恋する彼のてのひらはぬくい
「…今日も帰っては来ないんでしょうか」
「わからん」
山下は短く答えを返したきり、なにも言わない。益田とて、張り込みの最中に長々と話したかった訳でもないので、それきり口を閉じた。
殺人のあった日から行方をくらませた、なんらかの事情を知っているらしい男の身柄を確保するために、念のため男の自宅前を交代で監視していたのだ。あと数時間は、山下と自分の二人で見張っていなければならない。
益田は小さく足踏みをした。じっとしていると凍ってしまいそうだった。
冬の張り込みは辛い。夏は夏で辛いが、今は寒いので暑い方がマシだと思ってしまう。手袋を刑事部屋に忘れてきてしまったのが悔やまれた。両手を重ねて擦り合わせてみるが、まだ足りず両手を広げて口元へと引き上げる。
はぁ、と手に吐きかけた息は空気を白く染め上げるばかりで、気休めにもならなかった。
そうこうしていると、久方ぶりに目線をこちらに向けて、山下が話しかけてくる。
「…手袋はどうした?」
「え?いや、あの、忘れてきちゃいまして」
必要なこと以外で山下の方から話しかけてくるのは珍しいことであったので、狼狽えてしまった。
「馬鹿だな、寒いだろう」
「えぇ、本当に寒くて堪りません。はやいうちにボロを出してくれるのを願うばかりです」
被疑者宅を顎でしゃくって指し示す。
今か今かと待ちすぎて、ピリピリとした程よい緊張を超えて苛々した空気を纏う山下にあえて軽い調子で返した。
怒られるかなと思ったけれど、眉間に皺を寄せて再度黙りこくった山下は視線を被疑者宅へと戻していく。
益田もじっと目標の部屋や周囲に目を配っていると、唐突に山下が手袋の片方だけを取り、差し出してきた。
「…ほら」
「なんですか?」
「使え」
驚いて意思を問うと、苦々しそうに口を歪められた。でもそんな顔をしていても、本当は一生懸命考えてくれたに違いない。
うちに秘めた感情を表に出すのが少し下手な人だから。
なにか優しさを見せてくれた時は、いつだって真心だ。
「片方だけですか?」
「うるさい、私だって寒いんだぞ」
「ですよね」
ふざけて言うと真面目に怒られた。
手袋に手を入れるとまだ仄かに温かい。なにより気持ちが温められた。
「ありがとうございます、山下さん」
「…あぁ」
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