初めて、だった。

里のみんなみたいに僕を嫌な目で見てくるわけでもなくて、嫌な言葉をぶつけてくるわけでもなくて。
あんな風に追いかけられるなんて、思ってなかった。だって里のみんなは僕が逃げる前に逃げてしまうから。こけたのだって初めてだった。いつだってこける前に砂が僕を守ってくれてたから。この時はどうして砂がなにも反応してくれなかったのか、僕にはよくわからなかったけど。腕に傷を作ったことだって初めてで、傷つくことがあんなにイタイだなんて知らなかった。わからなかった。傷に水が染みるだなんて知らなかった。手当てをしてもらったのも初めてだった。
怪我をしてハンカチを巻かれたところがなんだかやけにじわりと熱くなった。結んでくれたハンカチがほどけてしまいそうになったから自分で強く強く結び直した。
「私のお家においで」と言われた時はびっくりして声が出てこなかった。僕にこんなに優しく笑いかけてくれるのは、夜叉丸だけだったのに。でも僕が化け物だって知ったら、きっとこの人も離れていってしまうんだ。

そう、思ってたのに。

僕は化け物なんだって言ってるのに目の前のこの人は「だからなに?」と言うばかりで。こんな風に言われたのも初めてだったから、もう何も言えなくなった。言いたくなかった。だってこの人が離れていってしまったら、僕はまたひとりになってしまう。

…そんなのは、いやだ。

ここでお別れだね、そう言って僕に背中を向けたこの人の背中がすごく遠くに感じたのはどうしてだろう。僕が手を伸ばしたところで、この人には届かない気がした。早く掴まなきゃ、どんどん遠くに離れてしまう。

いやだ、いやだ。ねえ待って、待ってよ。お願いだから。

僕を置いていかないで。

無我夢中で伸ばした手で、服を力の限りぎゅうっと引っ張った。足を止めたこの人は苦しそうにゴホゴホと言っていたけれど、こっちを振り返って僕に向けたその顔はにっこりと笑ってて。
じゃあ、行こうか。そう言って僕の前を歩きだしたこの人を、今度は僕が追いかける番になった。逸れないように、僕はこの人を追いかける。

初めてのことばかりを僕にくれたこの人は、××って言う名前なんだって。

××、…××。

僕は、焼き付けるように心の中で何度も何度もその名前を繰り返し呟いた。




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