家の中に入って早々、彼は「やっぱちげーな、うん」と1人納得したように呟いた。あの時私を「ナナミ」と呼んだのは、ココが自分の家だと思っていたのだろうか。
彼を適当にソファーに座らせ、私は自分のココアと彼の珈琲を煎れる準備に取り掛かる。不意に聞こえてきた「俺のブラックな」という図々しい言葉に、あんたは私の友達かと苦笑する。
ココアと珈琲の準備が出来た私は、それを彼がいる部屋まで持っていき、彼と向かい合うようにソファーに座った。



「…だから、この世界にグリーンさんの家は無いと思います」

彼には何という酷なセリフだろうか、と自分でも思ったけど、本当の事だから仕方がない。全部、ぜーんぶ言ってやった。
この世界には「ポケモン」なんて生き物は存在しない。この世界での「ポケモン」は架空の生き物。実際に存在はしないけど、アニメやゲームはあるから存在は知っている…などなど。
さすがに彼がゲームの中のキャラクターであるとは、とても言えなかったけど。
私の話を聞き終えた頃の彼は、長い長いため息をつきながら頭をかいた。その表情は至って冷静に見えるけど、きっと計り知れないほどのショックを受けているに違いない。

「…まあ、そんなこったろうとは思ってたんだけど」

ポッポの一匹や二匹くらいいてもよさそうなもんなのにいねーわ、夜になってもホーホーの鳴き声はしねーわ、と珈琲を口に運びながら彼は淡々と語る。

「…なんか、腹減ったな」

ココがどんな世界なのか理解して、緊張がほぐれたのだろうか。彼は少し情けない声を出しながらそう言った。
だけど残念ながら私はさっき夕食をとったばかりで、生憎給料日前だから冷蔵庫にはおかずになるような食べ物は入っていない。私が食べようとしてたプリンと、卵ときざみ葱くらいならあるけど。あと、炊飯器にご飯くらいか。

「あの、コンビニ行ってお弁当とか買ってきます」
「いーって。ご飯と卵があれば何とかいけるだろうし」
「で、でも」
「いーっての。食えればいーんだよ食えれば」

冷蔵庫から卵ときざみ葱を取り出しながらそう言った彼は、ニッと笑みを浮かべる。キッチン借りるからな、と卵をボールに割りながら言う彼の姿は、とても様になっていた。
男性がキッチンに立つというこんな状況を実際に見た時がないから、何だか少し新鮮だ。それにあのグリーンさんだし。料理上手そうだよなーこの人。
なんて思いながらテレビをつければ、見たかったドラマのエンディングが流れ始めていた。それと同時にとても食欲をそそるような、醤油を焦がしたような香ばしい香りが鼻を掠める。その香ばしい香りが部屋に充満した頃、グリーンさんは出来上がったそれを持ってやってきた。

「…すごい、美味しそう」
「××飯食ったんだろ?」
「はい。食べました、けど」

でも、でもね。そんな食欲をそそるような香りを放つ食べ物を、目の前で食べられたら、いくらお腹一杯でも美味しそうに見えるものは見えるよ。
それを口一杯に頬張るグリーンさんを見てると、さらに美味しそうに見える。それにグリーンさんの手料理とか、少し食べてみたい気がするし。

「ごちそーさん。けっこー満たされるもんだな」
「お、お粗末さまでした」

一口くらいくれるんじゃないかという期待は見事に裏切られ、グリーンさんの手にあるお皿は綺麗に空っぽになった。いまだに美味しそうな香ばしい香りが鼻に残ってる。
空っぽになったお皿を下げようとしたら、何も言わずに自ら流し台に向かい洗い物をするグリーンさん。何だかやること成すことイケメン過ぎるよ。
こういう男性が「出来る男」とでも言うのだろうか。出来すぎのような気もするけど。きっとこの人、あっちの世界ではモテてるんだろうな。こっちの世界でもモテるんだろうけど。

「なんだよ人のことジロジロ見て…まさか俺に惚れたのか?」
「いや、それはないです」
「即答すんなコラ。じゃあなんなんだよ?」
「…なんか、カッコいいなーって思いまして」
「…そんな当たり前なこと言われたって嬉しくねーんだよ!」

そう言ったグリーンさんの顔が心なしか赤く見えたのは、きっと私の気のせいだろう。
グリーンさんは自分が使ったお皿だけではなく、私が後で洗おうとしていた食器まで洗ってくれた。なんなのこの人。できすぎくん?できすぎくんなの?

「なぁ××」
「はい?」

グリーンさんにナチュラルに名前を呼ばれて、ナチュラルに返事をする私。っていうか呼び捨てにしたよねこの人。さっきも呼び捨てにしてたけど。

「明日、なんか食い物買ってこいよな」
「そのつもりですよ。明日は給料日だし…あ、何か作ってくれるんですか?」
「…まあ、作ってやらないこともねーけどよ」

しゃーねえな、という風に少し上から目線のグリーンさんに苦笑する。というか、ナチュラルに明日食い物買ってこい発言したよこの人。成り行きでこうなったとはいえ、グリーンさんはここに居座るつもりなんだろうか。でもここから追い出したって、グリーンさんに行く所はないだろうし…それにグリーンさん、明日私に何か作ってくれるみたいだし。

「グリーンさん、」
「んー?」
「明日、楽しみにしてますね」
「…おう。任せとけー」

俺の腕前見せてやるぜーとか何とか言いながら、グリーンさんの言葉の語尾がだんだん小さくなっていく。ふとそんなグリーンさんに目を向ければ、両目蓋をピタッと閉じておやすみモードに突入。
よほど疲れていたのだろう、早い段階から聞こえてくる規則正しい寝息。本当はベッドで寝かせてあげたいけど、決して広くはない私の家にはベッドが私の部屋にしかない。
それを貸すとなると私がソファーで寝る事になるんだけど、私はソファーではなかなか寝付けないから、申し訳ないけれどそこはグリーンさんに我慢していただこう。
私の部屋に一枚しかない毛布をソファーに寝転がるグリーンさんに掛けて、おやすみなさい、と心の中でグリーンさんに声をかけてから、私も自分の部屋のベッドに潜り込んだ。




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