だけには最早おさまりようも無い、いじらしくも健気なこの純真さに歳甲斐など『何それ?』とでも言いたくなる勢いで、エルヴィンの胸は息が詰まっても仕方の無い程に締め付けられた。正直な話、この古城から持ち帰りたい。テイクアウトしてしまいたい。なのに出来ない。スマイル0円を謳う某ファストフードのチェーン店でもスマイルはテイクアウト不可だそうだ。解せぬ。
 だいたい、エレンの巨人化云々によるリスクやそれも含めた壁外調査での巨人討伐における戦力など、今ここで、エルヴィンの目前に存在するエレン・イェーガーという人格や魂に比べれば取るに足らぬ微々たるものだ。エレンの意志は高く強固である。1匹残らず駆逐したいという巨人共には無論のこと、悪意には、例えそれが仲間や人間相手であろうとも臆さず直ぐにでも噛み付かずにいられないような、まさに獣、狂犬染みた反抗期の化身ではあるが、理由無くそんなふうに生きているわけでは決して無い。ひと度心を赦せば、歳より幼く見える程疑いもせず親犬や兄姉犬を慕う子犬の如く懐く。その後ろ姿は時々心配になる程に無防備で且つ微笑ましくもある。
 合意の上でのディープキス、では無かったが、未知の口内蹂躙にすっかり腰が抜けて、痺れるような感覚を覚えまったく躰に力が入らないらしいエレンを、エルヴィンはゆっくりと抱き上げた。丁度、投げ出したエルヴィンの両腿の上にエレンを乗せるように。そしてその際、エレンの片方のエレ尻と自らの太股の隙間にちゃっかり右の手のひらを滑り込ませることは忘れない。
 これぞエレ尻。うっかりすれば肉欲的な欲望に流され揉んでしまいそうである。エルヴィンは着衣越し、片方だけ、とは云え手のひらの上に乗る『エレンの小さく引き締まって可愛らしいぷり尻』略して『エレ尻』の感触に目眩すら覚え、意図せずごくり、と喉を鳴らしてしまったが、対面状態のエルヴィンの肩へぐったりと頭を乗せ信頼しているからこそであろう兵士にしては筋肉量が少なく軽いその躰を、エルヴィンに委ねきっているエレンには気付かれずに済んだ。まさにこの体勢、この状況、どこをどう切り取ろうともエルヴィンにとって歓喜の声を上げたく歓声やチャペルの幻聴が聴こえてきそうなところだ。至福である。僥倖である。肌寒い秋という季節など一瞬で吹き飛ばすこの世の常春である。楽園はここにあった。

「エレン」
「…は、い、」

 エルヴィンが呼べば、くたりと身を預けながら弱々しくもエレンは返事をした。蜂蜜色を淫靡にも見せているであろうエレンの、貴重な涙目を覗き込むことは出来ずそれはひどく勿体無かったが、エルヴィンのまわす左腕のなかに何ら拒絶せずにおとなしく閉じ込められてくれている姿は庇護欲を掻き立て、同時に、大人の男であるエルヴィンの不埒さをも擽っている。なぜなら密着するふたりの躰の合間、エルヴィンの腹には、勃起したエレンのペニスが固く着衣越しとは云え確りと主張していることが伝わっているからだ。

「大人のキスは、きみのお気に召したかな」
「…っわか、りません。そんな、の……」
「だが、エレンきみのペニスは気持ち悦かったと言っているようだよ? 勃ち上がって、私を求めてくれている。ねえ、エレン。もっと気持ち悦くなりたくは無いかい?」
「……もっと?」
「そう。大人の得る快楽だよ」
「お、とな…の、キス…では無く……?」
「ああ。キスより、もっと」
「あの…不躾な質問ですが……痛いとか、怖い、とか、無いんです、か」
「さて、どうだろう。私は出来得る限りに優しくするよう最大限に努める、と約束しよう。けれどきっと、私もエレンも、とても気持ち悦いだろうね。…今より、ずっと。――エレンきみは、どうしたい?」
「…っんな、態々、訊かないで、くださいよっ……俺は団長のためのプレゼント、なん、でしょう? ……だったら、貴方が決めれば良いこと…だ。た、誕生日、くらいっ…エルヴィン団長の、……お好きな、よう、に」

 答えながら、知らず知らずエレンの指先はエルヴィンの団服の、心臓のあたりを掴み皺をつくっていた。その指先が、色を変える程につよく、しかし小さく小刻みに震えてしまっているのは、浅ましい期待からか、未知への恐怖からか。未だ、整いきれていない呼気を、はァ、はァ、と吐き出しては吸い込みながら、甘やかな痺れを把握出来ていないエレンの霞んだ思考回路は正常とは言い難く、ぼんやりとした蜂蜜色が頼り無く揺れており、エルヴィンは口端だけで笑った。可愛い、と最早幾度めになるのかわからないことを繰り返し思った。

