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囚われたのはきみの方

「美味いかね?」

増岡の声に益田は食べる手を止めて、目の前のソファに座り、珈琲を啜る増岡を見た。何故だか、ここ数ヶ月頻繁に探偵事務所を訪ねてくる増岡は、これまた何故だか手土産を色々持ってくる。それは菓子であることが大半で、それを矢鱈と益田に勧めて食べさせる。

「はぁ、美味しいですけど。いいんですか、こんなに高そうな菓子ばっかり貰っちゃって」
「私ほどの弁護士ともなれば、その程度の菓子は貰い物で嫌と言うほど貰うから、気にしなくていい。食べきれないものを持ってきているようなものだからな」
「それは、それは。ありがとうございます」

増岡の嫌味たらしい口振りに、嫌味たらしく益田も言い返すと、鼻で笑われた。


「ま、噛み締めて食べたまえ」

言い終わるなり立ち上がって外套を手にとる姿に声が出る。

「え、帰っちゃうんですか。まだ来て10分くらいでしょうに」
「私は多忙なんでね」
「それ会うたびに言ってますけど、そのわりにはうちの事務所にはしょっちゅう来てるじゃないですか。本当に忙しいんですか?」


ふざけて言うと増岡が動きを一瞬止め、益田の方へと顔を向けて不敵に笑った。

「忙しいさ。なんなら、私の弁護士事務所を見にくればいい」
「あ、いえ、大丈夫です。ふざけて言っただけなんで」
「いいや、来い。そうだな、来週の木曜の昼頃来い。ついでに昼食もご馳走しよう」
「えぇーっと…。ありがたいお話ですけどね…」

軽口がまさかこんな流れになるとは読めていなかったので、慌ててしまう。どこまで本気なのかも分からない。


だが。


「来るんだぞ。分かったな」

そう言って、にやりと機嫌よく笑う増岡に、気づけば「わかりました」と頷いていた。



*****



今思えば、増岡に逆らえたためしがない。

それから何度も訪れるようになった増岡の事務所で「抱いていいか」といきなり言われた時も何故だか頷いていた。


あの時くらいはもう少し悩んでから頷くべきだったと思い返しながら寝台に頭を埋める。増岡の部屋の寝台はとても寝心地が良い。隣の増岡もこの寝台の心地よさを見習うべきだと思う。

行為を終えるなり、さっさと煙草を吸い始めるなんてあんまりだ。何か睦言のひとつもあったっていいのにと溜め息が出た。


それでも、こうして当たり前のように抱かれるまでになっている自分は、増岡にちゃんと惹かれているのも事実で。自分はかなりの被虐嗜好者なのだろうと呆れてしまう。

しかし。それはそれだ。前の冷たさは許せる部分があったとも思うのだ。


「あーあ。あの頃は優しかったのに」
「なんの話だ?」

泣き言を言うと増岡がようやくこちらを向いてくれたので、益田も体を起こした。

「こんな風になる前は、たくさん会いに来てくれたじゃないですか。優しかったですよ、増岡さん。変わっちゃいましたねぇ」

嘆くように頭を振って見せると頭をがしりと掴まれた。ちょっと痛い。

「何を言っているんだ?優しくした覚えなどひとつもないぞ」

あきれ果てたと言いたげな声(しかも早口)で、言われて驚いてしまう。それでは自分は一体この男のどこに美点を見出だせば良いのだ。

「え、でも手土産まで持って遠路遥々来てくれたでしょ。一緒にご飯を食べる時間も今よりたくさん作ってくれたし」
「…君は西洋の童話を知らないのか」

頭を掴まれていた手が離れていくのが少し寂しい。
「は?なんですか、いきなり。知りませんよ」
「いいか、ある話にこうした一場面がある。魔女に少年が囚われ、檻に入れられるんだ。すぐさま食われると思うだろう?ところがこの魔女中々食おうとはしない。そればかりか、大量に飯を食わせてくる」
「あの、すいません。例え話がしたいなら、それは増岡さんが魔女の方だと考えていいんですか。嫌味な感じも魔女っぽいし」

何より大量に飯を食わせてくるところが似ている。

一緒に食事に行くと、あれも食え、これも食えと大量に注文するので、益田は増岡に食事に誘われた日は朝から何も食べないようにしているほどだ。

どうも食べるのを見るのが好きらしい。益田がたくさん食べると満足そうに笑う。あぁ、美点はかろうじて、あとひとつあったな。あの笑顔は好きだ。


「黙って聞け。そこで、少年はその不審な点をきちんと考えたんだ。そして結論を出す。この魔女は、肥え太らせてから自分を食べる気だとね。また、そこで思考を止めなかった賢明な少年は策を講じ、逃げる。……しかし、だ。残念なことに、哀れな君は疑問も感じず、そのまま飯を食べ続け、挙げ句最後には食われたというわけだ。私が優しく見えていたのなら、君はかなりの間抜けだったのだな」


早口でまくしたて、煙草を灰皿に押し付けてから、「寝るぞ」と宣言ではなく命令をよこしてくる増岡に益田は言葉を失った。


開いた口が塞がらない。なんて言い草だ。しかし、考えてみると不思議なところを見つけた。


「…あれ、でも僕が何も分からないうちから、つまり増岡さんの持ってきてくれた菓子をかじってた頃からの罠だったとしたらですよ」
「罠だったと言ったろう、今」
「だとするとね…」

笑みがこぼれるのがとめられない。増岡が不審そうな視線を向けてくるのも気にならない。



「増岡さん、かなり前から僕のことを好きだったってことになりません?」



益田がそう言うと、増岡が途端に苦虫を噛み潰したような顔になった。


「これだから君と話すのは嫌なんだ。すぐに調子にのる」
「調子にくらい、のらせてくださいよ。たまには」


そのまま増岡の方へと寝返りをうって近づくと、「くっつくな。寝づらいだろう」と冷たい言葉をかけられたが、笑ってかわせた。


本当に寝づらいと思っているなら増岡は平気で押しのけてくる筈だ。というか経験済みだ。


甘い言葉からは縁遠い男だけれど。



別れろと早口で言われるまで、自分はきっと愛されている。



そう思うことにした。






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