ちょろちょろ、と水道から水が流れる音が辺りに響く。
さっきまでぽろぽろと涙を流していたこの子はいつの間にか泣き止んで、水場へ向かう私の後ろから大人しく着いてきてくれた。
身体に傷を作ったことがない彼だから、これから何をするのか解らないのか不思議そうな表情を浮かべながら水道の水をじっと眺める。

「さ、腕を出したまえ少年」
「……」

少量の血が滲んだ腕をおずおずと差し出した彼のその腕を掴み、水で洗う。痛みも知らなければ水が傷に染みることも知らないのか、彼は顔を思いっきり歪ませた。

「男の子だもん、これくらい我慢できるよね」
「…う、ん」

思いっきり顔を歪ませながらも、彼は強がるかのように頷いた。…なんだ、まだ全然子供じゃない。あんなに簡単に「殺したり」なんて言葉を使うから、もっと子供らしからぬ反応をすると思っていた。この子、普通の男の子だ。
傷口を水で洗ってバッグの中からハンカチを取り出して男の子の腕にキュッと巻き付ける。消毒は家に帰ってからでも出来るからね。あ、っていうかこの子のお家って砂隠れの里ってところにあるんだっけ?という事はこの世界にこの子の家ってないんだよね。
うわあ、リアル家なき子じゃないこの子。

「…ねえキミってここら辺の子じゃないんでしょ。ここからお家まで一人で帰れる?」
「……わから、ない」
「そうだよねえ。んー…、じゃあ帰れるまで私のお家においでよ、ね」
「えっ」

まあ一人暮らしの狭いお家だけどこの子くらいの小さな子だったら一緒に住めるくらいの広さだし、金銭的なものは幼い頃からのお小遣とかお年玉とかを溜め込んである貯金があるし、私社会人だからなんとでもなるし。うん、そうしようそうしよう。一人で納得していると酷く驚いたような表情をこっちに向けてくる彼に気が付いた。
あ、さすがに初めて会った人間に「家においでよ」なんて言われたらそりゃあ引かれるよね。私だったら引くもん。っていうか、これじゃあ私ホントにただの人さらいか変質者みたいじゃないか。やっぱり嫌だよね、なんて苦笑を漏らしながら頭を掻いていると、彼はおずおずと口を開く。

「ば、化け物、だから、」

…え、失礼しちゃうこの子。初めて会った人間だから警戒されるのはわかるけど、化け物なんて言われるだなんていくら何でも酷い。私は彼の言葉に目を丸くさせながら口を開いた。

「化け物って、え、私が?」
「違う、そうじゃなくてっ」

僕が、化け物だから。自分の服の裾をぎゅうっと握り締めながら彼は強く言い放った。それは砂を扱えることを言っているのか、沢山の命を奪ってしまったことを言っているのか、それとも他の事を言っているのか私には解らない。
だけど、私の目の前に居る彼は化け物でも何でもない普通の小さな男の子なわけで。
っていうか、化け物だったらなんなの?

「化け物だから、なに?」
「え、」
「キミが化け物だったら私の家に来れないの?」
「……恐く、ないの?」
「なにが?」
「僕、が」
「なんで?」
「…なんでって、だから僕が化け物だから、」
「キミが化け物だったら恐がらなくちゃいけないの?」
「…だって里のみんなは、」

里のみんなは僕を恐がって誰も近付いて来なかったよ。僕が化け物だから、みんな、みんな僕を嫌な目で見るんだ。
そう言う彼の表情はとても苦しそうで、寂しそうで。また彼の綺麗な緑色の瞳からは涙が零れ落ちてしまいそうだった。それを食い止めるかのように唇をキュッと結んで歯を食いしばる彼は、やっぱりただの小さな男の子だ。彼が住んでいるのだろうその砂隠れの里のみんなが、彼の何を恐れているのか私には解らない。だけどその恐れられている理由にはそれ相応の理由があるんだろう。だってこんな小さな男の子が恐れられてしまうんだから、きっとそれなりの理由があるはず。
だからといって、私が彼を恐れる理由はなにひとつとしてないんだけれど。

「大丈夫、もしそんな奴がいたら私がぶん殴ってあげる」
「……っ、」

私は彼の恐ろしさを全く知らない。だからこんな事を簡単に言ってのけてしまうんだろうけど、もし彼の恐ろしさを知ったとしても私には彼を恐れない自信が何処かにあった。それはどうしてなのか、よく解らないけれど。

「…そういえば、まだキミの名前を聞いてなかったね。私は××っていうの。キミの名前は?」
「……、我、愛羅、」
「我愛羅くん、だね。どうする?私の家にくる?」
「………、」

自分の服の裾を掴んでいたその力がまた更にキュッと強くなったのか、我愛羅くんの服は皺くちゃになった。なかなか素直になれないんだろうか、この子。本当にどこもかしこも子供らしくて、かわいい子だと思う。母性本能が擽られるというのは、こういう事を言うのかなあ。
なんだか少し我愛羅くんに意地悪をしてみたくなって、「私のお家にくるのが嫌ならここでお別れだね」と吐き出してからくるりと彼に背を向けた。そして歩きだそうと足を一歩踏み出したその時、後ろからぐいっと服を引っ張られたような気がして足を止めた。結構強めに引っ張ったな我愛羅くん。首が絞まって普通に苦しいわ。
ごほっと咳ばらいをしながら後ろを振り返れば、私の服をぎゅっと掴みながらじっと見上げてくる我愛羅くんの姿が目に映る。

「………っ、待って、」

"行かないで"

消え入りそうな声と、涙を浮かべる緑色。…馬鹿だなあ、こんなにかわいい子を置いていくわけがないじゃない。




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