ジリリリリ、と甲高い音を奏でる目覚まし時計。人が気持ち良く眠っているのに、それを思いっきり邪魔をするソイツに殺意が湧くのもいつもの事で。
半ばため息混じりにソイツをバシッと叩いてやると、甲高い音は止まる。それでも毎朝鳴るもんだから、全くしつこいよコイツは。欠伸をしながら部屋を出ると、テーブルの上には湯気を立てたマグカップが置いてあった。いつの間にこんなものを用意したんだろう私は。
ついさっきまでベッドですやすやと眠っていたはずなのに。いや、待てよ、家政婦さんが用意してくれたのだろうか。いやいや、それこそ待てよ。家政婦さんとか雇った覚えは全くないし、私には家政婦さんを雇う余裕なんかあるわけないだろう。
この不思議な現象に身体を固まらせていると、キッチンの方から聞き慣れない男性の声が聞こえてきた。

「お、起きたか」

キッチンから姿を現したのは、明るい茶髪の見知らぬイケメン。その見知らぬイケメンは、テーブルの上に置いてあったマグカップを手に取りそれを自分の口に運んだ。
あれ、それ私のじゃないんだ。っていうかこの人誰?なんか馴れ馴れしい上に、図々しくも人ん家で珈琲飲んでやがる。
え、ストーカー?最近のストーカーってこんなに堂々としてるもんなの?

「ストーカーじゃねーよ!」

どうやら声に出していたらしい。見知らぬイケメンは不貞腐れたような、拗ねたような顔をして珈琲を口に運ぶ。
でも私には、こんなイケメンな知り合いはいない訳で、それこそ彼氏とかでもないし。本当に、本当に彼が何者なのか全く分からない。

「…まあ、とりあえず顔でも洗って目ぇ覚ましてこいって」

呆れたようにそう言う茶髪の彼。私は言われるがまま、洗面台に向かい洗顔フォームを手に取った。あ、これそろそろ新しいの買わなきゃ無くなるな。あと冷蔵庫の中も空っぽだし、食材買ってグリーンさんに手料理を披露してもらわなくちゃ…ん?

「―あっ!!!」

思わず上げてしまった声には私も自分で驚いたけど、彼もその声に驚いたみたい。バタバタとこっちに向かって走ってくる音が聞こえると、少し慌てたような彼の声も聞こえた。

「おい、どうした?」
「…あ、いや…お構い無く。グリーンさん…」
「…やっとお目覚めか?」
「ご、ごめんなさい…」

おせーよ、と彼は少し困ったように笑いながら、私の頭をポンっと軽く叩いた。



「××って朝弱いのな」
「ほんっとにごめんなさい…」
「いーって別に。全く面識もない男がいたらそりゃ誰だって驚くだろーし」

グリーンさんはそう言うけど、昨日彼を最初にお茶に誘ったのはそもそも私な訳だから、本当に失礼なことをしたよね。
自分の寝起きの悪さにどん引きだよね。

「それはそうと××、おまえ仕事の時間いーのか?」
「えっ?」

ふと携帯の時間を見れば、走ってもギリギリ間に合うか間に合わないかという時間。これはヤバイ。本当にヤバイ。
わたわたと慌てながらも、冷蔵庫には何も無いからと財布からお金を出して、朝とお昼はそれで何とかしてくれとグリーンさんに渡して家を出る。
お金を渡す時にやっぱりグリーンさんは「いーって!」と遠慮をしたけど、「黙れ一文無し!」と言ったら引き下がった。
家を出る間際にグリーンさんが、「これ、サンキューな」と言ったあと、照れくさそうに「行ってら」と言ったのが何だか可愛くて笑えた。



仕事は本当に、本当にギリギリの時間に間に合った。少しでもグリーンさんとのお金のやり取りが長引いてたら、きっと遅刻をしていたに違いない。
仕事が終わってから近くのスーパーに寄って、ありとあらゆる食材を買って家に帰宅した。鍵を開けてギッと玄関のドアを開ければ、リビングの方からグリーンさんがひょこっと顔を出して「おかえり」と私を迎えた。

「た…だ、いま。」

今まで一人暮らしだったせいか、何だか「ただいま」と言うのが新鮮で照れくさい。実家で暮らしてた時は当たり前のことだったのに。
それは相手がグリーンさんだから、という理由も含まれるんじゃないかと思うけど。
スーパーで買った食材をグリーンさんに見せると、「確かに買ってこいって言ったのは俺だけど、限度ってもんがあるだろ」とグリーンさんは苦笑していた。それを使って披露してくれたグリーンさんの手料理はやっぱり美味しくて、昨日グリーンさんが食べていた卵ときざみ葱しか入ってなかった炒飯も、きっと美味しかったんじゃないかと思う。

「グリーンさんって、絶対モテるでしょ?」
「まぁな。俺ほどの男だったらモテなきゃおかしいだろ?」
「…そういえば、どうして私の家の前にいたんですか?」
「おまえな、聞いといてスルーとかどうかと思うぜ」

グリーンさんは呆れたように言いながら、私の家の前にいた経緯を語りだした。
その日グリーンさんはトキワのジムから家に帰ろうとしていて、いつもならピジョットの空を飛ぶで帰るのをその日にかぎってしなかった。グリーンさん曰く、「たまには歩いて帰るのもいいかなーってなったんだよ」だそうな。それが悪かったのか、マサラタウンに続く道路を歩いていたら、何か不思議なモノを見つけたらしい。

「…割れ目…?」
「そ。空間が裂けてんだよ。そりゃもうぱっくりとな」

思わず食事の手が止まってしまう、グリーンさんの言葉。その「空間が裂けている」という不思議な現象が嫌でもグリーンさんの目にとまり、グリーンさんはそれに近付いたという。

「そしたら…?」
「それに触れた途端すげえ勢いで吸い込まれたんだよ。んで気付いたら…」
「…この世界に、いた?」
「…ビンゴ。まさにその通り」

最初から私の家の前にいた訳じゃなく、とりあえず街中を歩いてみたら、何となく自分がいた世界とはどこかが違う、とグリーンさんは思ったらしい。持ってたはずのモンスターボールが無くなっていたのも、そう思った理由のひとつだと。
でもそれを確かめる術がなくて、1番自分の家に姿形が似ていた家が私の家だったとグリーンさんは言った。
どこかが違う、という半信半疑だったグリーンさんの思いは、私に出会って確信に変わった。ここは、自分が在るべきはずの世界ではないと。

「な、なんかごめんなさい…」
「…別に、××が謝るようなことじゃねーだろ?」
「嫌なこと聞いたかなって…」
「だったら言ってねーって」

グリーンさんは苦笑いを零す。私なんかでは計り知れないほどのショックを受けたはずなのに、どうして彼が笑みを浮かべることができるのか、不思議でたまらなかった。

「…つか、××が泣くなよ」
「―!なっ、泣いてなっ…!」
「…泣いてんじゃねーか」
「こっ…これ、は…鼻水っ…」
「ほー。××の鼻水は目から出んのか。そりゃすげーな」

意地が悪い笑みを浮かべたグリーンさんは、私の頭をポンっと軽く叩く。
そうされることで余計に涙が溢れてくるし、子供扱いされてるみたいで何だか恥ずかしい。私が泣き止むまで頭を撫でてくれたグリーンさんの手は、何だか心地よくて温かかった。




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