××が見せた頬を淡いピンク色に染め瞳を潤ませたあの表情、チクリとした胸の痛み。それらはどこかで見た、味わった覚えがある。だが、それをいつ何処で味わったのか思い出せない。というより、俺自身が思い出す事を拒んでいるような気がした。

「っだーもう!何なんだよ…」

思い出せなくてイライラするのに思い出したくない。思い出してしまったら、何かが壊れてしまうような気がして。その上ヒビキとかいう奴のせいもあって、イライラ度数がハンパない。
カシャン、と音を立てながらフェンスにもたれ掛かった。この学校の屋上は"女生徒の幽霊が出る"だの"カップルで屋上に行くと別れる"だの悪い噂が絶えないせいか、誰ひとりとして屋上には近付かない。そんな場所で××とリーフ、そしてたまーに俺が加わり昼食を取る訳だが。今みたいに一人で考え事をしたい時にはこの場所があって助かった。そう思ったのもつかの間、ギィ、というドアが開いた音と男女の話し声が耳に届く。
カップルでこの屋上に来るだなんて勇気があるカップルがいたもんだな、なんて漠然と思いながらチラリと横目で見てみれば、視界に入ってきたその人物に俺は思わず身を隠した。

「ねえヒビキ、あの人の事…××先輩の事本気なの?本気で好きなの?」
「…だから、何回も言ってるだろ?」
「っでも、××先輩には…」
「ずっと見てきたんだからそれくらい分かってるよ。っていうか、コトネには関係ないだろ?」

カップルの正体はヒビキとかいう後輩とコトネと呼ばれた女の子。何やらいい空気の内容ではないと判断したが、××の名前が出た事に思わず聞き耳を立てる。盗み聞きなんて質が悪いと思いながらも、これは聞いてるんじゃなくて聞こえてしまっているのだから仕方がないという事にしておいた。
身を隠しながらヒビキとコトネという少女の様子を伺う。コトネという少女は、今にも泣き出してしまいそうな表情を浮かべていた。

「か、関係なくない!だって私は、」
「コトネ。悪いけど、その先は聞けない」
「……っ!…ヒビ、キ、」

身体を小さく震わせながら顔を俯かせ、涙声のコトネという少女の姿がいつかの××の姿と重なって見えた。それは、最近という訳ではないがそう遠い昔の記憶という訳でもない。この学校に入学する少し前の記憶。ああ、そうだ。あの時だ。あの時の××は普段のそれとは少し違う感じがした。その時の××こそ頬を淡いピンク色に染めて瞳は潤んでいて、確かにあれは俺に向けられていたものだった。

あの時までは、









『あっ、グリーンいた!』

息を切らしながらこっちに向かい走ってきた××の姿が、普段のそれとは少し違うような感じがした。
何処かが変わったという訳ではないけど何て言うか、その時の××の表情は緊張しているようにも見えたけど何処か真剣で、少し潤んだ瞳は真っ直ぐに俺を捉えていて。そんな××が、なんか可愛いな、と思った。

『…××、お前今日化粧かなんかしてんのか?』
『え、してないよ!なんで?』
『いや、別に、』

で、なんか用事か?と問い掛けると××は何を思ったのかピンクに染まった顔を少し俯かせて、どこか煮え切らない態度を見せる。そんな××を見て、あ、なんかヤバい、と思った。どくんどくん。この場の空気も××の態度も俺の心拍数を少しだけ早くさせる。

頬が少し淡いピンク色に染まっているのは走ってきたからなんだろうと、そう、思い込んだ。

…けど、本当は気付いてたんだ。××がこの時俺に何を伝えようとしていたのか。気付いてたのに俺は、

『用事っていうか、何て言うか、ね』
『…?なんだよ、』
『おっ、グリーンと××の名物コンビ!お前らホントに仲いいよなー!付き合ったりとかしてんの?』
『それとも××とリーフとグリーンで三角関係とか?やるなあグリーン!』

通りすがりの同級生にからかわれるようにそう言われ、どうしてなのかとてつもない恥ずかしさに襲われて焦った。この頃は思春期真っ最中で複雑な年頃だったからか、今思えばあれはただの照れ隠しだったように思う。

『っはあ?ばーか、××はただの幼なじみだっつーの。なあ?』

そう言って××にチラリと視線を合わせたその一瞬、泣き出してしまいそうな表情を見せた××。
それはほんの一瞬で、瞬きをしてからもう一度××を見た時にはもう普段の××の姿があって。

この時だ。確かにこの時、俺の胸はチクリと痛んだ。

『っそうそう、私とグリーンはただの幼なじみ!ねえグリーン、辞書忘れちゃったから貸してくれない?』
『…あ?ああ、いいけど、』
『ありがとグリーン!また後で返しにくるね!』

辞書を受け取り走ってきた道を歩いていく××の肩が、心なしか震えていたような気がした。それからしばらくの間はすっげえ胸が痛くて、だけど俺も××も気まずくなるのが嫌で普段通りの日々を過ごして。元々俺には酷い対応をしていたリーフの対応はその頃からもっと酷いものとなった。それから少し経ってからだったか、俺が色んな女と付き合いだしたのは。

胸がチクリと痛んだのは俺が××を想っていたからなのか、それとも××を傷付けてしまった罪悪感からなのか解らなくて。

忘れようと、必死だった。
××が幼なじみである俺に恋愛話をしてこなかったのは俺が男だから?違う、そんなんじゃない。相手が俺だったから。気付いていたのに勝手に忘れようとして本当に忘れて。

それから何事もなかったかのように幼なじみという関係を続けて、俺は色んな女と付き合いながらも××の存在を何処かで気にしていた。ただの幼なじみという関係でありながら××が目の届く場所に居る事に安心していた。俺は何処かで自惚れていたんだ。××はまだ、自分の方を向いていると。
だからヒビキという存在が現れて焦ってる、動揺している。口ではただの幼なじみなんだからくれてやると言っていても、本当は取られたくないと思ってるんだ。勝手な自分に呆れつつ、今さらどうすればいいのか解らない。

っていうか、なんだ。これ、

「…俺カッコ悪、」

あの時××の話をちゃんと最後まで聞いていたら、この胸の痛みは知らないままで済んだのか。




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