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誘惑パヴァーヌ




「鐘をつきたい!」


探偵社で年越し蕎麦を食べていた手をとめて榎木津が急に言うので、益田は驚いて聞いた。


「え?今から行くんですか?」
「そうだ!鐘なんか大晦日以外につく意味ないだろうが!」
「いや、多分ありますよ、お坊さんには。ねぇ、司さん?」


ソファの隣に座って蕎麦を啜っていた司に同意を求めた。この後どうなるか、探偵助手をそれなりに務めてきたから想像がつく。折角、司と一緒にゆっくり過ごせているのに出掛けるのは嫌だった。それになにより外は寒い。


「エヅが言ってるのは、僕ら一般人が鐘をつくとしたらって意味でしょ。だから二人とも正しいんじゃない?」


司は榎木津のペースに馴れたもので、のんびりと言いながら立って外套を羽織る。


「僕も行くよ、エヅ」
「さすがは喜久ちゃんだ。マスヤマも来い!」
「えぇっ!?嫌ですよ、寒い」
「来ーい!」
「分かりましたよ…。和寅さんが行くなら行きます」
「おい、益田くん。私まで巻き込むんじゃないよ」
「こうなりゃ道連れですよ。和寅さんだけ暖かい思いはさせません」
「最低だな、君は!」



そんな風にして強引に寺へと(和寅さんは僕に)連れて来られたのにも関わらず、当の榎木津は、除夜の鐘をつこうと並ぶ長蛇の列を見た途端に、周りに並んだ屋台に興味が移ってしまったようだった。


ここまで来たら意地でも鐘をついて帰る。


半ば自棄をおこして、そう決めた益田が並んだ最後尾から、榎木津が和寅と屋台で楽しそうに遊んでいるのが見えて、もうそっちに行ってしまおうかという気になりかけた。

でもそこでゴーンという鐘をつく音がして、屋台で遊びたい誘惑を断ち切ってくれた。なんとしてもこの鐘をつきたい。人生で一度はやっておきたい。二度目はいらないけど。

鐘の音によって新たに生まれた煩悩を抱えながら、益田は何故か榎木津と行かずに一緒に長い長い列に並んでくれた司を見上げた。すると視線にすぐに気づいてくれた司がこちらを見て微笑む。


「寒いねぇ」
「えぇ。司さんは屋台には行かないんですか?」
「うーん、今日はいいや」
「へー、そうなんですか。なんか意外だったんです、こっちに並んでくれたの。司さんは、除夜の鐘になんて興味なさそうに見えてたんで」
「うん。普段だったら参加しないね。寒いでしょ。『鐘をつく面白さ』と天秤にかけたら『寒いから嫌だ』が圧勝しちゃうよ。でもさ、エヅが行きたいって言うし、エヅが動けば面白さが三倍には絶対なるし」


こともなげに零された言葉の端々に長い付き合いが感じ取れて、榎木津のことが羨ましくなった。


いつからの付き合いなんだろうか。どこでどう戦時の記憶に触れてしまうか分からないから過去の話を聞くのは躊躇われて、司の過去を自分は殆ど知らない。それこそ、『相手のことを何でも知りたい』に『好奇心なんかで傷つけたくない』が圧勝だ。


何故か急に寒くなったような気がして、襟巻に首だけじゃなく口元まで埋まった。鐘が等間隔で鳴り響くのを聞きながら黙っていると、司が柔らかな声で言う。


「それに益田ちゃんが居るなら何処へだって行くよ」
「…そぉいう歯の浮くようなこと、わざわざ言わなくていいですから」


そんな言葉を聞くと、遊ばれているような気がしてしまう。いや、事実遊ばれているのかもしれない。思考が深みに嵌りかけたので逃れるように屋台の方へと視線を向けて、榎木津達の姿を探した。


「…本気で言ってるんだけどなぁ、僕は。つらいよ。益田ちゃんに信じてもらえないなんて」


苦しそうな声と溜息が聞こえて慌てて振り向けば、してやったりという顔をして司が笑っていた。


「あ、心配してくれた?益田ちゃん」
「…してません。もう二度としません。来年もしません。僕が馬鹿でした」
「ごめん、ごめん。許してよ」


どれだけ苦い顔をつくって見せても、こっちが本気で怒っていないことなんてしっかり見通した、ふわふわした謝罪の言葉が返ってくる。

こんな余裕はどこから生まれるんだろうと思いながら、司に引き寄せられるまま、その口元に耳を寄せた。


「ねぇ、こんな列抜け出してさ、二人でどっか行こうよ」


囁かれた言葉は多分に色欲を含んでいた。今も鳴り続ける煩悩を打ち消してくれる筈の鐘の音は、司にはまったく効き目はないらしい。


そして残念ながら自分にも。


「行っちゃいましょうか」


そう答えると、司が自分が誘った癖に意外そうな顔した後、すぐに人懐っこく笑った。






タイトルは「カカリア」様からお借りしました。



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