「珍しいもの飲んでるわね、グリーン?」
「えっ?そう…か?」

朝は珈琲ばっかじゃない、とナナミ。確かに、そうなんだよ。
目が覚めたらまず珈琲を飲む、というのが俺の中の決まりのひとつで。
それなのに俺の手の中にあるマグカップに入っているそれは、珈琲ではなくココアで。
目が覚めた時俺は、何も考えることなく慣れた手つきでココアを作っていた。手が勝手に動いていたとも言う。
冷蔵庫に入っていたモーモーミルクを手にした時に、やっとそれに気が付いた。
慣れというものは怖いもので、昨日まで毎朝やっていた事を当たり前のように行動した訳だが、作ったそれを飲む相手が一体どこに居るというのか。
思わず苦笑がひとつ零れた。
作ってしまったものは仕方がない、と捨てる訳にもいかず、俺はそれを飲むことにした。
たかが一ヶ月弱とはいえ、××との生活のリズムは、そう簡単に変えられやしない。
俺は、一体いつまでココアを作り続けるだろう?

「……こんな甘いもん、朝から飲んでんじゃねーよ」
「グリーン、何か言った?」

別に何でも、と苦笑を交えながらナナミに返せば、ナナミは「変な子ね」と軽く首を傾げる。
俺の口には甘すぎるココアを全部飲み干してから、俺は家を出てトキワのジムに向かった。
ジムトレーナー達は俺があっちの世界に行く前と何ら変わらない。このジムの様子も、相変わらずといった様子だった。
相変わらずの挑戦者の少なさ。
このジムはカントー最後の砦だからか挑戦者が少ない上に、ジムリーダーまで辿り着く奴なんてそういない。
ぶっちゃけ暇と言っても過言じゃないこのジムの空気や、ジムトレーナー達の存在が懐かしく感じてしまうのは、一ヶ月弱という期間この場所から離れていたからだろうけど。
その懐かしさと同時に、何とも言えない違和感を感じた。
それは、朝からずっと感じていたもので。
一ヶ月弱もの間××と一緒に暮らしていたんだから、それが急に無くなってしまえば、少しと言えど違和感を感じてしまうのは、不思議なことじゃない。
だがその違和感は「生活環境が変わった(というより戻った)」という違和感ではなくて。
何かが欠けているというか、物足りないというか。
そう感じる理由が、何となくだけど分かってしまうから困る。
ここには居ない××の姿を、気付いたら俺は思い浮かべているんだから。

「―グリーンさん!」

不意に自分の事を呼ぶ声が聞こえて、その声にはっとして振り返れば、ジムトレーナーのヤスタカの姿があった。
ぼんやりとしていた俺の姿が珍しかったのか、ヤスタカは怪訝な表情をして俺を見ていた。

「どうしたんですか?失恋でもしましたか?」
「…まあ、似て非なるようなもんだな」
「えっ!グリーンさんでも女の子にフラれたりするんですか?グリーンさんを振るような女の子がいるんですか!?」
「フラれてねーよ!」
「え?だって失恋って、」
「だから、似て非なるようなもんだって言ってんだろ?」

なるほど、よく解りません。と首を傾げるヤスタカはますます怪訝な表情を見せる。
俺と××じゃあ失恋もクソもないんだよ。
それ以前の問題だ。

「…例え好きになっても、俺の気持ちはソイツに一生届かないんだよ」

高嶺の花なんてレベル通り越してんだよ、苦笑交じりにそう呟けば、意味が解らないと言いたげにヤスタカの表情が更に険しくなった。



「…俺、ちょっと出るわ。もし誰か来たらポケギアに入れてくれ。すぐ戻るから」

分かりましたよ、と返事をしたヤスタカは、またサボりですか?というような視線を俺に向けてきた。
サボりじゃねーぞ。断じて。
ジムを出て街の中を歩けば、見慣れた景色が俺の目に映る。
フレンドリーショップに、ポケモンセンター。あっちの世界には無かったけど、この世界には欠かせないもの。
ふと空を見上げれば、雲ひとつない空が広がり、その空にはポッポの群れが飛んでいた。
××が居るあっちの世界の空と似ているようで、何処かが全く違う真っ青なこの空。
この空の向こう側辺りに、××が住んでる世界があったりするんだろうか。なんて、ファンタジー思考が止まらない俺ちょっと寒い。
やっとこの世界に戻ってきたというのに、戻ったら戻ったであっちの世界が気掛かりで仕方ない。というより、××の事が気掛かりで仕方ない。
例えそれを気にしようが考えようが、どうしようもない事だと分かっているのに、だ。
この世界に戻ってきたからと言って、そう簡単に思考を切り替える事は出来ないらしい。
そんなどうしようもない事をいつまでも考えている自分が、1番どうしようもない気がする。
いつまでもそれに囚われていたって、仕方がないというのに。

「…んな事分かってんのにな」

ふっ、と苦笑が漏れる。
浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す、××の姿。
この何とも言えない曖昧な感情を、俺はどうすればいいのか。
もう会う事も出来ない、見る事も出来ない、話す事も出来ない、触れる事も出来ない相手だ。
だからと言って「仕方ない」「どうしようもない」という簡単な言葉で片付けたくない訳で。
だがどれだけ思考をぐるぐると巡らせようが、その答は何処にも見当たらない。
当の本人が、この世界には存在しないのだから。
ふと、ポケットから聞こえてきた無機質な機械音に、俺の思考はプツンと停止させられる。
けたたましい音を奏でるそれをポケットから取り出せば、ヤスタカの名前が表示されていた。
ヤスタカとの会話は数分で終わり、ポケギアを仕舞った俺は歩いていた道をくるりと引き返しジムに向かった。
ジムには一人の挑戦者がいて、俺は久々のバトルに腕が鈍ってないか少しだけ心配だった。

「悪いな待たせちまって。先に言っとくけど手加減はナシだ」

…結局、なんの答も見当たらないまま、刻々と時間だけが過ぎていく。今はただ、目の前のバトルに専念するとしよう。


(…俺に、彼女の事を考える暇を与えないでくれ)




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