「……おせぇな」

今日は「仕事」で遅くなるかもしれない、と確かに今朝××は言っていた。だから俺は「残業」で遅くなるんだと思っていた。誰だってそう思うだろう。夜の7時を廻っても××が帰ってくる気配はなかったから俺は1人で先に夕飯を頂戴した。
もう最近では聞き慣れてしまった「美味しい」だの「神の手」だの、××は今居ないのに何故か脳内再生されてしまって。
おいおい、幻聴まで聞こえてくるようになったのか俺は。
××の分の夕飯は××が帰ってきたらいつでも食べられるように、電子レンジにセットしておく。こんな光景を××が見たら、「めっきり主婦ですね」とか言われそうだ。つか言うだろーな××なら。
…って幻聴の次はなんだよ、妄想か?変態の道にまっしぐらもいいところだ。
適当につけていたテレビドラマのスタッフロールが流れだして、欠伸をしながら時計に目をやれば10時になろうとしていた。
今までに幾度か××が仕事で遅く帰ってきたことはあったけど、こんなに遅く帰ってきたことはない。ふと心を過るのは何かあったのかという不安。
やめよう、こんなネガティブ思考は俺らしくねーんだよ。
きっと××のことだから、帰りにコンビニでも寄ってデザートでも買おうとして、どれにするか目移りしてるんだよ。
…多分な。



さっきから欠伸が止まるなんてことはなくて、それでも起きているのはもしかしたら電話の1本くらい××からあるかもしれないと待っていたからで。
その望みは虚しく、とうとう××からの連絡は一回もなく、適当につけていたテレビなんかいつの間にか砂嵐だ。
何時間かけてデザート選んでんだろーな、××は。なんて、そんな冗談を考えていたのは数時間前までの話だ。
今の俺にそんな冗談を考えている余裕は少しもない。
何やってんだこんな時間まで。という苛立ちと、まさか本当に何かあったんじゃないか。という不安が俺の中で交差する。

「……おっせえ」

ポツリと呟いた言葉は、誰に伝わる訳でもなく。
もう待ってられない、最後の選択肢の探しに行くを選んだと同時に、玄関の方からガチャガチャ、という物音がした。
やっとご帰宅かと安堵したのも束の間、玄関の方から聞こえてくる××の鼻歌らしきものを耳にして、沸々と苛立ちが込み上げてくる。
人が眠れない夜を過ごしていたというのに、えらい上機嫌じゃねーか××のヤツ。
少々千鳥足気味でリビングに来た××には目もくれず××、と名前を呼べば、××は小さな返事をする。
ソファーを指差しながら「座れ」と言ってやれば、少しふらついた足で俺の前に座った。

「…あ、あの」
「なに考えてんだよおまえ」

苛立ちが混じった俺の言葉に、××の顔色は見る見る内に変わっていく。
コイツは思ったことがすぐに顔に出るから、ちょっと面白い。
少し笑いをこらえながら××から視線をそらしていると、ごめんなさい、と歯切れの悪い言葉が返ってきた。

「今何時か分かってんのか?」
「…え、えっと…」
「こんな時間まで連絡1本もねーとか、ありえねぇだろ」
「…仰る通りでございます…」

見る見る内に泣き出しそうな顔になっていく××を見て、ちょっとやりすぎたか、と苦笑する。確かに少し苛立ちを感じたりはしたけど、××が無事に帰ってきたからなんかもうどうでもよくなってきた。
彼女が無事に帰ってきたなら、それでいい。

「…つーかさ、おまえ酒臭い」
「…グリーンさん、お酒に呑まれるような大人にはならないでくださいね」
「おまえ、まだ酔ってんな」
「今なら口からハイドロポンプがっ…ぐふ」
「今すぐトイレ行け!」



リビングに戻ってきた××は、さっきよりは幾らか顔色が良くなっているように見えた。

「××、飯は?」
「えっ、えーっと…」
「…食べてきたんだな」
「いや、でも、さっきハイドロポンプしたから大丈夫です!」
「おまっ…女がそういう事言うもんじゃねーよ」

××は冷蔵庫から何かを取り出しながら、電子レンジに入れていた夕飯を持ってくる。
まだ少し足がふらついてんな。
テーブルの上には湯気が立ち上るオムライスと、缶ジュースが並ぶ。俺にはその缶ジュースに「アルコール」と書いてあるのが見えたんだが。

「…××」
「何れすか?あ、グリーンしゃんもこれ飲みますか?」
「俺は未成年だ」
「あ、そうか!じゃあ大人の階段のぼりましゅか?」

ぐいっ、と俺の方にそれを向けてくる××はあからさまに酔っ払い特有のテンションだ。
すげぇ勢いで絡む絡む。
にやにやとした地味に腹が立つ笑顔を浮かべてるし、若干呂律も回ってねぇ。
つかまだ飲むつもりなのかよ。
ダメだこの酔っ払い…早く何とかしないと。

「グリーンしゃんはお子ちゃまですねー!」
「酒に呑まれてる大人には言われたくねぇよ」
「…グリーン!」
「な、なんだよ?」

いきなり××に呼び捨てにされたもんだから、不覚にもちょっとビビった。そういえば、××に呼び捨てにされたのってこれが初めてだな。多分、酔ってるからその勢いで呼び捨てになったんだろうけど。

「このオムライス、美味しい」

××にそう言われるのは慣れているはずなのに、不覚にもそれがいつもより嬉しく感じたのは、初めて呼び捨てにされたこともあってなのかもしれない。

「…そりゃ、どーも」
「もうグリーンが作ったご飯以外食べらんないね」
「あ、そ」

××に呼び捨てにされたこととその言葉に異様な恥ずかしさを覚えて、それでも何故だか妙にそれが嬉しく感じて。
この時の俺は、緩みきった口元を隠すことでいっぱいいっぱいだった。

「…あ、なんか今ならハイドロカノンが出そう」
「ふざけるなよおまえ!」

もうやだこの酔っ払い。




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