今私の目の前にあるトレイに乗った食事は、赤い帽子をかぶった彼、レッドさんがジョーイさんに頼んでくれたものだ。
「お腹減ってるとろくな事考えないよ。俺もそうだし」と言ったレッドさんの言葉を聞く限り、やっぱりレッドさんに聞かれていた私のお腹の音。
病院食のような食事を想像していたんだけど、ジョーイさんが持ってきてくれた食事は私が想像していたよりも遥かに豪華な食事だった。

「やっぱり聞こえてました?」

聞こえていたんだろうと思いながらも再確認してしまうのは、心のどこかで気のせいであったらいいと思ったからで。

「…何が?」
「さっきの…」
「え?ああ…イワークの鳴き声みたいな」
「うわわわわ!言わないでくださいよもう!」
「…(聞いてきたくせに)」

気のせいであったらいいという期待は、見事に裏切られた。
やっぱり、さっきの私のお腹の音、レッドさんに聞かれてたんだ。そうじゃなきゃレッドさんがジョーイさんに食事を頼んでくれる訳ないよね、うん。
でも私だって一応乙女なのよ。
男の人(しかも全く面識のない)にお腹の音を聞かれるとか、恥ずかしすぎるんですが。
しかもレッドさん、全く表情が変わらないから余計に恥ずかしく感じる。
これがグリーンさんなら、笑い飛ばすなり呆れるなりしただろうに。まだ笑い飛ばしてくれた方がよかったかもしれない。
まあ聞かれちゃったもんは仕方ない、と私は気を取り直して手に箸を持ち、目の前に並ぶ食事を眺めた。
どれから食べようかな、なんて悩んでいたらチョロチョロと視界に入ってくる、黄色。

「ぴーか!」
「え、え?えーっと…どうしたの、かな?」
「ちゃーあ!」

そわそわと動く黄色、基ピカチュウは、トレイに乗った食事の一部分をじーっと見つめている。…あなたが見つめているそれは、食後のお楽しみっていう部分ですよピカチュウさん。
子供と女の子っていうのはね、そういうデザート的な何かが非常に楽しみなんですよー?
そんな思考の私を無視するかのように「ぴーか?」と首をくるりん、と傾げるピカチュウ。
なにこれかわいい。
かわいいけど、やっぱり私にだって譲れない物があるわ、と思っていたら、ピカチュウの赤くて丸いほっぺから微量の電気がパチパチと放出されている気がした。なにこれ怖い。
そういえばゲームの中のレッドさんのピカチュウは、レベルが80越えだったような。
それなら今私の目の前にいる愛くるしい黄色いこの子も、きっとそうに違いない。

「ぢゃあー」
「あ、うん。これあげる…」

ピカチュウの気迫に負けて、ピカチュウがずっと見つめて狙っていた林檎をあげた。
私から林檎を受け取ったピカチュウは、ぴかちゅ!と嬉しそうに鳴いてレッドさんの腕の中へ。ああ、私の林檎ちゃん。
でも、怖可愛い(どんなカテゴリだ)ピカチュウを前に、私は怒る気力すら起こらない。
というか、怒ったら多分殺られるんじゃないか。

「…名前」
「え、名前?」
「うん、名前。君の」
「あっ…!ごめんなさい!××、です」
「…そう。林檎、ありがとう」

レッドさんは自分の赤い帽子を手に取り、それをピカチュウの頭にかぶせて、ふわりとした笑みを浮かべる。
帽子をかぶらされたピカチュウも、「ぴか!」と嬉しそうに鳴いていて、お礼を言われたような気がした。
今まで帽子をかぶっていたせいかよく分からなかったけど、この人も相当なイケメンだ。
グリーンさんといいレッドさんといい、この世界の人達は一体どうなってるんだろう。羨ましいなちくしょう。
私が食事を取っている間レッドさんが無駄に整った顔をこっちに向けてくるもんだから、その視線が気になって気になって、この世界で初めての食事をよく味わう事ができなかった。



「ごちそうさまでした」

両手を合わせながらそう言ってレッドさんにお礼をいえば、レッドさんは無表情のままコクリと頷いた。
私のお腹は充分満たされた。さて次は、自分が置かれている状況を整理しなくてはならない。
レッド、ピカチュウ、シロガネ山、ポケモンセンター、これらの単語は私が居た世界では実在しなかったはずだ。
私の目の前に居る無駄に顔が整った彼は「レッド」と名乗り、ピカチュウというポケモンを連れている。
たったそれだけの情報なのに、ああ、私はポケットモンスターの世界に来てしまったんだなと冷静な判断が出来てしまうのは、グリーンさんの事があったからなのかもしれない。
だって私は、ほんの一瞬でも思ってしまったんだ。
その気持ちが小さかろうが大きかろうが、彼に、グリーンさんに会いたいと。
その思いが通じてしまったのかどうかはよく分からないけど。
あと、もうひとつ分からない事がある。
どうして私はシロガネ山の麓にあるポケモンセンターにいて、レッドさんまでもがここにいるのかという事。
悶々と思考を巡らせていたら、レッドさんが口を開く。

「…ねえ、××はトレーナーじゃないの」
「えっ…?」

今のは疑問形だっただろうか?
ただでさえレッドさんは表情が分かりにくい人なんだから、言葉くらい分かりやすくしてほしい。

「あそこには、カントーとジョウトのバッジを全て集めたトレーナーじゃないと入れない」

…うん。それは知ってる、けど。という事は、私はシロガネ山にいたって事?
見たところポケモン持ってないみたいだし、と私を見るレッドさんの表情は少しだけ怪訝そうだった。本当に少しだけね。
どうしてあんな所にポケモンも持たないで倒れてたの、とぶつけられたレッドさんの疑問。
私、倒れてたのか。レッドさんに見つけてもらえないまま凍死とかしなくてよかった。

「…聞いてる?」
「あっ、は、はい。えーっと…レッドさんが私をここに…?」
「…そう。修業場で凍死とかされても困るから」
「し、修業…あっ、ありがとうございました…!」
「お礼はさっきも聞いた」

さっきのお礼はご飯のお礼だったんだけどな…

「××はどうしてあんな所で倒れてたの?」
「…えっと…」

…これは、どうするべき?
全く面識もない得体の知れない女の「実は違う世界から来たんです」なんて話を、はいそうですかとそう簡単に信じてもらえるのだろうか?
頭沸いてんじゃないのとか思われたらどうしよう。
でも、信じてもらうしかないのだけど。
言葉を探しながらレッドさんを見れば、レッドさんのその黒い瞳と目が合う。
怪訝な色をしていた黒い瞳は一瞬だけ丸くなって、すぐ優しい色に変わった。

「…××の話、聞かせてよ」

その声はまるで子供を宥めるかのようで、レッドさんのとても優しい声色に私の不安は少し拭われたみたいで。
何の根拠も無いけれど、きっと彼はとても優しい人。


(…だって、彼はあの人の幼なじみだもの)




- ナノ -