「はじめてのちゅうの味は甘い味がいいよね、我愛羅!」 「ごふっ」 「がーらどうしたの?報告書がびちょびちょだよ」 「気にするな。暫く置いといたら乾くだろう」
結構な量のお茶を吹き出した。濡れてしまった報告書はつらつらと綴られた黒い文字がぐにゃりと滲んでしまっている。乾かしたところで果たして読めるのかどうかが心配なところだが、今の俺には報告書よりも大事な事がある。 だが上役に怒られるのは心底面倒なので一応その報告書は風になびかせておこう。最後の悪あがきだ。報告書がお茶でびちょびちょになってしまったのも俺の目の前に居る女がまた奇妙な発言をした事が原因。そもそも彼女はどうしてあのような発言をしたのか、それは彼女の手の中にあるモノが語っている。
「がーらちゅうしたい!すっごい甘いちゅうがしたい!」 「初めてのキスの味はレモンの味だとよく聞くが」 「レモンってすっぱいじゃん?甘いもクソもないじゃん?じゃん?」 「ナマエ、乙女がクソと言うのはやめておけ。それとその喋り方はやめろ」 「なんでじゃん?」 「黙れ。死にたいのか」 「冗談やがな…!」
がーらってばノリが悪い!そんなんだから友達いないし出来ないんだよ!と手の中にあるモノを大事そうに抱えながら不満げに漏らすナマエ。ノリが悪いのは承知の上だが、友がいない出来ないというのは失礼にもほどがある。
「今度はなんだ?」 「これ、これっ!」
大事そうに少しぶ厚めの本を両手で抱えこちらへと駆け寄ってくるナマエ。ナマエの両手の隙間からチラリと見えた本のタイトルは「キャラメルみたいな甘い恋がしたい☆」…乙女向けの雑誌だ。乙女という生き物は少々夢見がちなのか、それともただナマエが夢見がちなだけなのかは解らないが、ナマエはこんな類のモノにすぐ影響される。この間ナマエと映画を見た時はその映画が大人向けのラブストーリーものだったからか、「ドラマチックな恋がしたい」と最近までぼやいていた。
「もうドラマチックな恋はどうでもいいのか」 「え、今してるじゃん!」 「誰としているんだ。喋り方に腹が立つ砂縛きゅ」 「がーらと!風影さまと超一般人という身分が違いすぎる二人のドラマチックな恋!映画化も夢じゃないよねっ!」 「そうだな。もし映画化したら見に行くか」 「うん行こう!そして私は甘いちゅうがしたいよ!」
しようよ、がーら!とずいっと身を乗り出してきたナマエを前に、お茶でびちょびちょになってしまった報告書を風になびかせていた手が思わずピタリと止まる。どれだけちゅうがしたいんだお前は。というか近い。 こんなにも至近距離にナマエを感じたのは初めてだろうというそれから、思わず息を呑んで呼吸を一瞬だけ止めた。その距離に少しだけ恥ずかしさのようなものを覚えながらも、報告書は乾いたのだろうかと漠然と考える。乾いてカピカピになった報告書の黒い文字は、まあ読めないことはないようだ。
「ささっ、私と甘いちゅうしようぜ風影の旦那!」 「今するのか」 「今したいんだもん!今しかないでしょう!」 「そうなのか」 「そうなのだよ明智くん!」 「誰だそれは」
手も繋いだことがないナマエをこんなにも近くに感じている、それはとても不思議な感覚に陥る。ナマエとのその距離に恥ずかしさからか俺の心拍数は少し早い、が、ナマエは平気な顔を浮かべ俺がお茶を吹き出してしまうような発言をして、尚且つ平気な顔で近付いてきた。少しは恥ずかしがったりだとか、そういう一面を持ち合わせてないのかナマエは。いくら雑誌に影響されたからと言って手も繋いだことがないのにキスを迫ってくるとは…さて、どうしたものか。大体甘いちゅうとはなんなんだ。生憎今の俺の手元には仕事中に上役の目を盗んで少しずつ食らっていたチョコレートしかない。 それを食べてからナマエにキスをすれば甘いちゅうになるのだろうか。いや、なんだかそれは少し違う気がする。だが正直な話ナマエの唇に触れてみたい。
その、形のいい綺麗な唇に。
「んっ、なんか我愛羅…甘い匂いするね。チョコ?」 「っああ…、」 「いいなあ、チョコレート!私も食べたいなー!」 「太るぞ」 「太ったらいや?」 「構わない」 「じゃあちょーだい!」 「……ああ、」
これは、いい機会なんじゃないか。ナマエの唇に触れることが出来てその上甘いちゅうをすることも出来る方法があるじゃないか。そう考えたと同時に手は勝手に動いて、チョコレートを一欠けら口にくわえた。大胆になったものだな、俺も。自分のその行動には多少なりとも驚いたが、やってしまったからにはなんだか後には引けない。
「それなんの真似?親鳥が雛にエサあげるみたいな、」 「食べたいのだろう?」 「食べたいよ、うん」
じゃあ、いただきます。おずおずと顔を近付けてきたナマエは俺がくわえているチョコレートの反対側を口にくわえた。目の前に広がったナマエの近すぎる顔に鼓動を早くさせるヒマもなく、軽く唇に触れたふわりと柔らかい独特な感触と耳に届いた小さなリップ音。全然甘くないっ!とすぐに唇を離して逸らしたナマエの少し歪んだ顔。それもそうだろう。すっかり忘れていたがこれはビターチョコレートだからな。
「苦いよ、我愛羅!」 「そうだな、」 「にがっ、いっ!」 「……ああ、」
今俺はナマエと初めてキスをしたんだな。改めてそう思ったら身体が熱くなった気がした。ちらりとナマエを見れば苦い苦い!とぶつぶつと文句を漏らしながらも赤くさせた顔を見られないように俯かせているから、それを見たら余計に体温が上がった。 キスをしたいと言ってきたのはナマエの方なのに今さら恥ずかしがるなんて。 口の中に広がるほろ苦さとは対照的に、この部屋の空気は反吐が出るほど甘かった。
(ああ、甘い、)
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