「あら××ちゃんおはよう」
「おはようございます!…あれ?」

朝食の香りが広がる部屋の中には、ナナミさんの姿があった。いつの間に帰って来てたんだろうというそれは顔に出ていたらしく、ナナミさんは今朝早くに帰ってきたのよ、とふんわりと笑った。ナナミさんの姿がある代わりにグリーンの姿はなかった。ナナミさんの話によると、グリーンは今朝早くにポケモン協会から急ぎの連絡を受け取り、一足先に家を出ていったみたい。
その時のグリーンの様子は、何やらいつも以上に慌ただしかったようで。

「××ちゃんも外に出る時は十分に気をつけてね?」
「なにか、あったんですか?」
「ここ最近、ジョウト地方でロケット団の姿を見かけるみたいなのよ」
「…ロケット団、」

私はトーストにかじりつきながらナナミさんの話に耳を傾けた。
聞き覚えのあるその名前。それはこの世界では有名な、悪の組織の名前だった。どうやらナナミさんは昨日ジョウト地方に向かった時に、そこでロケット団の話を街の人たちから聞いたらしい。ずっと気になっていた謎のひとつが、ナナミさんの話を聞いて解けた。
それはこの世界が、今どんな時間軸になっているのかということ。ゲーム中の時間軸なのか、それともゲームとは全く関係のない時間軸なのか。
今まではなんの情報も手に入らなかったから解らなかったけど、ナナミさんの話を聞く限りではこの世界は今ゲーム中にあるロケット団がコガネシティのラジオ塔を占領する前だろう。グリーンが急ぎでポケモン協会に呼ばれたのは、今ジョウト地方で騒がれているロケット団のことなんだろうと思う。

「××ちゃん、今日は一人でジムに行くんでしょう?気をつけなきゃダメよ。絶対に」

とても心配そうな表情を向けてくるナナミさんの姿は、過保護っぷりが満載なグリーンの姿を思い出させる。知らない人には着いて行くな、とグリーンに言われた事のある注意もナナミさんからもらってしまった。この姉弟は本当によく似ているな、と思わず苦笑を漏らしてしまう。
まさかこんな歳になってまで人にこんなにも心配されるなんて思わなかったな。それは決して嫌なものではなく、なんだかくすぐったいような暖かいような、そんな気分になる。心配性なナナミさんに苦笑しながら、朝食を食べ終えた私は歩いてトキワシティへと向かう。たしかピカチュウをトキワの森で捕まえた時にも、グリーンに「注意力が欠けすぎてる」と言われたな、なんてぼんやりと思いながら。あの時は考えるより先に身体が動いてしまって、迷子になってしまったんだけど。
気をつけているつもりなんだけどな、とグリーンとナナミさんの心配を軽く受け止めていたことを、どうしてもっとちゃんと受け止めて行動する事が出来なかったのかとあとで後悔するはめになることを、この時の私は知るよしもない。



トキワとマサラを繋ぐ1番道路。
マサラからトキワシティまで行くには絶対に草むらを通らなければならない。草むらからは野生のポケモンがいつ飛び出してくるのか分からない上に危険だから、街の外に出る時は必ず自分のポケモンが必要になる。
私にはピカチュウという相棒が出来たものの今までバトル経験も、それこそポケモンバトルというものをこの目で実際に見たことがない。そんな私が本当にトキワシティまでひとりで辿り着くなんて出来るのか、と少々不安になりながらも草むらを掻き分けてゆっくりと1番道路を進んでいく。
ゆっくりと進んでいるのは、なるべく野生のポケモンに遭遇しない為。草むらをゆっくり進んでいけば、野生のポケモンにあまり遭遇しなくなる、とグリーンから借りた本に書いてあったし、グリーン本人からもそう言われた。
もし遭遇してしまった時は、今はまだピカチュウにバトルをさせる勇気を持っていないから、逃げる他ない。
もちろんポケモントレーナーとも目を合わさないようにしなければ。

1番道路をゆっくりと歩き始めてから数分、ふと視線を送った先に見つけたそれ。目に入ってきた二人分の黒い影に、ゆっくりと進めていた私の足がピタリと止まる。もしかしたらトレーナーかな、と気付かれないように静かに通り過ぎようとしたその時、耳を塞いでしまいたくなるような痛々しい鳴き声が耳に届いた。

「…なに、今の」

私の耳に届いたそれは人間の喉から出たものではなく、例えるなら小動物の鳴き声のような…しかもそれは、普通に接していたらまず出ないだろう鳴き声で。叫んでいるようにも聞こえたその鳴き声は、静かに通り過ぎようとした二人分の影が見える方から聞こえた。何だか、少し嫌な予感がする。
気をつけてね、というナナミさんの言葉が頭に浮かんだけど、そのまま通り過ぎるなんて私には出来なかった。
だってあんなに痛々しい鳴き声を聞いてしまっては、嫌でも足が止まってしまう。ゆっくりと進めていた足は、静かに二人分の影が見える方へと傾いて。私は、見なくていいものを見ようとしているのかな。気持ち的には躊躇しても、それでも足は止まらなくて。
二人分の影の会話が聞こえるくらいの距離まで、私はゆっくりと静かに近付いた。

「ったく手こずらせやがってよぉ。へっ、これだけ痛めつければ抵抗も出来ないだろ」
「このガーディ何に使うんだ?」
「ああん?んなもん研究員に聞けよ。俺達は取ってこいって言われただけなんだからよ」

私の頭では、理解しがたい会話が耳に届いた。その中でも引っ掛かった言葉は、ガーディ、痛めつけた、研究員。
…まさかね、なんて思いながらもう一度、よくよく目を懲らして二人分の影を見てみれば、真っ黒な衣装に身を包んだ二人。その二人の足元でうごめくのは、小さな黒い影。こんな時、冷静な判断が出来るような頭を残念ながら私は持っていない。ただ呆然とその二人の様子を伺っていたら無意識に動いていた私の足は、足元に落ちていた小枝をぱきりと踏んだ。

誰だ、と振り返った二人の真っ黒な衣装の胸元辺りには、赤い色でくっきりと「R」の文字が刻まれていた。




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