「では、エレンの負担にはならないものにしよう。団服の下衣だけ脱いで、……ああ全部脱げなくとも良いよ。下着の下あたりまでで…座り直せるかい?」
「あ、う、動け、ません…」

 どうやら躰が弛緩し過ぎてそんな単純作業も出来ないことに、エレン自身が1番戸惑っているようだ。エルヴィンはくすりと小さく笑んで、私がしよう、と手伝いにかかる。

「すみ…ません、団長……俺、」

 プレゼントが贈られた相手の足を引っ張ってどうする、と申し訳無さと恥ずかしさに狼狽を隠せないエレンの頭を、おおきな手のひらが撫でる。

「いや? キスだけでこんなふうに腰砕けになってくれたなら、それこそ私からすればとても嬉しいことだよ、エレン。リヴァイとはキスをしていない、ということだろう?」
「へ…? 兵長と、ですか? そんな…したこと無い、です……」
「うん、私はそれが1番嬉しいよ」
「よく…蹴られては、いま、す、が……」
「審議所での必要な演出は終えたというに乱暴な奴だな。可哀想に。私からもよく言っておこう。エレン、きみも、リヴァイの躾などに慣れてはならないよ。次にまた蹴られることがあれば私に言いなさい」
「ええと……、はい」

 直後に、卵などの簡単に割れる壊れ物でも扱うかのような優しすぎる仕種で、エルヴィンはエレンの下衣をずり下げながら、机に背を凭れさせるように座り直させると、だらりと垂れた子供の腕を片方取りまたも手の甲に紳士然と口付けた。それだけでエレンは既に目のやり場に困るのに、ひらいたまま動かせぬエレンの両脚に脚を絡めるようにして、同じく下着を顕わにしたエルヴィンがエレンに触れる。勃起してしまっているエレンのペニスの先端をエルヴィンの指の腹がつつくと、透明で、けれども汗や唾液とはまったく違う、少しばかりの粘りけを持つ体液――先走り汁が、ねちょりねちょりと糸をひいた。

「オナニーはどのくらいの頻度でするんだい、エレン」

 その問いにエレンはただでさえやり場の無い目をついぞ背けたくなる。が、訊かれたことには答えねばなるまい。

「……しゅ、うに、2度、くらいです」
「歳のわりには少ないほうだね。ああ、そうか。そうだね。あんな、地下室なんて劣悪な環境では仕方無いか……すまない、エレン。私の力不足で、きみをいつまでもあんなところでひとりきりにさせていて。私に今より権力があれば、きみを直ぐにでも出してやりたいのだけれど…、」
「そっ…! そんなの! 団長のせいでは、無い、です…! お、俺が……ッ」
「『正体不明の化け物だから仕方が無い』とでも言うつもりかい? エレン。馬鹿なことを口にするものじゃあ無いよ。巨人の能力は確かにまだ解明されていない。しかし何れは必ず解明される筈だ。ハンジだって優秀な研究者でもある。きっと直ぐに解明するよ。寧ろ内地には、巨人化なんかしなくとも、姿形は人間の振りをしているけれど、巨人などより余程化け物染みた、へどろのような奴等が大勢居る。厄介なことに討伐不可のね。そんなものと比べることすら痴がましいが、きみは正しく人間だよ。調査兵団の、リヴァイ班の1員で、私の大切な部下で、愛らしくて堪らない唯一の相手だ」

 団長、と呼び掛けるよりも、ありがとうございます、と礼を述べるよりも、先に、堪えきれなかった涙がひと粒、ぽとりと落ちた。エレンの頬を、エルヴィンは困ったように拭う。

「泣くなとは言わないよ。いつだって、きみは強固な意志の元よく吼える振りをして実際は我慢ばかりしている。見ていて痛ましい程だ。だけどそれでも、きみの笑顔を見ていたいと願ってしまうのは、私の我儘なのだろうね」
「そん、な…ことは……」
「有るだろう。だからというのも可笑しいが、我儘ついでに、私の誕生日の願いを聞いて欲しい。きみに笑顔が似合うことは重々知っているけれど今日だけは違う顔も見せて欲しい、と」

 いやらしく蕩けて、他には何も考えられないような、そういう顔を。

「え……っ、待っ、待ってくだ、さい…!」

 エレンの懇願など知らぬ存ぜぬ、エルヴィンは優しく微笑んでみせると、それ以上は何も言わずにエレンの勃起しているペニスと共に自身のペニスもそのおおきな手のひらで包み、ふたりを擦り合わせるようにしながら手を軽くスライドさせ始めた。エレンに痛みは無い。少しも痛みは無いけれども。

