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わたしのものになればいいのに(前編)


益田は席を立ち、依頼人が喫茶店を出ていくまで頭を下げた。

出会い頭で失せ物の在処を指摘されたことで「探偵」にすっかり恐れをなしたらしいその依頼人が、精算を事務所の外で済ませたいというので、榎木津ビルディング近くの喫茶店へと移動したのだ。

椅子の背凭れにかけていた外套を羽織り、益田が自分も出ようとしたところで、青木が考え込んだ顔をして喫茶店へと入ってきた。

今朝会った(というより昨日の夜から朝まで一緒にいた)ばかりであったけれど、何度会えたって嬉しいものは嬉しい。


しかし。

声をかけようと歩を進めたところで全身が凍りついた。


青木の後ろには同伴者がいた。しかもそれは随分と綺麗な女性で。二人で店員に促された席へと向かう。青木がこちらを一切見なかったのが良かったのか、悪かったのかは分からない。とにかく声をかけるタイミングは失った。立ったままの姿が目立たぬよう、慌ててもう一度椅子に座り込み、悲観せぬよう気をつけながら、ゆっくりと考えてみる。

どうしてだ。今日は青木は非番のはず。つまりは私用だ。私用で女性に会っている。その理由はなんだ?



……悪い方に考えるなという方が無理だ。


入り口が間口の中央にあるこの店では、入って左側の一番奥に座っていた益田からは、入って右側の奥の席に座る青木達の声は聞こえなかった。しかし、狭くはないが、そう広い店舗ではなかったし、視界を遮るものもなかったので姿は勿論見えていて、女性が笑っているのが見えた。青木は益田の方に背を向けているので表情は見えないが、女性一人が笑っている状況の方が可能性としては低い。

奥手だなんだと青木は言うけれど、ただ話すだけで人のよさが伝わるのだから、もう奥手かどうかは関係ない。恋人と呼んでも(おそらく今朝までは)差し支えのない自分の贔屓目も大いに入っているかもしれないが正直女性と話すところなど見たくない。女性が青木に惚れたというのなら、それは当然だと頷き合える自信がある。だから出来れば止めて欲しい。


それに女性と話す青木を見ると、敦子のことを気にしていた頃の青木を思い出してしまう。あぁそうだよなぁ、そりゃ女性の方が良いに決まっているよなぁと、思考がどんどんマイナスの方向へと流れていくのを止められない。もともと自分なんぞと一緒に居てくれるのがあり得なかったのだ。気の迷いにつけこんだ気さえする。

もうただの自己嫌悪になりかけてきたところで、最悪の事実に気付いた。

神保町にあるこの喫茶店は、青木の水道橋の下宿先からも近い。もしや青木はこれからあの女性と連れ立って下宿へと帰るのではという最低の想像をしてゾッとした。

事件がおきて非番の人間も召集されたのかもしれないとも思ったが、青木の格好は幾分崩した休日用のものであったし、またそのことが、より一層不安を煽る。



青木に向かって話す女性を見て苛々している自分に気づいて情けなくなり、伝票を持って会計へと向かう。歩きながら、今日のことは見なかったことにしようと決めた。聞き出せる自信がないし、なにより聞いたことで「実は他に付き合っている人がいて…」などと切り出されたら卒倒してしまう。


青木がそんなことをするとはとても思えないが、それでは今の状況はなんなのだと悩んでいると注意がそれてしまっていて、店員の差し出した釣り銭を取り落とした。

自分がさらに情けなくなった。



*****



青木は相槌を打ちながら、壁にかかる時計へとちらりと視線を移した。

猫目堂で飲んだ際にお潤から、相談事がある子がいるのよと頼まれて会っているのに、目の前に座るその人は、中々話を切り出さずに関係のなさそうな話を続けている。

「その時、お潤さんが助けてくださったんです。本当に有り難かった」

そう言って微笑んでさえ見せる様は、少し益田を彷彿させた。悩んでいることほど口に出さずに別の話を長々としたり、無理にでも笑みを浮かべようとする。

まだこの女性の方がその傾向は軽度なようで、言い出そうとする様子は見えている。

もうしばらく関係ない話を聞いてみて、それでも言い出さなければこちらから切り出そうと決め、間をもたせるために珈琲を啜っていると大きな声がした。

「うわぁ、すいません!」
「あ、いえ、こちらこそ。僕がぼうっとしてたんです」

元気よく謝る店員の声に続いて、聞きなれた声が聞こえた気がして青木がそちらへと首を向けると、入り口横の会計場所で益田が身を屈めている。

何をしているんだろうと、そのまま見ていると、どうも落としてしまった釣り銭を拾っているようだった。

店員とぺこぺこ頭を下げあっている様子に、彼らしいなと笑みがこぼれる。ようやく頭を上げた益田がこちらを向いたので、軽く挙げようかと思った手が止まった。

益田が露骨なまでの動揺を見せたのち、目を見開いて立ちすくんでいる。そんな反応をされる訳が分からず、青木が呆気にとられているうちに益田が店員に再度頭を下げてから逃げるように店を出ていく。

―――なんだろう?

完全に避けられたことに驚いてそのまま見送ってしまった。益田の考えることはかなり分かってきたとは思っていたが、まだまだらしい。


「あの、青木さん。どうかなさったんですか?」
「いえ…、友人の様子がちょっと変だったので…」


心配そうに聞かれた問いに答えている最中、はたと気づいた。今の自分が益田の思考回路からするとどう見えるのか。きっと想像たくましく、悪い方に、悪い方に考えている。

女性と相席している自分。

無性に深い溜め息がつきたくなった。二人の関係に自信をもてずに悩んでいるのを見ていると、自信を与えてやれない自分がもどかしくなる。

「あの、30分ばかり時間を頂けませんか。少し…緊急の用事が。戻ってきますので」

気づけばそう言って椅子から立ち上がっていた。了承をとろうと声はかけたが、外套まで手に取っていたから、もう宣言と変わらない。不思議そうな顔をしながらも頷かれたのを確認すると店を飛び出して、益田を探す。

もう辺りに姿は見えなかったが探偵事務所の方へと目指して駆けて角を曲がると、成る程とぼとぼというのはこういうことか、と納得させられる歩き方をした益田の背が見えた。


「益田くん!」

呼び止めようと声をはりあげれば、益田が止まるどころか早足で歩きはじめた。


なんだよ。次はどんな想像をしたんだ。別れ話でもされると思ったのか。してやるもんか、そんなもの。


馬鹿げた勘違いで大の男二人が走るという間抜けな状況が可笑しくなってきたが、笑いながら走るというのもどうなのか。


ひとまず駆ける速度を上げた。


「益田くん、止まれ!」







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