辺りが暗くなり街全体が民家の灯で照らされる頃になっても、ナナミさんは帰ってこなかった。朝にグリーンが言っていた通り、今日は本当に帰りが遅くなるみたいだ。
タマムシシティから一旦トキワのジムに戻り、私は「ジムリーダーの実力を見せてやる」というグリーンの言葉に少し期待していたのだけど、私とグリーンが出掛けている間にポケモン協会とやらが大量な仕事を持ってきたらしく、急に忙しくなったおかげで私の期待は見事に裏切られてしまった。
…見たかったんだけどな、グリーンのジムリーダーとしての実力を実際にこの目で。まるでおあずけをくらった犬みたいなこの状況。
まあ、グリーンは「近い内に見せてやるから」と言っていたけれど。ジムを閉めて家に戻った私は、今グリーンという先生にトレーナーとしての心得やバトルについて教えてもらっている。

「タイプとか相性とか、初歩的な事は分かってんだよな?」
「んん、水は電気に弱いとか?」
「そ。なんだよ分かってんじゃん」
「うー、曖昧だけどね」
「まあそこは俺が厳しく教えてやるから、安心しろよ」

「厳しく」という言葉が異様に強調されていたように思うんだけれども。何だかグリーンの顔がやけに楽しそうに見えるのは、私の気のせいだと信じたい。なんか怖い。
グリーンの話を聞きながらちらりとピカチュウへと視線を向ければ、イーブイと仲睦まじく…あれ、ちょっとちょっと、あんたら何をそんな取っ組み合いをしてるんだ。

「こらこら、ピカチュウ!」
「…ったくお前ら、なーにやってんだよ」

取っ組み合いをしていた二匹を離すためにピカチュウを抱き抱えれば、イーブイは体当たりでもするかのようにグリーンの腕の中へと勢いよく飛び込む。うおっ、と声を上げながらも、グリーンは飛び込んできたイーブイを見事にキャッチした。
ピカチュウとイーブイは何故か仲があまりよろしくない。もしかして、ピカチュウをゲットした時にイーブイのポケモンフードを使ってしまったせいかなあ、とか思ったり。

「もう、仲良くできないんだったらご飯抜きにするよ!」
「ちゃあーっ…!」

私の服をがっしりと掴み、いやいやとでも言うかのように両耳を垂らしながら首を振るピカチュウ。

かっ…かわいいんですけど!

ゆるゆると緩んでしまう頬を隠すことを忘れ、ちゃんと仲良くしなきゃダメだよ、と言いながらピカチュウをきゅうっと抱きしめる。
そうすればピカチュウも小さく鳴きながら抱きしめ返してくれた。
…うわあ。グリーンの呆れたような視線がすごく痛い痛い痛い。

「…ったく甘いんだよ××は」
「こ、こんなかわいいコに叱れる訳がないっ…!」
「たまには厳しくすんのも大事なんだよ。いいか?よーく見てろよ××」

言いながら、グリーンは腕の中にいるイーブイに視線を向ける。
グリーンはどんな風にイーブイを叱るんだろう、と私もグリーンとイーブイに視線を注ぐ。
イーブイはまだピカチュウに怒っているのか、グリーンの腕の中で少し暴れている。

「こらイーブイ暴れんなって!」

グリーンが少し険しい顔でそう言えば、イーブイは叱られることに気付きそれが怖いのか、逃げるように身をたじろげる。そうはさせるか、とグリーンはイーブイを抱き抱える力を少し強くしたが、するりとグリーンの腕の中からすり抜けたイーブイは、隠れるかのようにグリーンの服の中へと潜り込んでしまった。
イーブイが居る辺りのグリーンのお腹部分の服が盛り上がり、ふるふると震えてしまっている。かっわいいなあ。

「だーもう!服伸びるからそれやめろって!出てこいっつの!」

グリーンの声に反応したのか、イーブイは服の中から恐る恐る顔だけをちょこん、と出す。どうやら出てくるつもりはないらしい。
ふるふると震えているイーブイを見兼ねて、グリーンは頭をかき小さな溜め息を漏らした。
こんなにも怯えられてしまっては、さすがのグリーンも叱る気力が起きないみたい。なんだかんだ言って、グリーンも甘いよね。

「…あー、もう。叱らないから出てこいってイーブイ」

頭をかきながら諦めたように言葉を吐いて、イーブイがいる盛り上がった部分を服の上からぽんぽんと撫でれば、今までとは一変してグリーンの服の中から出てくるイーブイ。
愛らしさを振り撒きながら、イーブイはグリーンの周りをぐるぐると駆け回っている。

「グリーンも甘いね」
「うっせ。いいんだよコイツはバトル要員じゃねえんだから」
「ジムリーダーが言い訳とか…」
「っし、そろそろメシ作るか!」
「はぐらかした!」

じゃあそいつらのメシよろしく、とグリーンは逃げるようにキッチンへと姿をくらました。



「遅いね、ナナミさん」
「そうだな。どーする?先にメシ食っちまうか」
「ええ、でもそれは…」
「待ってても寝るの遅くなるし××が朝起きれなくなんだろ」
「痛いところ突かれた!」

ただでさえ××は朝が弱いんだから、と零しながら作っていたご飯を温め直しにキッチンへと向かうグリーン。
痛いところを突かれ何も言い返せやしない私は、グリーンが動いたことに続いて自分もテーブルの上を拭いたりと身体を動かす。
グリーンが作ったご飯の食欲をそそる美味しそうな匂いが、部屋中に充満していった。

…今日はナナミさんが居ないから、久しぶりにグリーンと二人で食卓を囲むんだけれども。
なんだか、懐かしさを感じさせるこの空気。あの頃に戻ったみたい。
だけど、タマムシデパートで起こったグリーンの意味が解らないあの行動のせいか、実はまともにグリーンの顔が見れてない。

「グリーンが女の子だったら、私絶対お嫁にもらう」
「××それ前も言ってなかったか?」
「だってホントにそう思うんだもん。褒めてるんだよ?」
「喜ぶ要素が見付からねえ」

笑い声と呆れ声が交差する。
本当にあの頃に戻ったみたいだ。と懐かしさを感じると同時に、グリーンと二人きりというこの空間に、少しだけ心拍数が上がる。

この心拍数が何を表していて、それでもこの空間の懐かしさがひどく心地がいいと感じてしまうその理由は。
それは、自分が在るべきはずの世界を思い出してしまうからなんだろうか、それとも。

…一緒に過ごしている相手が、

そこまで思考を巡らせたところで、それを停止させた。
何を考えているんだろう、私は。さっきまでの思考を振り払うかのようにぶんぶんと首を横に振ると、怪訝な表情を浮かべたグリーンと目が合ってしまい、私は頬をぽつりとかきながらごまかすように笑顔を返した。

さっきから早くなる一方の心拍数に、気付かないフリをして。

ちらりと視線を移した窓から見えた外の景色は、どんよりとした雲に覆われていた。

(……気付いてはいけない気がして、)




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