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不器用な人

「おい、益田」

山下が後ろを振り向くと、亀井が驚いた顔をしている。

しまった、と思った。

箱根の事件の後、益田は防犯課に異動になって、もう自分の側にはいない。

時々それを忘れて、近くにいる人間に呼びかけてしまう。

亀井が後ろ辺りにいる時にはしょっちゅうだ。ちょこちょこした動きが少し似ているせいかもしれない。訳もなく苛立ってくる。


「…あの、山下さん」

亀井が言いづらそうに口を開いたが、それを遮るように、茶を入れてくるよう言いつけて追い払った。


自分の机の椅子の背に深く凭れて考える。

―――この喪失感はなんだろう。

部下の異動や退職などには散々慣れていた。

それなのに。

もう二ヶ月もたつにも関わらず、未だに自分のそばに益田が居ないことに慣れない。

制服組と上手くいかない時。失言をした時。益田はいつも周りと山下の間に立っていたから、そこで居てくれないと困るのは分かる。実際困っているといえなくもない。

しかし最も喪失感を感じるのは、今みたく、事件もない、ゆるい空気が刑事部屋に流れている時などの、ふとした瞬間だった。


益田と話したくてたまらなくなる。

元々仲良く話をするような間柄ではなかったのに。妙な話だ。

ふと会いに行ってみようかという気になり、亀井が茶を持って来るのを待たずに刑事部屋を出た。廊下を歩き、階段を降り、そこからまた廊下を歩いて角を曲がる。

ひどく遠く感じていたのに、歩けば大したことない距離だった。

そうやって防犯課に顔を出し、益田を探していると「山下さんじゃないですか」と後ろから声がした。

振り向くと益田が不思議そうな顔をして立っている。

制服を着た益田を見るのは初めてだった。親しみやすい警察官という彼の目標は達成されているように思えた。きっちりと制服を着こんでいても威圧感は感じない。益田の性質がよく出ていた。似合っていた。とても。

「似合っているじゃないか」

思ったままを言ってしまって、すぐに後悔した。私服刑事から後の制服を褒めるなど嫌味にしか聞こえない。

案の定、眉を少しひそめて「それはどうも」と返された。


「…悪く取るんじゃない」

なんとか取り繕おうとは思うのに、きつく声が出てしまう。

駄目だ。どうして自分は上手く伝わるように話せないのか。

もう帰ろうかと思いながら益田を見ると、意外にも困った顔で笑っていた。

「あぁ、すいません。そんなに似合ってます?支給されたのが少し大きめで、裾がちょっと余っちゃってるんですけどね」

ほら、と見せられた手は半分隠れてしまっている。言葉に悪意がなかったことは汲み取ってくれたらしかった。


何か失言をしてしまってもいつだって、すぐにこうして許すというか、無かったことにしてくれていたことに今頃気づく。


「それで。何かあったんですか?防犯課までわざわざ来るなんて」

色々なことを考えてぼんやりしていたのも手伝って、益田の思わぬ問いに狼狽えた。まさか用もないのに会いに来たとは言えない。

なんだか怒鳴りたくなったが、堪えて言葉を探す。何も言わない山下に向かって、益田が首を傾げて笑みを深める。

その笑みを見て急に思いついた。


「飲みに行かないかと思ってね」


「珍しいですね、山下さんがそんなことを言い出すなんて」

自分の返答に山下が満足する中、益田が目をぱちくりとさせた。

「あ、亀井に頼まれたんですか?奢ってくださいって。給料日前ですからねぇ。亀ちゃん、いっつもそうなんですよ。次は山下さんに頼む気なのかもしれませんね」

楽しそうに続ける益田に違うとも言えず、「そんなところだ」と返した。

それからしばらくどこで落ち合うかなどを話した。思えば、事件以外のことでこんなに長く話したのは初めてだった。


***


刑事部屋に戻ると、冷めた茶が自分の机の上に置いてある。

なんだこれは、と思ったのと同時に、自分が益田に会いに行く前に亀井に言いつけた茶ではないか、と思い至った。そこで亀井を誘わなければいけないことも思い出して、その姿を探すと席についていた。


「おい、亀井!」
「すいません、茶ァ入れ直してきます!」
「いや、それで呼んだんじゃない」

慌てる亀井を手で制止する。自分が怒鳴りつけてばかりいるような反応だ。しかし、よく考えてみれば、怒鳴りつけてばかりではある。

亀井が訝しげな顔をして近づいてくるのをさらに指で急かす。

横柄な声が出た。

「今日益田と飲みにいくからお前も来い」
「うおっ、行きます、行きます!」

亀井の表情が一気に明るくなった。

「態度が変わりすぎだ」
「怖い顔で呼ぶから怒られるのかと思ったんすよ」
「あのなぁ、正直過ぎるのも考えものだぞ。あぁ、そうだ。今日は私の奢りだ」
「やった!助かりますよ、なんてったって給料日前ですから!」

亀井が益田の言った通りの反応をするのを見て、頬が緩んだ。


喪失感は少しおさまっていた。

これからもちょくちょく顔を見に行けば解決だ。

部下でなくなった人間と今更親しくしようとする自分の気持ちはよく解らなかったが、心は落ち着いていた。


―――何を話そうか。

冷めた茶を手にとって飲んだ。


―――益田の入れる茶の方が美味かったな。


気付けは益田のことばかり考えている。










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