"トキワの森は天然迷路だからな。逸れたりすると面倒だから、勝手に動くなよ"

俺が××にそう言ったのは、今から数十分前というごく最近の話だ。くるりと首を動かして自分の周りを見渡してみれば、鬱蒼とした木々と野生のポケモンしか見当たらない。
××の姿は俺の周りの何処にも見当たらない。

…どうしてこうなった。

順序を追って話すとだな、さっきトキワの森についた俺と××は森の中を歩いてたんだ。
××は少しそわそわとした様子で、俺の後ろを着いてきてたと思う。ピカチュウ出ないかな、とか言ってはしゃいでた気もするけど。
歩きだしてから数分も経たない内に、俺の後ろに居た××は「ああっ!」という声を上げた。その声に振り返ると同時に、物凄い速さで××が俺の横を横切ったんだ。
一瞬何が起こったのか分からなかったが、俺を横切った××の背中がどんどん遠くなっていくのは確かだった。
おい××!と叫んだ時にはもう××の姿は見えなくなっていて、今に至る訳だけど。

「冗談だろ…」

じわり、と冷や汗が滲む。なんかもう、嫌な予感しかしない。
俺はガキの頃からトキワの森の天然迷路には慣れてるけど、もちろん××はそうじゃない。
あっちの世界でやってたゲームにもこのトキワの森は存在してたらしいけど、所詮ゲームはゲームだという事。
ゲームだったら操作次第で簡単にこの森から抜けられる、けど、生憎今の××にとってこの世界は現実な訳で。
きっとそう簡単に抜けられやしないだろう。
ましてや××は、ポケモンも持っていない訳で。
逸れんなって言った側から姿を消すとか、××のやつホントに人の話聞いてんのか。
なんて、ぐちぐちと小言を考えながら周りをキョロキョロと見渡してみるけど、人の姿の影形なんかありゃしない。
この場所から動かないのは、もし××が戻って来た時にすれ違わないようにする為。
…だが、戻ってくるという保証があるわけじゃない。
これはもう探した方が早いだろう、そう思い駆け出そうとした瞬間、明後日の方向から人の悲鳴のような声が聞こえてきた。
それは明らかに女の声で、××の声に似ていた。

「くそっ!間に合えよ…!」

最悪の事態にはなっていないでほしい。そう願いながら女の悲鳴がした方へと駆け出すけど、思考の約9割は最悪の事態ばかりが浮かぶ。

頼むから、無事でいてくれよ。



「―いっ…たたた…」

無我夢中で草村を掻き分けていたら、指に小さい傷をいくつも作ってしまった。
チリッとしたその痛みが、無我夢中だった私の目をようやく覚ましてくれたようで。
はっとして周りを見渡せば、グリーンはいないわ目に映る景色に見覚えはないわ。

…やばい、完全に道に迷った。

くるりと見渡した右も左も後ろも前も、鬱蒼とした草木がゆらゆらと風に揺られている。
ついさっきグリーンに言われた「勝手に動くな」という言葉を思い出して、その言葉通りになってしまったことを死ぬほど後悔して、反省したい、けど。
鬼のような形相をしたグリーンを頭の片隅に浮かべながらも、今この目に映っているその光景にひどく胸が高鳴っていて。
私が無我夢中で追い掛けていたそれは、少し警戒心をあらわにしながらこっちを見ている。
実物をこの目に映したのは、レッドに会った時以来だ。
この森に入ってすぐに見つけた黄色いこの子に、私は一瞬にして目を奪われてしまって。遭遇率が極めて少ないはずのこの子に、まさかこんなにも早く会えるなんて思ってもみなかった。
それを考えたらもう、この時を逃してはいけない気がして。
タタッと素早く走り去っていく黄色、私は何を思ったか前を歩いていたグリーンを追い越しその黄色を追い掛けて、今こうして黄色と向き合っている。

向き合っている、けど、

「……どうしよう、」

ポケモンを捕まえる為の道具もバトルの為のポケモンも、グリーンが持ってるんだった。
勝手な衝動でこの子をここまで追い掛けてきてしまったけど、今の私は何も持ってないイコール、成す術がない。

「…あっ…!」

前言撤回。肩にかけた小さめのピンク色が可愛いバッグ(ナナミさんに貰った)に手をかけて、ガサガサとその中を漁る。
急に動き出した私にさらに警戒心を強くしたのか、黄色いその子はピクリと身体を竦めた。
それに少し苦笑しながら「あったあった」とバッグからそれを取り出した。
それは昨日の夜、ナナミさんがポケモンフードがもう少ないわ、と言っていた事からトキワの森に行く前にフレンドリーショップで買ったもの。
もしトキワの森で迷子になってもそれは食うなよ、イーブイのなんだからな、とグリーンに冗談を言われた事を思い出す。
いや私が冗談だと思っているだけで、グリーンは本気で言っていたのかもしれないけど。まあそれはいいとして。
ポケモンフードの封を開けて手に少量のそれを乗せながら、ごめんイーブイ、と心の中で謝っておく。座り込んで黄色いその子に視線を合わせて、少量のポケモンフードを乗せた手をゆっくりと差し出した。

「…あー、えっと…お腹、空いてない…?かな」

まるで野良猫にご飯をあげているかのような、この構図。
いくらなんでも野良猫みたいにそんな簡単に餌に食らい付く訳ないだろう、とは思ってはいたけど、今の私にはこれくらいしかできない訳で。
まあやれるだけの事はやってやろうという気持ちが通じてくれたのか、警戒心を剥き出しにしながらも近付いてくる黄色。
それに少し安堵して「どうぞ、」と笑って一声かければ、黄色い小さな手はポケモンフードをさっと掴んで口に運ぶ。
よっぽどお腹が空いていたのかペロッとそれを平らげた黄色は、「ぴーかぁ」と私の膝をぺちぺちと叩く。もっと欲しいって意味だろうか。

「ご、ごめんね、これはもうあげられないんだけど…」

グリーンに怒られるのが目に見えてるし、ご飯が減ってしまうイーブイが可哀相だ。
そう思いながらピカチュウを見れば、赤くて丸い可愛いほっぺをパチパチといわせていて。
ああなんか、レッドのピカチュウもこんな感じだったなあとふと思い出す。

「ち、ちょっと待って、私の話を聞いて!今はダメだけど、私のところに来てくれたら毎日あげれる、から!」
「ぴかちゅ…?」

それ本当?とでも言っているかのように首をくりっと傾げたピカチュウに、母性本能をくすぐられる。私の胸がきゅんっという音を立てた。

か、可愛いじゃないか…!

「来てくれたら、だけど…」

どう?と首を傾げる私に、ピカチュウは「ぴーか!」と小さな手を挙げてから私の膝にぴょんっと飛び乗る。
それに驚いたうわあっ!という私の叫び声は、鬱蒼としたこの森に響き渡った。
そして私はピカチュウの事ですっかり忘れていた。
さっきまで頭の片隅に浮かんでいたはずの鬼の形相をしたグリーンの事を。




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