ごう、という吹き抜ける風はとても気持ち良くて、空から見下ろしたこの世界の景色はとても綺麗で…なんて、そんな余裕をかますことなんて出来る訳が無かった。顔に向かってくる強い風に顔が引っ張られるわ、飛んでいるその高さに驚愕するわ、私の身体を後ろから抱きしめるように支えてくれてるレッドさんとの距離が近すぎるわ、私の心臓は一体どの状況に心拍数を早くしているんだろうか。
マサラタウンに着くまでの時間はそんなにかからなかったけど、私には空中を舞っているこの時間が恐ろしく長く感じた。



リザードンが地に足を着かせ、レッドさんはリザードンの背中から飛び降りる。
私もレッドさんの見様見真似で飛び降りてみるけど、恐ろしく長く感じた空中飛行のせいか、私の足元はフラフラだ。
毎日の様にポケモンに乗っているのだろうこの世界に居るポケモントレーナーという人達を、私は尊敬したいと思う。
レッドさんはリザードンをモンスターボールに戻し、私はキョロキョロと周りを見渡す。
マサラタウンという街は想像していた街とは違って、かなり大きな街のように感じた。画面越しに見ていたそれが、あまりにも小さな街だったからだろうけど。マサラタウンがこれだけ大きく感じるのなら、ヤマブキシティやタマムシシティはどれほどの大きさなんだろうか。
シティというくらいだから、さぞかし立派な街なんだろうとは思うけど。こんな時に不謹慎だなと思いつつも、いまだ見る事が出来ない街の景色を想像して少しだけ胸が高鳴った。
博士の研究所はこっち、と私の前を歩き出したレッドさんを追うように一歩足を踏み出せば、ぐらりと縺れてしまう足。それはただ緊張しているだけなのか空を飛んできた恐怖からなのか、きっと両方なんだろうと思うけど、私の身体は倒れる前にレッドさんの腕に支えられた。

「あ、ありがとうございます、レッドさん」
「…いらない」
「…?」
「…さん付けしなくていい」
「え?あ、で、でも、」

そういえばグリーンさんの時もそうだったけど、この世界の人達はフレンドリーな人達が多いような気がする。
グリーンさんもレッドさんも、初めて会ったその日から私のことを呼び捨てにしてるし。
呼び捨てにされることは全然構わないけど、会ったばかりの人を呼び捨てにするのは恥ずかしいというか何と言うか。
それでも、呼び捨てにされる事が不思議と嬉しく思うのは、その分仲良くなった気がするから。それはレッドさんも感じてたりするのかな。
もしそう感じくれているなら、何だか少し嬉しいけど。

「あと、敬語もいらない」
「え、あ、はい…じゃなくて、うん。分かったよ。れれ、レッド…?」

彼を呼び捨てにするのが何だか照れ臭くて吃りながら返事をすれば、何故か彼に笑われてしまって余計に恥ずかしくなった。
「歩ける?」と首を傾げる彼に大丈夫と答えれば、彼は私の歩く速度に合わせてゆっくりと足を踏み出した。



「で、デカイ…!」
「…入らないの?」
「ち、ちょっと待って!準備が…心の準備が…!」

オーキド博士の研究所を少しナメていた。ゲーム画面越しに見ていた研究所も、確かに他の家よりは大きかったけれども。
実物の研究所は、当たり前だけどゲームの中のそれとは比べものにならないくらい大きい。
そして、こんな大きな研究所を構える偉大な博士と今から会うんだと思うと、改めてとてつもない緊張感に襲われる。今まで生きてきた間に、こんなとてつもない緊張感を味わった事があっただろうか。
仕事の面接の時以来、いや絶対それ以上だろう。
手も足も固まったままで、じっと目の前の大きな研究所を見つめていると、隣から聞こえたのは「大丈夫」と呟いた彼の声。
…不思議な事に、彼がそう言うと本当に大丈夫だと思えてしまうのは何故だろう。彼の言葉に小さく頷けば、彼はゆっくりと研究所のドアを開ける。
前を歩く彼を追いかけるように恐る恐る研究所の中へと入れば、白衣を着た研究員だと思われる人たちが勢揃い。
きっと元の世界では絶対に起こり得ないこの状況に、やっぱり少し戸惑ってしまう。

「やあレッドくん。久しぶりだね。元気だったかい?」
「…まあ、一応元気です」
「今日は博士に用事があるんだったよね?博士なら奥にいるから行ってくるといいよ」
「…はい。ありがとうございます。××、行こうか」
「う、うん…!」

研究員さんにペこりと頭を下げてから、前を歩くレッド…さん(やっぱりすぐには呼び捨てに慣れない)を追いかける。
研究所の奥へと足を進めていくと、目的の人物の元にたどり着いた。
ゲームやアニメで拝見した事はあるけど、纏っている雰囲気はそれとは全く違って偉大なる博士の風格を醸し出している。
…本当に、この人があのポケモン川柳をやっているポケモン博士なんだろうか。
ぜひ「ポケモンゲットじゃぞ!」と言ってもらいたい。

「久しぶりじゃな、レッド」
「…お久しぶりです。博士」
「積もる話もあるが、早速本題に入るとするかの」
「ありがとうございます」

××、と急にレッドさんに呼ばれ、緊張で固まっていた私の身体がビクリと跳ねる。
レッドさんには信じてもらえた話だけど、オーキド博士には信じてもらえなかったら…
なんて、そんな不安はオーキド博士の優しげな表情を見たら消えていた。ぽつりぽつりと自分の事を話し出せば、最初は驚いたような表情を見せたオーキド博士だったけどその目はとても真剣で。私の話が終わるまで、オーキド博士は黙って話を聞いてくれた。



「うーむ…ちと情報が少ないが、ポケモンの力によって君がこの世界に来てしまった可能性は多いにあるじゃろうな」

その答えは私にも予想は出来ていた。逆に、私はそれ以外考えられなかった。
もしそうなのだとしたら、そのポケモンは何の為に私をこの世界に連れて来たんだろう?
どうして私なんだろう?グリーンさんがあっちの世界に来た事とは何も関係ないのかな?
ぐるぐると思考を巡らせてみるけど、そうすればするほどキリが無くなってくる気がして私は思考を停止させた。

「じゃがこれも何かの縁じゃろう。君が元の世界に帰れるようにわしも力をつくそう」

オーキド博士のその言葉に頭を下げてお礼を言ったけど、何とも言えない気持ちになってしまったのは確かで。
私は元の世界に帰りたいんだろうか。帰りたくないんだろうか。それすら分からない。
…ううん。そういう問題じゃなくて、私はこの世界に在るべきではない存在だから、元の世界に帰らなければいけないんだ。
私が在るべきはずの世界に、帰らなければ。




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