これが恋ですか、神様
「いいか、私は多忙なんだ」
「そんなの聞き飽きましたし、僕だって分かってますよ、増岡さん。丸一日空けてくれって言ってるんじゃないでしょ。一時間くらい良いじゃないですか。僕に構ってくださいよ」
益田が恨めしげに見ると、増岡はちらりと見返してきたが、すぐ書類に目を落としてしまった。
「君と話していると一時間ではすまないからな」
「楽しくて?」
「思い上がりも甚だしいな。君が喋り過ぎるんだ」
ついには、そんな冷たいことまで言われてしまった。早口で。これが恋人の部屋で過ごす男の態度だろうか。なんて人だ。
―――眼鏡を盗って隠してやろうか、そしたら仕事を中断せざるをえないだろう。でも、いきなりどこからか予備の眼鏡を出してきて、無言で眼鏡をかけそうだな。あ。無言はないな。「早く眼鏡を返せ」ってまた早口で言うんだ、きっと。
馬鹿げたことを考えてしまう自分にうんざりして益田はひとつ溜め息をついた。
溜め息が効いたのか、増岡が顔をあげる。
「名案があるんだが、聞きたいか?」
「是非聞きたいです。聞かせてください」
増岡に凭れていた身体を起こして思わず正座した。
「君の話を聞かずにすみ、なおかつ一緒に過ごせ、私も満足出来る余暇の過ごしかたを考えたんだ」
そう言って背広の内へと手を入れて封筒を取り出したかと思えば、名刺でも渡すかのような、ぴしりとした所作で増岡に封筒を渡された。
「…なんですか、これ」
あと、何故そんなにも僕の話を聞きたくないのか。
手触りからすると紙が何枚か入っているようだった。もし金が入っていて、お前は五月蝿いからこの金で外へ行って時間を潰してこいとかだったら、もう別れよう。
そんなことを考えていると唇が尖った。
「なんだ、気に入らないのか?落語の公演の券だ。前に君も落語を聞くと言っていたろう。明後日の分だ。予定を空けておきたまえ。ま、君が来ずとも私は行くがね」
「うわぁ、行きます、行きます!」
嬉しい。とにかく嬉しい。日頃冷たくされていることなんか忘れた。
そして、すぐ思い出した。
「そうか。よし、それじゃあ私は失礼するよ」
「えぇぇぇ!ここは、どこで待ち合わせるのかだとか、そんなことを話すとこなんじゃないんですか!?」
「その券に時間と場所は書いてある。10分前に現地集合だ」
なんて人だ。甘さの欠片もない。
益田が唖然とする中、増岡は本当に立ち上がって玄関へと向かい、靴をはいた。こっちは立ち上がる気もおきない。
「なんだ、今日は玄関先まで見送りに来ないのか?」
しかし、つまらなそうに言う増岡を見ていると、ついつい言う通りにしてしまう自分が一番どうしようもないと思いながら立ち上がった。
「もう玄関先どころか、駅までついていきますよ」
「それは結構だ」
手まで添えて、完全に拒否された。
……なんて人だ。
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タイトルは「彼女の為に泣いた」様からお借りしました。
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