やんわりとした光に包まれた彼の姿が消えたと同時に、その場所にあったはずの裂けていた空間も跡形無く消えてしまった。
力無くその場に座り込む私。
何かが切れてしまったかのように、瞳からはボロボロと水が溢れ出し、それはポタポタと地面に滴り落ちる。
私、ちゃんと上手く笑えた?
そんな問い掛けに答えてくれる人は、もう誰もいない。
涙でぐちゃぐちゃになってしまった顔を自分の腕でゴシゴシと拭っても、それはジワジワと何度も溢れ出しそうになる。
それが瞳からこぼれ落ちないように、私はゆっくりと空を見上げる。そこには、こんな都会では絶対に見ることが出来ないような、綺麗な満天の星空が広がっていた。



とてつもなく長い夢を見ていたかのような気分だった。
だけど家の中を見渡せば、確かにグリーンさんはココに居たんだという紛れも無い証拠が、至る場所に散らばっていて。
テーブルの上には二つの食べかけのケーキ、二つのマグカップ、ソファーには私のものではない男物の服が掛かっている。
この空間は、彼と過ごした日々のあれこれで埋め尽くされていて。彼と過ごした日々が、出来事が、物が、多過ぎる。
ココにはもう彼は居ないのに、彼の姿を探そうとしている自分がいるような気がして。
…もう、居ないのに。もう、会えないのに。
そう思えば思うほど、さっきまで止まっていたはずの涙がジワジワと押し寄せ、瞳から溢れ出しそうになる。それを押し止めるようにきゅっと唇を噛んで、私は自分の部屋に戻りベッドに身体を預けた。



翌日、目覚まし時計が鳴る前に、私の目は覚めてしまった。
朝が弱い私にとって目覚ましが鳴る前に起きるなんて、絶対に有り得ない事なのに。
ふと枕を見れば、水がじわっと広がっているかのようなシミが出来ていて、一瞬こんな量の涎を垂らしながら寝てしまったのかと思ったけど、そのシミは涎のシミではなくて押し止めたはずの涙だという事に気付く。
自分とグリーンさんの二人分の生活の物音はもう聞こえなくて、朝にはグリーンさんが用意してくれるココアを飲む事が日課になってたけど、それももうなくて。自分で用意したココアを飲んでみれば、その甘すぎるココアに顔が歪む。

「…あっま…」

しまった。グリーンさんにココアと牛乳の割合を聞いておくべきだった。
自分で作ったココアは甘すぎて、飲み干すのに一苦労かも。グリーンさんが作ったココアを飲む前までは、自分で作ったココアで満足してたのにな。
さて、とココアを口に運びながら冷蔵庫を開ければ、食べかけのチョコレートケーキがしまってある。しかも二皿。
そういえば、朝に甘いものを食べるのはいいって聞いた。
どこの情報だったか忘れちゃったけど。でもその情報が間違いにしろ、買ってきたのは私なんだから捨てる訳にはいかないよね。捨てるなんて勿体ないし。
今日はクリスマス本番だってのに、どうして朝からこんな寂しいクリスマスを過ごしてるんだろうか私は。
こんな事になるなら、ケーキなんて買ってくるんじゃなかったと少しだけ後悔。
ココアも甘いわケーキも甘いわで、胸やけがしそう。いや美味しいんだけどね。
そんな中一皿だけはケーキを食べ切って(自分を褒めたたえてあげたい)、残りはまだ冷蔵庫。残りのケーキも早い内に平らげなければ。
ケーキによほど苦戦を強いられていたらしく、ふと携帯を見れば仕事に行く時間が刻々と近付いている。
急いでシャワーを浴びて着替えて、バッグを片手に行ってきます、と家を飛び出した。
思わず出てしまったその言葉に、苦笑する。
昨日まで背中越しに聞こえていた「行ってら」という声はもちろん聞こえなくて、何だかそれが物悲しくて、物足りなくて。
私はきゅっと唇を噛み締めて、仕事に向かう。
仕事中はただただボーッとすることが多くて、何も考えたくないというか、何と言うか。逆に言えば、グリーンさんのことしか考えてなくて。
家に置いてあるグリーンさんの服はどうしよう、とか。
グリーンさんはちゃんと元の世界に帰れたのかな、とか。
今日のご飯はどうしよう?というそれも、グリーンさんが作ってくれたオムライスは美味しかったなー、とか。
仕事中は大体こんな感じで、これじゃ給料ドロボーとか言われても仕方ないかも。

「お疲れさま、」

と同僚に声をかけられて、もう仕事を上がる時間なんだと気付かされた。
家に帰って玄関のドアを開ければ、ごく自然に「ただいま」という言葉が私の口から漏れた。
もう「おかえり」と出迎えてくれる人は居ないというのに。
ただ、グリーンさんが来る前の生活に戻っただけなのに。
どうも私は、グリーンさんとの生活に慣れすぎてしまったようで。もう居ない彼のことを考えても仕方がないのに。
それなのに、私の頭の中からグリーンさんが出ていくなんて事はなくて。
グリーン、グリーン、グリーンって。いい加減うるさい。
そんな思考を停止させるかのように、私は夕食を取るのも忘れて早々にベッドへと潜り込む。それでもやっぱり、私の頭の中から彼が出ていく気配はない。
昨日の今日なのに、もう居ない彼にこんな感情が沸き上がってしまうなんて。

(……彼に、会いたい)




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