この想いにふたをする
「久しぶりだな。元気にしていたのか」
そう言って笑みを見せた元上司兼元恋人は、離れている間に少し丸くなり、隠されていた優しさが顔に滲みでるようになっていた。
自分が居ないところで魅力が増す、というのは複雑だ。自分が側にいなくなったことが切っ掛けかもしれぬと自惚れてみても、結局は側にいなくて正解だったと言われているような気がする。
「えぇ、元気ですよ。山下さんこそ、元気ですか?毎日怒鳴ってます?」
「相変わらずだな、お前は」
―――あ、まただ。
軽口を叩けば、怒鳴って返してくる男であったのに。こんな風に優しく笑って返してくるような男ではなかったのに。
どこか、余裕というか、気持ちにゆとりが出来たようだった。
箱根でこの人もまた、益田自身と同じように変わったのだ、きっと。
「それより、なんだ、その前髪は」
山下の手が躊躇いなく伸びてきて、益田の前髪に触れた。温かい指先が額にもあたる。こちらばかりが翻弄されているようだ。しかし、こちらにも見栄というものがある。
軽薄に。とにかく上っ面で。
箱根以後の新たな生き方を見せる。
「これはですね、弱さの演出です。殴られようかというときに、はらりと目にかかると相手も手加減してくれるだろうと思いましてね。山下さんもどうですか?」
「私は遠慮しておく」
箱根以後の穏やかな笑みが返ってくる。
益田が山下を見て思うように、山下はこちらを見て何か思うだろうか。
良くなったと思うだろうか、悪くなったと思うだろうか。
そんなことが気になって仕方がない。
別れを告げたのは自分の方なのに。
これだから嫌いで別れたのではない相手というのは性質が悪い。こうなって良かったのだ、こうするしかなかったのだ、と理解していても、ふとした時に、こうならないように出来たのではないか、と考えてしまう。
例えば今とか。
山下の指が離れていく。
そのことに寂しさを感じる自分はなんて愚か。
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タイトルは「彼女の為に泣いた」様から。
大磯での再会話。
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