<概略>
関東大会・青学vs氷帝の直後/モラトリアム/ジロ跡というかジロ+跡/学校からの帰り道/
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夏の光は透化した水色だが、代わり、好きな色を変えてしまう。好きな人を変えてしまう。跡部が好きだと言った、俺も──たぶん。夏にはたくさんの色があると知っていた? 俺は知らなかったよ。変わらないでいれば、誰かは救われると思っていた。変わらないことで──変わらないままで。救うことも救われることも、けれど、ほんとうは出来ていなかったのだ。ありがとう、と云う言葉には、とても優しい。
「あとべー、ミルキー食べるー?」
「食わねえ」
俺のポケットからばらばらと取り出したミルキーは、暑さのせいで少しぐにっとした感触がした。きっと、紙をひっぺがすとき、ねちょねちょになっている。俺はそれを、うへえ、と思って、仕方なくまたポケットにしまった。今日、俺たちは中学最後の試合に、負けた。
「バス来ねえな」
「…来ないねえ」
跡部とふたりきり、並んで座ったバス停のベンチで、俺は猫みたいに伸びをする。そっくりかえったら、頭のうえに元気なみどり色の葉っぱが見えた。
俺たちの関東大会は、初戦でおしまい。終わっちゃったのはほんとうだけど、ほんとうにほんとうかなあ。だってまだこんなにも心臓がどきばく言ってるのに。まだこんなに太陽がきらきらして、道は白くて、夏はこれからで、エネルギーなんか有り余っちゃってんのに。
「あー……ちくしょう…負けた」
「まけたねえー」
「つうか有り得なくねえか!? この俺様の代で!」
「へへ、あとべ氷帝テニス部だいすきだもんねえ」
跡部が不機嫌そうに、こてん、と俺の肩に頭をのっけてきたので、俺は黙って跡部の頭を撫でた。跡部の頭はすごく小さくて、やわらかくて、コシのない髪の毛に手のひらを差し入れると、すごく熱くて、ちょっとだけ湿っていて、何だか子供みたいだった。
「……来年」
頭をのっけたまま、跡部がぼそりと呟いた。
「んー、そうだね。日吉、いるしー?」
「鳳も樺地もいる」
「それに来年もきっとせんせえが監督だしー」
「勝つよな」
「勝つっしょー」
試合に負けてテニス部用のハイエースに乗って、学校に着いたら、ミーティング。そこから今日はリムジンのお迎えを断った、跡部が、漸く初めて、ほんのちょっと──形のいい唇の端っこらへんで──笑った。やわらかく空気が光る。俺は何でか、すごーく嬉しくなってほっとして、だけどどうしてだろう、それと同じくらい、みるみる悲しくなった。
俺は少しだけ力を込めて、跡部の頭を抱き締めた。
「それでもね、あとべが」
ものすごい暑かったけど、俺も跡部も汗まみれだったけど、もうどうでもよかった。
「今年のメンバーで、全国、行きたかったこと、俺は知ってるよ」
跡部がゆっくりとまばたきして、頭を起こして俺を見た。どうしよう。言葉にしちゃったら、気持ちがとまらなくなった。あーもう、俺も泣けたらよかったのに。日吉みたく、泣けたらよかった。俺もみんなも、ぜんぶ、わかってたから。だいじょうぶだから。だから。だから。
「……おい、ジロー」
「なに?」
「さっきのミルキーとかいうの、1個寄越せ」
「うーん。でもちょっと、ねちょってなってるよ」
「何でもいい。糖分を摂りてえ」
「じゃあピンクと黄色、ふたつあげるね。味いっしょだけど」
案の定、ねちょーってなってる包み紙をひっぺがして、跡部がミルキーを口に入れる。そして入れた途端、思い切り眉をしかめた。
「っ…甘ェ……」
「疲れてるときは、甘いものが効くんだよねー」
ねえ、跡部。──ねえ、伝わってる?
「あのさあー、夏ってまるごと残ってんだよねー?」
「…あーん?」
「だからあ、夏といえば海いったり山いったりお祭りいったりー!」
「テニスしたり?」
「テニスしたりーっ!」
笑う。そうそう、夏はこれからなんだから。太陽はきらきらしてて、道は白くて、エネルギーは有り余っていて、まだみんな、こころは跡部のとなりにいるんだよ。
(だいじょうぶだよ、あいしてるよ)
「つうかバス…来ねえな」
「来ないねえ」
「あっちィ……車帰したの、失敗だったな」
「自分で断ったのにー?」
「うるせえ」
跡部、跡部、跡部。ねえ、もう何も背負わなくていいんだよ。
いまだけは、ここで途方に暮れてても。
いいんだよ、跡部。
「おまえはやさしいな、ジロー」
と跡部は俺の手を取った。ヤサシイ。そこには、救えてないけど、が隠れていた。推測が下手で気付かなかったなあ。世界はたくさんの嘘があって、傷つけたり傷ついたりする。嘘だとばれなかった嘘もあって、嘘が世界やこころをうまく回す。
跡部の世界は、どう? 俺の世界は、こう。いま、夏の光が照らしている。ずっと、人前では絶対に泣けない、きみから奪ったものだよ。