<概略>
モラトリアム/王子の旅/ジロー誕生日に寄せて/リハビリ掌編/
![](//static.nanos.jp/upload/k/kogata/blog/18/114/202405041846551.gif)
俺の生まれた日は、5月5日だけど、誰が決めたか知らないけども、その日は『子供の日』だそうだ。
だから何だよ。
生まれた俺は何回誕生日がめぐってきても子供ですか。背がいまいち伸びないのもそのせいですか。おい、どうなんだ。
昨日忍足がこんなひどいことを言ったんだ。
「ジローはほんま子供やなァ」
失礼なことをぬかすな。俺だって大人になりたい。
「あー、とー、ベー!!」
その日の朝、俺は跡部んちの庭に立って、2階の跡部の部屋の窓の下から、でっかい声で叫んだ。
そうしたら跡部がものすごいしかめっ面で窓を開けて、怒鳴ろうとしてたのか口を開けて、でも俺の顔を見てひとつ大袈裟な溜め息をついて、バルコニーに出てきた。
「あとべ! 俺、旅に出るからー!」
「あーん? 旅?」
跡部はつるつるしたパジャマのまま、バルコニーの手すりに頬杖をついて俺を見下ろしている。
「そう! 旅!」
「暗くならないうちに帰れよ」
跡部はそう言ってにっこり笑い、部屋に入ってぱちんと窓を閉めた。
えー……ちょっとちょっとそれはないんでないかい? 折角、構図的にも王子と姫みたいなシーンなのに。
王子は旅に出るんだよ? どっか遠いとこに行っちゃうんだよ? 姫は涙に暮れ…なくてもいいけど、心配するとか怒るとか、それじゃあなかったら別れの投げキッスのひとつくらいあってもいいところだ。うん、そうだそうだ。それなのに跡部のあの危機感の足りない笑顔は何だ。それもこれも俺が子供扱いされているからに違いないんだ。
見てろよ。
雑草のにょきにょき生えた川原の道を俺はぱっぱっぱっと走った。たまにシロツメクサが足の裏でくしゃ、と潰れる。
あーすっごい、春だ春だ春だ! でも走っていたらすっごいあっつくなってきたから、もう春よりは夏に向かっている空気だと思った。
ぐんぐん地中からいろんなものが伸びてくる気配。よおし、みんな伸びろ伸びろ! ついでに、俺の背も伸びるといい。どのくらい? ……うーん、ほんとうは樺Gくらいになって跡部を抱っこしてくるくるしてやりたいけど、それは無理かもしんない。その前に跡部がそんなことさせてくれるのかどうか疑わしい。
太陽がぐいぐい回って、頭の上を過ぎた。
さすがに走るのにも飽きた、てゆうか疲れたので、俺は歩いた。もう前なんて見ていない。つまさきの前方1メートル以内の地面だけ見すえて、ひたすら俺は歩いた。いつの間にか雑草は見当たんなくなっていた。スニーカーの下でじょりじょりと砂が鳴る。だからじょーりじょーりと引きずって歩いてみた。土踏まずのあたりからじわっと広がる疲労感を我慢して、うつむいて俺は歩いた。
頭の上の電灯がついた。切れかけているそれはぱぱっぱぱっと点滅した。もう雑草も砂もなかった。俺が歩くと黒い影だけがぬたーっと俺のあとをつけてきた。
俺は顔を上げた。
顔を上げたのは、ものすごくひさしぶりな気がした。
帰ろう。
急に思いついた。
「帰ろう」
声に出して、言ってみた。
帰ろう。帰んなくちゃ。俺、ほんとうはこんなとこ、来たかったわけじゃあなかったんだ。
「まわれ、みぎー!」
俺は走った。どこをどう走ったのかなんてまったく覚えていない。ただまっすぐ、走った。ぱっぱっぱっとは走れなかった。ぜえぜえ言いながら、もたつきながら走った。めちゃくちゃに走った。
気が付いたら、跡部んちのでっかい鉄の門にしがみついていた。転がるように、乗り越えた。明かりの点いた2階の窓の下まで来たけれど、何しろぜえぜえ息が切れているから、うまく声が出ない。
そのとき、奇跡みたいなタイミングで、窓が開いた。あんまりタイミングがよかったから、俺は黙って庭にぺたりとしりもちをついてしまっていた。
バルコニーに出てきた跡部はふわふわしたバスローブを着ていて、夜空を見上げた。俺もつられて見上げた。星がひとつ、ふたつ。
俺は、やっぱり跡部はかっこいいなあとか、どうでもいいようなことを考えて、そしたら急に嬉しくなって、
「あー、とー、べー!!」
と叫んだ。
「はあ? ジロー?」
跡部がびっくり顔で俺を見下ろして、そのあと呆れた顔になった。
「おまえこんな時間までどこほっつき歩いて……」
「跡部! おかえりって言って!」
「………おか、えり…?」
「ただいまー!」
「降りるから、そこで待ってろ」
「はーい!」
手を、つないだ。見上げると星がひとつ、ふたつ。くしゃ、と足の下でシロツメクサが潰れた。
「ジロー、誕生日おめでとう」
「うん、どうもありがとう」
大人になることが、帰りたくても帰らないことなら。それか、帰れないことなら──それなら俺、大人になんかなりたくない。
王子の旅は失敗だったのか、成功だったのか。俺には未だにわからない。