本来なら自分が在るべき世界の道ではないのに、図書館からの帰り道にもすっかり慣れてしまった。それは××との同居生活にだって。××がいるあの家に戻れば、彼女の仕事の愚痴を聞いたりしながら食事をしたり、あっちの世界の話をしながら食器を洗ったり。
それはそれは、もうずっと昔からそうだったかのような感覚に陥ってしまうほどで。
だけど、実際は違って。
ココに在るべきではない俺の存在が、××の中に刻まれる。
決して交えることのない者同士の存在が、お互いに刻まれる。
果たしてそれがいい事なのか悪い事なのか、ただ1つだけ分かっている事があるとすれば、それはこの世界は俺が在るべきではない世界だということ。
どれだけこの世界の環境に慣れようと、俺はココに居たらダメなんだよ。
そんなもん、最初っから分かってたことのはずなのに。
それでも、あの不思議な夢から目が覚めた時元の世界に戻ってなかった事に、俺がほんの少しホッとした理由は。



大根とちくわとはんぺんだろ、××に頼まれたのは。と、××に渡されたエコバッグの中を覗き込みながら、それを確認する。スーパーに着くまでは本当に忘れてたけど、スーパーで「寒い季節にはやっぱりこれ!」と大々的に押されていたのが、鍋とおでんで良かった。
なんて、良かったとか言ってられる状況なのか、俺は。
つい最近××の帰りが遅かった時に、えらい怒っていたのは何処のどいつだったっけ?
いや、俺なんだけどな。
でも今回のは仕方がなくないか?俺には、連絡手段というものがある訳じゃないし。
いや、でも、公衆電話とかそういう手もあったか。でも俺、××の携帯の番号とか、家の電話番号とか覚えてねーわ。
かれこれ10分程度はこうして××の家の玄関前で、ぐるぐると思考を巡らせながらうろうろとしているんだけども。
こんな時間にこんな事してたら、不審者に間違われてもおかしくないな。
連絡手段が無いとか、そんなものは言い訳に過ぎない。
悪いのは、図書館で眠ってしまった俺であって。いや、そもそも、あの図書館の部屋の温度があんなに心地よくなかったら、眠ったりなんかしなかった、とか、もうやめよう。
なんかカッコ悪い、俺。
素直に謝るしかないだろ、とため息をつきながらドアノブを掴もうとしたら、突然ドアが勢いよく開いた。

「………」
「……、」

このタイミングは、いいのか悪いのか。俺の目の前にいる××はコートなんか羽織っちゃって、いざ探しに行きますよーなんて格好にしか見えない。
怒っているのかいないのか、ほんの少しだけ目を丸くする××と、大根やらちくわが入ったエコバッグを片手にぶら下げている俺。
そんな俺と××を包み込むのは、ひんやりとした冷たい風と、静寂。それを破ったのは、意外にも××で。

「…寒く、ないですか?」
「…そりゃ、寒いだろ」

なんだこれ、デジャヴ。
初めて××と会った時も、こんな会話をしたような。
なんて、懐かしさに浸ってる場合なんかじゃない。ふと××を見れば、××の目が少しだけ潤んでいるような気がした。

「…中、入りません?」
「……あのさ」
「入りましょうよ、寒いし」

俺の言葉を遮り、そう言って家の中に入ろうと踵を返す××の肩が、心なしか震えていたような気がして。
××、と勝手に動いていた口は、一体彼女に何を言おうとして動いたのか。
とにかく、謝らなければと紡ぐ言葉を探そうとするけど、それがなかなか見つからないままふと××を見れば、だんだんと××の顔が俯いていく。
…泣く、か?これは。
今はまだ我慢しているように見えるけどそれも時間の問題だ。
××の泣き顔を見たのは、俺がこの世界に来た時の話をした時と、あの不思議な夢の中だっただろうか。なんて、そんな事言ってる場合じゃないか。
どちらにしろ、俺が××にそういう顔をさせている事には変わりはない。
家の中に入ろうとしていた××の足は、呼び止めた俺の声に止まったまま。
口より先に動いたのは俺の手で、俯く××の頭を撫でれば××から小さい嗚咽が聞こえ始める。悪い、ごめんな、そう繰り返し呟けば××は肩を震わせながら、弱々しく首を左右に振った。

「…なあ、泣くなって」
「違っ…こ、これ、鼻水、」
「あー…はいはい鼻水な」

いつかも、こんなやり取りをしたなーと思ったのは俺だけじゃないはず。
そんな昔話に苦笑を漏らしていたら、××の口から聞こえてきた途切れ途切れの「おかえりなさい」
それだけ、だった。
××のたったそれだけの一言で、俺は沸々と沸き上がるこの感情に気付いてしまった。
それはきっと、違う世界から来た俺が抱いてはならない感情。
…そうか、だから俺はあの不思議な夢から目が覚めた時、ホッとしてしまったんだ。


(…もう少しだけこのまま、なんて、俺はどうかしている)




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