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失踪スケルツォ


信じられないような大きさのブレーキ音が聞こえて、増岡は思わず探偵事務所の窓に近付き外を見た。黒塗りの高級車が一台、探偵社の前に停まっている。

益田と榎木津の二人で、午前中は榎木津の実家に用事で行くと聞いていたから、その帰ってきた車だろうと想像はついたが。それにしても。

「なんだ、今の音は」
「あぁ、帰ってきたようですな」

自分とは対照的に、安和はのんびりと言う。その言葉を裏付けるように、しばらくすると扉が乱暴に開いた。鐘が跳ね上がって綺麗に鳴らない程に。

あまりに乱暴に開けるから探偵の方かと思えば、意外にも扉を開けたのは益田だった。それも血の気が引いた顔で、口元をぐっと手で押さえている。背後に榎木津の姿も見えない。榎木津を置いて、ひとり、階段を駆け上がってきたようだった。


「あれ、先生はどうしたんだ。益田くん」

安和が普通に話しかける。

―――益田のことはいいのか、この顔色だぞ。

幾分驚いた自分を余所に、話しかけた安和に首を数度振って寄越しながら、益田が厠へと駆け込んでいく。

二週ぶりかという益田との対面は、目を合わさぬまま、目にもとまらぬ早さで、そんな風に一度、あっけなく終わった。



*****



「根性が足らないぞ、マスヤマ」
「根性じゃどうにもなりませんよ、あれは」

無謀運転をしていた張本人らしい榎木津が椅子で伸びをしながら快活に笑うが、益田はまだ気持ち悪そうに目を閉じている。二人で飯でも食べに出掛けようと思っていたが、この様子ではあとしばらく食べ物は見たくないだろう、と事務所にそのまま居た。

車酔い。

珍しく心配してみれば、そんな話らしかった。くだらない。心配をして損をした。


「先生の運転する車の中で書類を読もうとするなんて、そりゃ無茶だ。君が悪いな」

向かいのソファの背にぐったりと凭れる益田の隣で安和も茶を飲みながら笑う。その声に益田が漸くソファから身を起こして、しみじみと言った。


「前から思ってたんですけど、絶対おかしいですよ。あんな運転で免許持ってるなんて」
「所持自体は合法だろう。けちをつけるな。そもそも君が言うような相手に免許を交付したのは、君が昔所属していた警察機構の方なんだぞ」

事実を指摘してやると、益田がこちらを見た。

「そこの弁護士さんは少し黙ってください。せめて僕の弁護をしてくださいよ。いついかなる時も僕の味方じゃないんですか?」
「時と場合によるな」

つらっと正直な言葉を返すと益田が口を小さく開けて固まった。一重の切れ長の目が、信じられないというように驚きで見開かれている。

「え、冗談ですよね?」
「いや、違う」

その無根拠な上に絶対的な信頼はなんなんだ。

不思議にも可笑しくも思っていると、益田がふいと視線を逸らせて、榎木津の方を見た。また軽口を叩く。

「神奈川に車で行きませんか、榎木津さん。県警の交通課の知り合いに連絡しときますから」
「やだね」
「そこをなんとか」
「嫌だ」

にべもない。

まぁ、違反切符を切らせる気満々の場所へと行く馬鹿はいないだろう。益田とて、分かって言っている筈だ。へらへらと笑っている。

そもそも安和の言うように、そんな運転をすると分かっている状況で書類を読む方がどうかしているのだ。運転の交替を申し出るだとか、防止策は他にもあったのだし、人を責める前に我が身を振り返れ。


「君も馬鹿だな」

肘掛部分に肘をつきながら増岡も笑うと、益田が口の端をぐいと曲げた。


拗ねた顔が一番好みだと言えば怒るだろうか、とその顔を見ながら思う。

不満を言うようで案外言わない男が、自分には不平不満をよく言うことに満足感を抱くのは屈折しているのだろうか。まぁ、その不平不満を叶える気は全くない分、多少酷くはあるかもしれないが。

互いにやりたいようにやる。それが一番だ。どちらか一方が我慢したり、気遣いあってばかりというのは、どうも自分には馴染まない。

だから益田が不満げな顔をして口を開いても、愉快ですらあった。

「増岡さんにだけには今日のことで非難されたくないです」
「何故だ?」
「増岡さんがいきなり、今日の昼来る、って電話してきたから、僕は書類を車に持ち込んだんですよ!少しでも仕事を減らしておこう、少しでも一緒に居られるようにしようと思って。結果はともかく、そのこと自体は健気だなぁ、いじらしいなぁと思いません?」

自分で言うな。

真顔で言うその姿を愛しく思わないでもないが、軽く苛立たないでもない。榎木津は呆れ切った声を出す。

「黙れ、マスカマ」
「それは増岡さんのマスですよね?増岡さんに言ってるんですよね?」
「お前のことだ、カマオロカデリシャス龍一」
「名誉棄損で訴えますよ、榎木津さん。こっちには優秀な弁護士がついてるんですから」

ねぇ、と問いかけるその瞳が、今日既に一度弁護を軽く断っているのにも関わらず、信じ切ったものであったから。

「そうだな…」

少し考えてはみたが、やはり味方だと言いたくない。だが、突き放したくはない気持ちだった。


「料金次第では君についてやる」
「えぇっ!?僕から弁護料をとるんですか?そもそも増岡さんとのことで散々言われてるのに!?」


随分自分も優しくなったものだな、と思っていたのに、益田がまた驚いたように目を見開いた。






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タイトルは「カカリア」様からお借りしました。




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