グリーンが差し出した一枚のトレーナーカードには、紛れもなく私の名前である「××」という文字が記されていた。
それを見た私に沸き上がった感情は喜びなのか何なのか、よく解らないもので、ぽかん、と口を開けたままグリーンを見た。グリーンの表情は至って冷静で、私と視線がぶつかるとグリーンは頭をかきながら口を開く。

「…お前、すげえ興味津々って顔で見てただろ?」

ふっ、と困ったように笑うグリーンを見て、私は自分の顔に熱が灯ったのが分かった。どうやら私は、思っている事をまた顔に出してしまったようだ。
でも、確かに顔には出しているんだろうけど、私の表情を見ただけでことごとく私の思考を読み取るグリーンが凄いと思う。

やっぱり、グリーンってエスパーなんじゃないの?

「…これは、ポケモントレーナーになれってこと…?」
「…や、無いよりは持ってた方がいいだろうと思ってな」

この世界で生きる為には。とグリーンは付け足した。確かに、この世界で生きる為にはこのトレーナーカードは持っていた方がいいのかもしれない。
先の事はまだ全く見当もつかないけれど、近い将来、自分のポケモンを手に入れる時が来るのかもしれない。
そういった事を考えていたら、私の頭の中は色んな思考がぐるぐると巡り廻りだす。
私はこの世界で、何をすればいい?どうすればいい?
今のところは、「人手が足りないトキワジムの手伝い」という目的があって。
だけどそれも、いつまでも続く訳じゃないだろう。
そもそも私は、一体いつまでこの世界にいるんだろう。
グリーンがあっちの世界に来た時は、"裂けた空間に触れた"というちゃんとした原因があって、その原因である"裂けた空間"に触れたグリーンはこの世界に戻った。
でも私にはそういった"原因"というものが見当たらなくて、眠っている内にこの世界に来てしまった訳だけど、だからといってもう一度眠ったからって元の世界に帰れるなんて事はなかった。
今の私は、元の世界に帰れるのか帰れないのかも解らない。
ちゃんとした"原因"が解れば、帰れるのか帰れないのかという事が解るかもしれない。
元の世界に帰る事が出来るのなら、私は今まで通り元の世界の生活を送るんだろう。
それじゃあ、もし帰る事が出来なかったら、私は…?

「××、」

不意に聞こえてきたグリーンの声に、私の意識は呼び戻され思考がぴたりと停止する。
私の顔を覗き込むグリーンの表情は心配しているような、困ったような、どちらとも言えない表情をしているように見えた。

「…どうした?」
「あ、ううん。何でもない」
「…そうか」

グリーンはそれ以上は何も聞いてこなかった。
いや、聞けなかったのかもしれない。一ヶ月という期間だったけれど、グリーンは少し前まで私と同じ立場だったのだから。
気を遣っているのか心配してくれているのかは分からないけど、それでも私の事を少しは気にかけてくれているんだろうと思うと、不思議と嬉しく感じてちょっとくすぐったい。

「…まあとにかくだ。ポケモンに興味が沸いたんだったら俺が教えてやるよ」
「うん、ありがとう。でも、グリーンって厳しそうだよね」
「××がお望みとあらば」
「いや、遠慮しておきます」

そりゃ残念だな、と口角を上げるグリーンにつられて、私の顔にも笑顔が浮かぶ。
この一連の流れが、私を不安にさせないようにグリーンがわざと仕向けたのだと、気付いてるから。思えばこの人はあっちの世界で一緒に生活をしていた時だって、暗い顔を見せたり、弱音を吐いたりなんて決してしなかった。
彼は本当に強くて、暖かい人。
こんな優しい人に甘えてるなんて、私ってなんて贅沢なの。でも今は甘えなきゃ、私はこの世界で暮らしていけないんだ。
…暮らしていけない、うん。
暮らしていけないんだけど…あれ、なんか…なーんか大事な事を忘れてる気がする。

何だっけ…?

「―あっ、」

暮らしていけないっていうか、暮らしていく家がない。
はっ、と思い出したように声を上げれば、グリーンの怪訝な顔と視線がぶつかる。

「なんだよ?」
「え、あ、別に、」

何でもない、と首を横に振る私に、「ねえ訳ねーだろ」と呆れた顔を見せるグリーンは私の額にデコピンを一発。
いや、だってさあ。家がないってのは本当にどうしようも出来ないっていうか、そんな事をグリーンに言ったってねえ?

というか、デコピンが地味に痛かったんですけど。

「結構強くやったね…」
「悪い。手が滑った」
「滑ったっていう表現が似合わないくらい命中したけど」
「わざとだからな」
「そ、それは滑ったって言わないよね!」

私は少し赤くなったであろう額を手で摩り、それを見てケラケラと笑っていたグリーンの表情が一変して真面目になる。

「××が嫌じゃなけりゃ、俺ん家に来いよ」

グリーンのその言葉に、額を摩っていた手はピタッと止まり、私は目を丸くさせる。
え、そんな簡単に「俺ん家に遊びに来いよ」的なノリで言わないでいただきたい。
確かにグリーンとはあっちの世界で一緒に生活を共にしたけども、あれは他に方法が無くて…いやでも、グリーンのこの申し出をもし断ったら、私って家なき子?
…なんか今さらだけど、とてつもなく今さらだけど、居場所もない住む場所もない今の自分の状況が切なくなってくる。
でもこの申し出を受けるのは、いくら何でも私はグリーンに甘えすぎなんじゃないか。
とは思いつつも、他に方法がある訳じゃないけれど。
この申し出は受けてもいいのか、断った方がいいのか。
テーブルの一角を見つめながら黙り込む私、その静寂を突き破ったのは私でもないグリーンでもない、透き通るような女の人の声だった。

「あら、グリーン?」

聞こえてきた声に私とグリーンは目を向ける。そこにはグリーンと同じくらいの色をした茶色い髪を、ウェーブさせた綺麗な女の人が立っていた。
グリーンは少し苦笑しながら女の人を見て、私と視線がぶつかった女の人は小走りで私の方へと駆け寄ってくる。近くで見れば見るほど美人さんだなあ、と見とれていたら、突然その女の人に両手をぎゅっと掴まれた。

「ねえ、あなた××ちゃんね?××ちゃんでしょう?お爺ちゃんから聞いたわよ。これからよろしくね?」
「え、えっ、えっ?」

何が何だか全く分からない私は、グリーンに助けてくれという視線を送る。その視線に気付いたグリーンは、苦笑いを浮かべながら口を開いた。

「あーっと…これは俺の」
「グリーンの姉のナナミよ。よろしくね××ちゃん」
「え、あっ、よ、よろしくお願いします…」

そういえば、グリーンにはお姉さんがいる事を思い出した。
そっか。この人がグリーンのお姉さんであるナナミさんか。言われてみれば、確かにグリーンに似てるかも。
でもグリーンとは違って、柔らかい雰囲気の人だ。

「可愛くない弟には飽きてたから、××ちゃんみたいな子が家に来てくれて嬉しいわ」

にっこりと柔らかい笑みを浮かべるナナミさんに、不機嫌そうな顔をしたグリーンがすかさず「おい」と突っ込む。

え、というかナナミさん今、とんでもない事をサラリと言いませんでしたか?




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