さあ今夜はどんな御話を
扉を叩く音がして山下がドアを開けると、息を切らしている益田が立っていた。雨の中、傘も持たずに来たようで、全身ずぶ濡れだ。
「なんだ?事件か?」
夜中にここまで急ぐのは、それなりのことがあったのだろうと、自分も出かける準備をしようと部屋に引き返そうとすると、背中にぺたりと益田が凭れてきた。
「どうしたんだ?」
意図が読めずに問いかけると、小さな声が聞こえてくる。
「いえ、急に山下さんに会いたくなっただけなんです。すいません」
「そうか」
謝ることなどではない。そう言ってやりたい。
「そしたら、途中で雨に降られちゃって」
「…そうか」
腹へと回されてきた腕を掴む。
「おい、ちょっと待ってろ」
「なんですか?」
「お前が濡れているから…」
拭いてやる、と続けようとしたところで「あ、すいません。山下さんが濡れちゃいますね」と言って益田が離れていってしまった。
自分の不器用さも悪いのかもしれないが、変に気を回し過ぎる益田も益田だ。
「早合点するな」
不機嫌な声が出てしまうが、益田は慣れたもので、困ったように眉を下げて笑うばかりだ。
「とにかく、さっさと靴を脱いで上がって、座れ」
「はい。分かりました」
箪笥から手拭いを取り出して持ってきて、言いつけ通りに畳に座り込む益田の頭に被せ、ごしごし拭くと、最初はきょとんとしていた顔が朱に染まっていく。
「…や、山下さん」
「なんだ?文句があるのか」
「ないです。ないですけどね…」
声がどんどん小さくなっていき、顔もどんどん下を向いてしまう。
自分から甘えてくるのは平気な癖にと不思議に思いながらも、どこか面白い。
「おい、上を向け」
拭く手を止めずに山下が言うと、益田が真っ赤な顔を少しだけ見せて、視線が合う。
「なんですか…」
角度が足りなかったので、拭いていた手で益田の頭を強引に上向けて唇を塞いだ。
========
タイトルは「彼女の為に泣いた」様からお借りしました。
[ 42/62 ]
[*prev] [next#]
[戻る]