「……おはよう、ございます…グリーンさん…」
「ほんっとに朝ダメなんだな、××って」

心此処にあらず、といった状態の私を見て、グリーンさんが苦笑を漏らす。だって本当に、朝だけはダメなんだよ。今の仕事に行くようになってからは、まあ慣れてきたってのもあって昔よりはマシになったけれど。
起きてから20分ほどぼーっとするのはいつものこと。そんな私の前に、グリーンさんが暖かいココアを用意してくれるのがここ最近の日課になってきてる。
グリーンさんが用意してくれたそれを黙ったまま口に運べば、だんだんと目が冴えてくる。

「……甘い」
「そりゃそーだろうよ」

決して、甘すぎるというわけではなく。グリーンさんが作ってくれたココアはミルクとの割合がすごく良くて、その上甘さまでとても私好み。
ホント、このココアで何人の女を落としてきたんだこの人は。

「落としてもねーし、これくらいじゃ落ちねーだろ」

あれ、この人エスパー系の人だったか。首を傾げながらグリーンさんを見れば、××の顔見たら何となく何が言いたいのか分かる、と呆れながら言われた。よっぽど私は、思っていることが顔に出てしまうんだろう。

「今日、雨降るってよ」

グリーンさんの言葉に顔を少し歪ませていたら、いや行けよ、という言葉が降ってきた。仕事行きたくないな、と思ったのがグリーンさんにバレた。
そんなにも私は分かりやすいのだろうか。顔に出してるつもりは、全くないのにな。

「傘、忘れんなよ?」
「子供じゃないんですから、忘れませんよ!」

それじゃあ行ってきます、と玄関を開ければ、後ろから聞こえた「行ってら」というグリーンさんの声。背中越しに聞こえてくるその声に、ここ最近何故か口元が緩んでしまう。
最初の頃は恥ずかしくて仕方がなかったけど。
口元を緩ませながら空を見上げれば、今にも雨が降り出しそうな曇り空が広がっていた。



「けっこう降ってきたな」

部屋の窓から外を見れば、さめざめと流れるように雨が降っていた。今日はいつもよりも、一段と冷え込むことだろう。
今日は外を歩き回るのは中止。寒いし雨だし、何より気分が乗らない。なんか雨って、そういう気分にさせるよな。
ちょっとした気分転換に掃除でもしようと思いながら、ふと玄関の方に視線を向ければ、あることに気付く。

「…これって、」

それは淡いピンク色をした、チェック柄の折り畳み傘。
誰だよ、子供じゃないから忘れないと言い放ったヤツは。
思いっきり忘れてるじゃねーか。アイツの頭の中は子供以下なのか?うわーもう。
持ってきたはずの傘が無くて慌てふためく××の姿が、それはもうはっきりと目に浮かぶ。

「…これはもう、持ってけって言ってるようなもんだよな」

幸い、ココから××の仕事先までの距離は、いうほど遠くはない。玄関を開ければ、うんざりとしか言い様がないほどの雨が降っていた。それに思わず長いため息をつけば、吐いた息は白く、ひんやりとした冷たい風が頬を横切った。



お疲れさまでした、と先輩や同僚に挨拶をしてから外に出れば、ざぁざぁという音とともに、大粒の水が大量に空から流れている。さぁ出番だよ、と言わんばかりにバッグの中をごそごそと漁り、目的のそれを探す。

「……あ、れ?」

探しても探しても、全く姿を現さないそれ。おかしいな。
家を出る前までは、ちゃんと手に持っていたはずなのに。
まさかこの雨で傘泥棒が出没とか…うん、ないわ。それはいくらなんでもないよね。ただ単に私が忘れただけだよね。

「…どうしよう」

ため息混じりにそう呟いて空を見上げれば、それは全く弱まる気配はなくて、容赦なくざぁざぁと降り続ける。
どうしたもんかな、とひたすら雨を降らせ続ける空をじっと見つめれば、雨足は強くなる一方で、時間が経てば経つほど気温が下がってきて、風もさらに冷たくなる。ずぶ濡れ覚悟で帰るしかないのか、と意を決したその時、前方から黒い傘をさした人がこっちに歩いてきてるのが見えた。雨が降っているせいで視界が悪く、遠目だとよく分からなかったその人は、近付けば近付くほど誰なのかがはっきりと分かった。

「グリーン、さん…?」

それが誰なのかはっきりと分かっているはずなのに疑問形なのは、この状況が信じられなくて、理解ができていないから。
恐る恐るグリーンさんを見れば、少しだけ顔をしかめたグリーンさんと視線がぶつかった。

「××さんはアホですか」

グリーンさんの言葉に、私は返す言葉が見つからない。否、返せる言葉が全くない。

「こんな展開ドラマん中だけだと思ってたぜ俺は」
「ど、ドラマチックですね!」
「……、」

うわ、なにその視線。
そんな絶対零度な視線はやめてください。
グリーンさん超怖いマジ怖いヤバい怖い。

「…俺が来なかったらどうするつもりだったんだよ?」
「そ、そりゃあ濡れて帰るつもりでしたよ」
「風邪でも引いたらどーすんだよ、このバカ」

アホって言われて数分も経たない内に、バカって言われた。
いやホントに、自分でも充分承知の上です。申し訳ないやら情けないやら、そんな感情が渦巻く中で何故か一際強かった感情が、嬉しい、だった。
外はこんなに寒くて雨まで降っているのに、グリーンさんが私に傘を届けに来てくれたことが嬉しかった。

「なに、笑ってんだよ」
「えっ!なに言ってんですか!笑ってなんかないですよ!」
「…おまえ顔に出るから、下手に嘘つかねーほうがいいぜ」

嘘つくの下手そうだし、そういうグリーンさんの口元は少しニヤついてて、顔が笑っていたことを指摘された私は、何とも言えない恥ずかしさに襲われた。顔に出てしまうくらい、グリーンさんが来てくれたことが嬉しかったなんて。

「…あれ、グリーンさん…」
「なんだよ?」
「私の傘は?」
「………あ、」

グリーンさんは自分の手元を見て、無いな、と一言。
え、グリーンさん、私に傘を届けに来てくれたんじゃないんですか?なんて視線を向ければ、これに入ればいーだろ、なんて言いながら頭をかくグリーンさんは、少し照れているのを隠しているように見えた。もしかしたら、傘を忘れて1番慌てていたのは私じゃなくて、グリーンさんなのかもしれない。

(…彼の中で、私は心配されるくらいの存在だと、自惚れてもいいのだろうか)




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