私が傘を忘れてしまったあの一件から、グリーンさんが口うるさくなったような気がする。
やれ忘れ物はないか、あれは持ったか、これは持ったか、夜道には気をつけろ、知らない人には着いて行くな…あんたは私のオカンか。とでも言いたくなるような。でもそうやって、自分の事を心配してくれる人がいるって事は、とても素敵な事。
その心配してくれる1人がグリーンさんだって事が、不思議と嬉しいじゃないか。
ただ、心配をしてくれる彼はとてつもなく恐ろしい。それはついこの間の事で、仕事先の同僚に飲みに誘われてしまった私は、まあ少しだけなら…とそれに着いて行ってしまった訳で。
少しだけ、というつもりが時間の流れというものは早いもので、飲みに行ってからまだ少ししか経っていないだろうと思った私が携帯の時間をぱっと見た時、それはもうすでに日付が変わろうとしていた。

あ、これって結構ヤバい?

なんていう思いもあったにはあったけど、その時の私はそれこそいい具合に出来上がってしまっていて、少しだけまともな思考が出来なくなっていた。
家の電話に連絡を入れておこうか、というそれも、もしグリーンさんが寝ていて起こしちゃったら悪いし、とグリーンさんを利用して、私はその場の楽しさを優先させてしまった。
それを深く深く後悔するのは、家に帰ってからの事になる。
同僚と別れたのは夜中の2時を廻った頃で、少しほろ酔い気分で家路を歩いていく。冷たい風が心地いいなぁ、と思いながら。しばらく歩いていくと、家の灯りが明々とついているのが見えた。グリーンさん、こんな時間なのに起きてるのかな。
なんて、深く考えもしないで、私は家の玄関を開けた。いつもなら聞こえてくるグリーンさんの「おかえり」がなくて、それに首を傾げながらリビングに向かえば、砂嵐になっているテレビ画面をじっと見つめたまま微動だにしない、グリーンさんの姿があった。

え、なにこのホラー。

この異様な恐怖に包まれた雰囲気に動けないでいると、グリーンさんは私の姿をその目にとらえる事なく、聞いたこともないとてつもなく低い声で「××」と呼んだ。

あ、私、死んだ?

私の名前を呼んだグリーンさんの声に恐る恐る小さな声で返事をすれば、グリーンさんは「座れ」とソファーを指差した。
酔っているせいか若干足のふらつきがあったものの、私はグリーンさんに向かい合うようにゆっくりとソファーに座った。
傘を忘れてしまった時よりも比べものにならないくらい、グリーンさんが怖い。
生きた心地がしない。
ああどうしよう。どうしよう。なんて思考を巡らせても、私の頭の中は真っ白だ。
私の手持ちは全滅だよ。なんていう冗談が働くのも、私自身がかなり出来上がっちゃっている証拠なんだろう。

「…あ、あの」
「なに考えてんだよおまえ」

たっぷりの怒りを含んだ声を出したグリーンさんは、私と目を合わさない。冗談なんか働かせている場合じゃない。
少しほろ酔い気味だったそれが、サーッと一気に醒めていくのが分かった。

「ご…ごめん、なさい…」

歯切れが悪い私の謝罪の言葉に、グリーンさんの口からはとてつもなく長いため息が漏れた。私は思わず、その長いため息に身体をビクつかせる。

「今何時か分かってんのか?」
「…え、えっと…」
「こんな時間まで連絡1本もねーとか、ありえねぇだろ」
「…仰る通りでございます…」

何とも言えない恐怖感と、罪悪感。ああやっぱり、家の電話に1本くらいは連絡を入れるべきだったんだ。
なんて思い返したところで、すでにそれは遅すぎた。
何にせよグリーンさんがここまで怒っているのは、全て私のせいなわけで。

「…別に、怒ってるわけじゃねーんだよ」

やっと、グリーンさんの目が私の姿をとらえた。
その射るようなグリーンさんの視線が真正面から向けられて、でもそれはさっきまで感じていた恐怖ではなくて、不思議と暖かい眼差し。

「心配くらいするだろーが…」

弱々しく放たれたそれにきゅうっと私の胸が苦しくなったのは、彼に心配をかけてしまった罪悪感と、彼が心配をしてくれたという喜び。罪悪感はいいとして、こんな時に嬉しくなってしまう私は、どうかしてるんじゃないだろうか?

「ごめん、なさい…」
「…もう、いーって。無事に帰ってきたんならそれで」
「本当に、ごめんなさい…」
「だからもういーっつーの」

ごめんなさい、もういーって。の繰り返しの間に、グリーンさんはくぁぁっと欠伸をした。
眠たそうなグリーンさんを見て、そんな眠たい中私の帰りを待っていてくれたのかと、都合のいい解釈をして嬉しくなってしまった私は、やっぱりどうかしてるのかもしれない。

(私は彼の何なんだろう。彼は私の何なんだろう。)




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