「ちょっ……、や、ぁっ、なに、を…っ、あ、あ、あ、う、そだ、こん、っな……!」

 ヒトの手により行われるオナニーは自分ひとりだけで行うそれとまるきり違う。ましてやこれは、オナニーでは無く、所謂マスカキ合いというものだ。そんな言葉も知らないエレンは、突如訪れたつよい快楽に、悲鳴にも似た声を上げた。

「ひっぅう、…っんん、ゃ、あっ…あっ、こわ、ぁ……こわい、こわいです……っ」

 過ぎる悦楽は未知過ぎて恐ろしい。エレンは幼子のようにいやいやと首を横に振り涙声で抗議するが当然ながら聞き入れられる筈が無い。

「あぁ…っあ、あっ…、ふ、…――んんぅ…っ、あ、おと、おと、が、ぁっ……」
「音? ああ、きみと私の体液が、空気を含みながらいやらしくひとつになっているね」
「ゃ、…そ、んなっ……こと、……んっく、ぅ…、言わな、い、でっ……くださ…ぃ、…ぁあっ!」

 キスでは有り得ない、あまりにも生々しい粘液の音が、最早靜けさなど欠片も無い筈の室内にてそこだけを強調するかのように絶え間無く、ぬちゃ、ぬちゃ、と鳴っている。それはエルヴィンの手のなかで鳴っている。ダイレクトな感覚に、耐えられない、エレンの嬌声がただ甲高く響く。

「うぅ…っあ、ア、……ふ、っ…んんっん、んっ……ぁ、は、あ、……はぁ…っ、…うあっ……、んっく、うぅうっ…」
「気持ち悦くは無いかい? 私は気持ち悦いよ、エレン。きみの声だけでも、煽られてしまう」
「あ、あ、あ、あ、っ……イイ、です…、はっ…ふ、きも、ちいですっ……ゃ、あ、…もっ、わけ、がっ……わ、かんな…ぁあっ、……ンンぅ…っく、」

 翻弄され続けるエレンの触感は過敏な程に研ぎ澄まされていて、エルヴィンが与える愉悦をひとつも漏らさずに感じ取っていく。昂る熱は、こすりあわせられているペニス同士に限らず、一向に容赦をしないエルヴィンの手の動きに限らずに、エレンの頭から爪先まで余すところ無く、とっくに全身を巡っていた。火の点る幼い躰。性行為にも未熟な心身。エルヴィンの思惑通りにびくびくと跳ねるエレンは最早快感を感じ過ぎて感じ過ぎて、それでいてそのどうしようも無い昂りをどこへやれば良いのかわからない。

「ふ、っ…は、ふ、…ゃ、も、くるっ……くる、しいっ…――ひ、ぁああ…っあ、あ、ぁあっ……は、」
「苦しい?」
「あっ、あっ、……は、い…っくるしい、っです……あ、ふっ…」
「感じ過ぎて?」
「あぁっあっぁ、そうっ…あぁあっ……かん、じ、すぎっ…て、っ……からだがっ…、おれの、じゃ、ああっ……、んっんうぅっ……」
「自分の躰では無いようで、怖くて、苦しい?」
「は、っ……はい、…んぁあっ、ああぁ!」
「エレン、それはね、殺し文句と言うんだよ」
「え……っ、あ! ふぁっ…、な、なに…っなにが、……です、かっ…? んんんっぁ、ふ、あ、あっ、あぁっあ…――っ」
「ああ、まったく…参ったな。エレンを悦くして嬌声を聴ければと思っていたが……これじゃあ私のほうが無事では済まない」

 エレンの喘ぎに釣られるように、いつの間にか勃起したエルヴィンのペニスもまた、エレンのそれ同様に粘着質な体液をとろとろと雫している。ふたり分の先走り汁は、ぬちゃ、ぬちゃ、という音を過ぎ、濁音を帯びてきていた。ぐちゅぐちゅ、と、ぐちょぐちょ、と。だがそれは最早仕方の無いことであった。今にも破裂しそうに、未だ吐精に至っていないのが不思議な程に、混じり合い、絡み合い、溶け合おうとしている粘液は、エルヴィンが握っている手のなかにはもう疾うにおさまりきれずに溢れ、床へ滴り落ちてすらいるのだ。小さな水溜まりが出来て、それがほんの少しずつ、僅かに、僅かに、広がっていくように。

「見てごらん、エレン」

 ほら、と、エルヴィンはふたり分のペニスを包み込み握っていた手をエレンの目前に、いっそエレンの顔に付着してしまいそうな程に近く、近付けて手のひらを開いてみせた。それはまさにぐちょぐちょに濡れていて、混じり合った互いの粘液はささやかに泡立ち、雄の匂いをさせていた。途端エレンは瞠目し、即座に俯いて視線を逸らすが、俯いた先には当然ながら血管が浮き出る程勃起しきっているエレンのペニスとエルヴィンのペニスが、淫靡さを漂わせ事実そこに存在する。
 何て、不埒で、淫らな、疚しい光景か。


後編へ続く
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