震えた足は、動かない。

思考は思うように働かない。腰についたモンスターボールに手を伸ばす勇気さえ、今の私には持てない。どうしよう、なんてパニックに陥るなんて事もできなくて、私はただこの目にその光景を焼き付ける事しか出来なかった。



黒い衣装に身を包んだ目の前の二人は、一歩、また一歩と私に近付いてくる。私はそれに合わせて後ずさる事しか出来ない。
俺達に何か用かいお嬢ちゃん、と口元を歪ませる二人を前に何か言葉を発しようとしても、唇も喉も震えて声を出す事が出来ない。二人の黒い衣装と胸元にくっきりと刻まれた「R」の文字は、彼らがどんな人間なのか表しているもの。それが解ったところで、どうしたらいいか、何をしたらいいかなんて思考は働かない。
彼らの少し後ろでうごめく小さな黒い影は、ふるふると震えていた。二人が近付いてくるザリザリ、という足音がやけに耳に響く。
どうしようもない恐怖に身体を強張らせていると、突如二人の内のどちらかが叫び声のような悲鳴を上げた。それにハッとして二人の足元に視線を落とすと、二人の後ろで震えていたはずの小さな黒い影がどちらかの足に噛み付いていた。その出来事に、私に集中していた二人の視線が私から小さな黒い影に移った。

ここから逃げてしまうなら、今が絶好のチャンスなのかもしれない。そんな思いが過ぎったけど、震えながら噛み付いている黒い影を見ればその思考はどこかへ吹き飛んでしまった。
身体の至る所から血を流しているガーディを見て、自分だけ逃げれる訳がない。この子をここに置いていけない。でも私みたいな人間がココにいたって、何をどうすればいいのか。
腰に付いたボールがさっきからカタカタと揺れているのは知っている。だけど、それに手を伸ばす勇気が出てこない。自分の力不足でガーディを守れなかったら?ガーディだけじゃなく、ピカチュウも守れなかったら?
だけどこのままでは、自分の身さえ危ないかもしれない。何もしない訳にはいかない。何かしなければ。何とかしなければ。きゅっと下唇を噛みながら、私は腰に付いたモンスターボールにゆっくりと手を伸ばす。
ぎゅっとそれを握り締めると、揺れは大人しくなった。

ボールの中のこの子は、私を信じて動こうとしてくれている。

…そうだよね、今ココで私が動かなきゃ、一体誰が動くというの。そう自分に言い聞かせながら、腰についたモンスターボールを私は宙に浮かせた。



ロケット団。それは三年ほど前にレッドが解散させたはずの組織の名前だ。ロケット団のボスであるサカキは今失踪中のはずなのだが、今そのロケット団の名前が何故かジョウト地方で騒がれている。どうやらサカキの後釜がサカキの意志を受け継いで、復活をしたみたいだが。何が目的なのかは知らないが、放っておく訳にもいかない。
今はまだジョウト地方だけで悪事を働いているのかもしれないが、いずれはまた、このカントー地方に手を広げてくるかもしれない。
手遅れになる前に、出来るだけのことはやっておかなくては。

「ヤスタカ、ジムトレーナー全員集めてここに呼んでくれるか」
「なにかあったんですか?」
「それを今から話すから」
「分かりました。あ、でもまだ××ちゃんが来てませんよ?」
「××が?あいつ、まさか寝坊したんじゃねーだろうな…」

説教確定だな、と苦笑を漏らしていると、ポケットから振動が伝わり機械音が鳴り響く。ポケットから取り出したポケギアの画面に表示された名前を確認してから、通話ボタンを押した。

「もしもし?」
「あ、グリーン。ねえ××ちゃんに代わってほしいの。あの子バッグ忘れちゃってるのよ」
「あ?××ならまだ来てねえけど」
「えっ?そんなはずないわよ。だって××ちゃんはー……まさか、まだ来てないの?」
「だからさっきからそう言っ、て…」

ポケギア越しに、もうとっくにジムに着いててもいい頃なのに、と呟いたナナミの言葉にポケギアを握っている手に力が入る。野生のポケモンとのバトルに苦戦でもしているのだろうか。普段の俺ならそう考えるだろうけど、つい先ほどポケモン協会から聞いたばかりのロケット団の話と重なって、悪い予感しか頭に浮かばない。
元の世界へと帰ったのか、それとも何かに巻き込まれたのか。ナナミとの電話を終わらせてからポケギアに登録された名前を眺める、だが登録された名前の中に××の名前がある訳がない。当たり前だ、彼女はポケギアを持っていないのだから。それを忘れてしまうくらい、今の俺は相当焦っているようだ。タマムシシティで彼女のポケギアを買っておけばよかった、今さらそんな事を後悔しても遅すぎるけども。

リーダー、××ちゃんに何かあったんですか。少し険しい表情を見せるヤスタカを見る限り、俺は相当不穏な空気を醸し出していたらしい。少し荒々しくポケギアをポケットに仕舞い込んでから、焦るそれを落ち着かせるようにふっと短い溜め息を吐いた。

ここで焦ってじっとしている場合ではない。今は××の行方を探さなければ。

「…俺ちょっと出るわ。何かあったらすぐ連絡入れるから」

そう言って、俺はジムの外へと足を急がせた。




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