ふっ、とため息をつけば、口から出たそれは白く、寒々とした空気に溶けていく。
良かった、マフラーあって。
××の家から一歩出たこの街は、今の季節、少々浮き立っているように見えた。それも、行き交う周りの人間たちは、カップルというものばかりで。
××曰く、それはクリスマスが近いから、ということらしいけど。周りを見渡せば、街の中にはやたらと赤と緑が散らばっていて、この世界の誰もがそれを楽しみにしているんだということが、よく分かる。
そういえば、そろそろツリーを出そうかなー、と××もつい最近言っていた。口元をマフラーで覆いながら歩いていけば、もう常連となってしまった図書館に辿り着いた。少し興味を引かれた本を手に持って、適当にそこら辺の席につく。
この図書館に来た理由なんてものが特になくても、何もしないという訳にもいかないだろう。でも、きっと今日も見つからないであろう、元の世界に戻る手掛かり。それでもココに足を運ぶのは、少なくとも俺は元の世界に戻りたいと思っているんだろう。姉ちゃんだって爺さんだってヤスタカたちだって、俺のこと心配してるかもしれないし、それにアイツらだって。
家族やジムの心配はもちろんだけど、1番気がかりなのはやっぱりアイツらのこと。まあ、そんなに心配しなくても、アイツらのことだから何だかんだ俺が居なくても、上手くやってるんじゃないかとは思うけど。
なんたって俺の手持ちだしな。
こうして元の世界のことを考えていると、何だか妙な引っ掛かりを感じるのは、何故だ。俺は在るべき場所に戻らなければならない、ずっとこのままという訳にはいかない、それなのに。
…それなのに、何を訴えているのか、この妙な引っ掛かりは。

「…分かってるから、もう、いい加減にしてくれよ…」

ポツリ、とため息と一緒に呟いた言葉は、この異様に静かな部屋に響き渡る。この空間にいるのは俺と、何だか真面目そうな男女が2、3人いたが、そいつらにうるさいと言わんばかりに睨まれたのは、言うまでもない。
それに思わず苦笑を漏らして、開いていた本のページを、ゆっくりとめくった。
分かってる、のは、この状況。
このままではいけない、と思いながらも、この状況なら仕方ない、と甘えたのは俺だ。
まさかこんなにも、この世界に長居するなんて思ってもいなかったんだから、最初は。
だが日増しに強くなる、このままではいけないというそれと、それとはまた違う何か。その何かが、この妙な引っ掛かりの原因なんだと思う。
思い当たるのは、ひとつ。

それはきっと、××の存在。

彼女の存在さえなければ、俺はきっと死に物狂いで、元の世界に戻る方法を探しているんじゃないだろうか。元の世界に戻ったら、もう二度と会うことはないだろうという存在だ。
それは俺も××も、分かってることだろう。
だからだ。だからこそ、俺はこの状況をなんとかしなければならない。彼女の存在が、俺の中で今より大きくなる前に、歯止めが利かなくなる前に。
戻りたい、だが戻れない、分からない、でもこのままではいけない、なんとかしなければいけない、だけど、それでも。
ぐるぐると回る思考、それを停止させようとする、異様に静かなこの部屋の温度。
暖房の暖かさが、俺の頭の中を侵し始める。
開かれた本のページがぼやけるようになった頃には、俺の頭の機能は停止していた。



ぼんやりとした景色の中、ひとりで佇んでいる俺の姿が見えた。恐らく、これはリアルではない、ただの夢。
自分で自分の夢を見るなんて、何だか少し気持ちが悪い。なんて考えていたら、夢の中の俺は何を思ったか、不意に何処かに向かって歩きだした。
…変な夢だな、そう思いながら歩きだした夢の中の自分を、ぼーっと眺めていた。
すると歩いている俺の後方から、最近見慣れたはずの姿が走ってくるのが見えた。どっからどー見ても××だよな、あれ。
なんだって俺は、こんな夢を見てるんだ?まあ、見ちゃってるもんは仕方ないか。
夢の中の××は俺の背中まで辿り着くと、きゅっと俺の服を掴んだ。それに振り返る、俺。
すると××は俺の服を掴んでいた手を放して、笑顔を浮かべると、片手を左右に振りながらゆっくりと口を動かした。

『     』

それを聞いた夢の中の俺は、一瞬だけ目を丸くする。
なに、言ったんだよ?なんて、そんな疑問はもう、××の様子を見ていたらすぐに消えた。
だって、この時の××の笑顔が、今にも泣き出しそうだったから。××はこの時どんな思いで、俺に『バイバイ、』と言ったのだろう。




「―せん、閉館の時間です」
「―っ…あっ、れ…?」

聞き慣れない女の声に目を覚まし、ふと周りを見渡せば、さっきまでこの空間にいたはずの真面目そうな男女の姿は無く。
ああ、やっちまった。
なんて、目をこすりながらこの部屋に設置してある時計に目をやれば、その眠気は勢いよく飛んでいった。

「やっべ…!」

勢いよく身体を起こして机の上に開かれた本を手に取れば、「こちらで片付けますのでいいですよ」と、女が頬を少し赤く染めながら言う。
悪い、ありがとな、と片手でそれを示せば、より一層女の頬が赤みを増した気がしたが、それを気にするほどの余裕は、今の俺にはない。素早く図書館から出れば、その空間とは対照的なこの寒さに、思わずマフラーを巻き直した。
多分、あんまり意味ねーけど。

「なんか、頼まれてたよな?」

ふと、出掛ける前××に何かを頼まれたことを思い出してみるが、肝心の何を頼まれたのかを思い出せない。
人のこと言えねーな、と苦笑しながら、俺は急ぎ足でスーパーに向かう。まあ、スーパーに着いたら思い出すだろ。

(目が覚めた時、ココが元の世界じゃなかったことに、俺はほんの少しだけホッとしていた)




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