(2)
益田はだらだらと駅構内を歩いた。
家で悩んでいても仕方がないだろう、とかなり早く家を出たから約束の時間には随分余裕がある筈で、つまりはだらだら歩き放題であったのでそれに甘えた。
足が重い。進まない。だが、会いたい。いや、会いたいか?もうそれすらあやふやだ。
一睡も出来なかったのに、目は冴えていた。
まさか青木があんな強烈な代物を愛読しているとは思ってもみなかった。表紙の時点でぎょっとさせられたが、中身はさらに凄まじかった。
どこかにまともな記事があって、それを読むために購入したのではと願いながら一通り目を通したが、より疑念が増したものこそあれ、まともそうなものは一切無かった。
何かに納得したかったが無理だった。
ポルノ雑誌の何冊かくらい持っていて当然だとは思うが、それにしたってあれは酷い。
まさか青木があんなものを読むわけがない、なにかの間違いが重なってあの卓袱台の上にあったのだと思いたいが、考えれば考えるほど青木の生真面目さが一周回って逆に怪しくも思えてきて。
それに昨日は部屋に行きたいと言ってあった。そんな日に中々に酷いポルノ雑誌を出しっぱなしにしているということがあるのだろうか。もはや隠れたメッセェジなのではないか。こんな趣味がありますが、どうぞよろしくというような。なんなら旅先でそういうことを試みたい、ということなのではあるまいか。
旅行に誘ってくれたことだけを単純に喜んでいた己の阿呆さ加減が恨めしい。
階段を上がってホームに出ると青木が柱の近くで立っているのが見えて、反射的に駆け寄った。
どんな言葉を最初に吐けばいいのかも分からなかったのに、足が駆けていた。会いたかったんだと思った。
「青木さん」
「…おはよう。益田くん」
「おはようございます」
ほっとした笑みを浮かべて青木がこちらを見る。
「乗ろうか」
「え?もうこれが予定の列車なんですか?」
「そろそろ時間だからね」
ホームで既に扉を開けて待つ列車に視線を移してから、苦笑交じりの声に慌てて時計を見れば確かにぎりぎりの時間になっていた。
「すっ、すいません」
「間に合ってるんだから謝る必要なんてないよ」
困ったように笑みを浮かべて青木が列車の中へと歩いていくのについていった。
地方へと向かう急行列車は観光繁忙期ではないのと平日であるからかそこそこ空いていて、誰も居ないコンパートメントを見つけることが出来た。
「荷物、貸して」
網棚に荷物を載せながら言う青木に、ありがとうございますと言って荷物を手渡し、そろそろと座った。
青木がちらりと視線をこちらに向けてから、躊躇いがちに反対側へと座る。向かい合わせに座っても、視線は合わなかった。
どうしよう。気まずい。
青木は肘をついて窓の外を眺めている。ホームなんて見てないで、何か説明して欲しい。旅行の主旨だとか、なんでもいいから。
気まずい沈黙が続く中、発車のベルが鳴った。これは良いきっかけなのではないか、と益田が勇気を振り絞る中、青木がやっとこちらを向いた。悩ましげな顔をしている。
「あのさ、昨日おかしなものを見たから今こんな雰囲気になってるんだと思うんだけど、あれは違うんだ。貰ったもので僕が買ったりしたものじゃない。僕にはあんな趣味はないんだ。お願いだ、信じてくれ」
「え…、えぇ」
一息に言うその勢いに押され、ただ頷いた。必死なのは伝わった。
だが、言うことをそのまま信じていいのか、隠してきたことがばれて焦っているのかが分からない。どちらかというと変態疑惑が増した。
しかもそれが青木に伝わってしまったのか、青木が掌で顔を覆った。
気まずさが加速する。
沈黙が身体にちくちくと刺さる。列車の走る音が鮮明に聞こえる。いつの間にか景色は緑色に染まっていた。かなり遠くまで来ている。
こんなことなら昨日青木の部屋へと行くのではなかったと後悔した。
真相がなんであれ、青木が今神経をすり減らしているのは確実で。それは僕のせいで。忙しい中旅行に誘ってくれたのに。いつまでもこんな調子じゃ駄目だ。男だろう、益田龍一。雄々しい名が泣くぞ。
自分を奮い立たせて口を開く。
「青木さん」
「うん」
青木が、頼むという目で見てくる。
「あの、ですね…」
なにを頼まれているんだ。考えろ、考えろ。
どちらが正しいんだ。
そんな趣味ある訳ないですよね、と言うのが正しいのか。どんな趣味があろうと僕は受け止めますと言うのが正しいのか。
間違えれば、どちらにしても失礼だ。
だが、疑う方向のほうがまだいい気がする。どんな趣味があろうと僕は受け止めます、はまだ失敗がきく。あとでひたすらに謝ればいい。そんな趣味ある訳ないですよね、と言って、もし青木にそんな趣味があったら。もう青木は二度と言い出せなくなるだろう。
それはそれでどうなんだ。
だが、冤罪覚悟で前者を言ったとして。そして事実冤罪であった場合、そんな趣味があると思われたことに傷つかない筈もない。
そこから、君は僕のことをそんな風に思ったんだねという風に不信感を抱かれてゆくゆくは嫌われたらどうしよう。
判断材料が少なすぎる。
とりあえず、本能に従った。
逃げた。
「…昼は駅弁にしますか、食堂車に行きますか」
青木は唖然としている。
申し訳ない。
でもこれは旅行においては中々に重要だと思うんですが、いかがでしょうか?と言い訳を考えたが、自分がこの状況で言われたら間違いなく腹が立つのでやめた。
急行列車は次の駅へと止まろうとしていた。
「駅弁良いと思いませんか。ちょっと降りて売店見てきますね、僕」
自分を罵りながら腰を上げた時、列車がホームへと滑り込みながらブレーキをぐっとかけ、がくんと大きく揺れた。
中腰ではバランスをとることもままならず、こけそうになった瞬間に青木の腕がさっと伸びてきて、引かれるままに青木へと倒れこむ。
「…すいません」
これ以外も含めて色々。
だが、これこそが良いきっかけのような気もして、そのまま青木の膝の上に居座った。
「…益田くん?」
じっと青木を見つめていると、困ったように眉を下げた笑みが返ってくる。
「駅弁はいいのかい?」
「さらに次の駅でいいです」
「適当だなぁ」
くすりと笑う姿に安心して抱きついた。
空気が緩んだ。気まずい空気はどこかへ行った。青木の中には残ってはいるだろうけど。でも青木がほっとしているのは分かったから、下手なことを言うよりはずっと良いと思った。
青木が信じてくれというならそれをそのまま信じればいい、真相なんてなんだっていい、とちょっとだけ思った。
ちょっとだけ。
流石に全面肯定はきつい。貰ったにしても青木がすぐに捨てずにいたのは事実だ。
「なんだか全部信じてくれてないのは伝わってくるけど、もういいよ」
現役刑事は大変鋭く、それでも楽しそうにしてくれていたから。
昨日見たものはひとまず忘れることにして、ぎゅうと腕に力を籠めた。
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