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蓮の瞼(亀益)

益田は隣の布団に寝転がる後輩刑事に声をかけた。寮の相部屋仲間としても先輩後輩としても、うまくやってきたつもりであったが。今日は、なんだか亀井の様子が変だった。

「…亀ちゃん、電気消すよ?」
「えぇ」

常に明るい後輩が、今日はずっと静かだ。いや、午前中まではいつも通りだった。多少互いに疲れていたのは、おそらく関係ない。事件の間はいつだってそうであるし。午後に事件が一気に解決してからだ。こんな風になったのは。一体何が気に食わなかったのだろう。あまりに普段と違う空気にこちらも引き摺られて、調子よく喋ることも出来やしない。

電灯の紐を引き、照明を落とした。それから益田も布団へともぐりこむ。亀井の方を見ても、こちらに背を向けている。そりゃ普段からだって常に向き合って寝たりだとかそんな気持ちの悪いことはしないけれど、今日の亀井の寝方には、意地でもこっちを向くものかというような意地が感じられた。

―――今日の、どの部分に怒っているんだろう。

捜査にあたっていた事件の犯人と似た男が出入りしているという家屋の前で張り込み、数時間後に現れたまさにその男を、いざ道の往来で確保となった時。男が刃物を取り出して周囲へと視線を巡らした。益田も同じように視線を巡らせて気が付いた。下校途中らしい少女へと男が目をつけたのを。

人質にでもなにかするつもりなのか、なんだったのか、薬物をやっているという情報もあったその男の真意までは分からなかったが、人を傷つけようとしているのは分かった。そして、それだけ分かればあとの行動は決まっていた。

立ちすくんでいた少女と少女目がけて駆けてくる男との間に入った。これはちょっと怪我をするかもしれないと思いながら少女を抱えた時、横から亀井が男に飛び掛かるように体当たりをして転がして取り押えた。

礼は言った。ありがとう、か何か。そんなのは効力がないにしても、少女がさらに何度も重ねて礼を言った。あれほど嬉しいものはない筈だ。

だから、亀井は今日はずっと喜んでいたっていいくらいの筈なのだ、本来は。捕縄をかけたのも亀井だった。よくやったと、崎坂にも皆にも褒められていた。

こんなに静かにしている理由なんて、無い筈なのだ。

起きている気配はしていたから、声をかけてみることにした。明日になればいつも通りに戻れるのでは、と思っていたけれど、声をかけずにはいられなかった。

「……ねぇ、亀ちゃん…」
「…なんすか」
「ごめんね。今日は。ありがとう。助かった」
「ほんと、そうっすよ…」
「え?」

小さな声が聞き取れずに聞き返すと、亀井がわずかに身体を起こして、暗い中でもこちらを向いて大きな声を出した。

「馬鹿なんじゃないっすか!?」
「か、亀ちゃん?」

そのまま亀井が立ち上がったので、益田も身体を起こした。電灯を再度点く。暗闇に慣れていた目を瞬いているうちに、亀井が座り直し、じっとこちらを見ていた。

「守ろうとした行動自体を咎める気はありませんよ。警官ですから。市民優先、当然でしょう。でも、あまりに無策だったじゃないですか。あれ、俺が行ってなかったらどうなってたと思います?最悪死んでましたよ。…もっと自分を大切にしてくださいよ。自分に関することの優先順位が低いんすよ、いっつも。他のことでも。前から思ってたんです」

真剣な瞳をしていた。

「頼みますから」

ただ、頷いて応えた。特にそんな風に思ったことは自分自身ではなかったので納得づくで、というものではなかったが、真剣な瞳が頼りなく揺れ始めたから。躊躇いがちに抱き寄せられたから。

「好きなんすよ、俺。益田さんのこと。先輩としてだとかそんなんじゃなくて。だから、もっと…」
「…うん」

声を詰まらせた後輩の背に腋の下から腕を回し、とんとんと叩く。言われた言葉にとても驚いたけれど、それでも今は一旦置いておくことにした。可愛い後輩が泣いている。

「うん。ごめん、亀ちゃん。気をつける。次から」
「こんな情けない状態で好きだなんて言うつもりなんかなかったのに。畜生っ…」

しばらく互いに口をきかずに、そのまま居た。亀井が頭を起こすまで。とんとんと宥めるように背を叩き続けた。幼い子にするように。

「答え、聞いてないんすけど」

ずっ、と鼻を啜る音とともに、ぐっと抱えられる。腕に入る力が、ちょっとずつ遠慮がなくなってきたな、と少し可笑しい。

「さぁ、どうだろ。考えたこともないな」
「……そんなもんっすよね」
「でもさ、こうしてるの嫌じゃないよ」

答えた途端に、腕の力がさらに強くなった。それも、かなり強く。

「本当ですか?」
「…うん」
「そんなら、あともう一押しじゃないっすか!俺、頑張りますよ!」
「痛いって、亀ちゃん」
「あ、すいません」

腕の力を緩められ、僅かに身体を離す。いつの間にか、しっかりと齢と経験を重ねていた後輩刑事の顔が目の前にあった。それが近づいてきて瞼をなんとなく閉じれば、額に口づけられた。思わず声が出る。

「え?」
「いきなり無断で口いくのは失礼かな、と思ったんで」

照れを含んではいたけれど、満面の笑みが浮かんでいた。ちょっと対応に失敗したかもしれない。後輩がすっかり勢いづいている。

「でも口にやっちゃっても大丈夫そうでしたね、今」
「……さっきから思ってたんだけどさ、思ったこと全部言わない方がいいよ」
「え、そんな全部言ってますか、俺」
「うん。まだ言ってないことがあったら知りたいくらい」
「いや、ありますよ、色々。でも益田さんが寡黙な男がいい、っつうんなら寡黙になります!」
「絶対やろうったって無理だよ…。僕や亀ちゃんみたいなのは口がすぐ動くから」

亀井の身体を押しやって、自分の布団に入り込んで瞼を閉じた。亀井も今日はこれ以上何もする気はないようで、自身の布団へと入る気配がする。

「あの、益田さん」
「なに?」
「襲っちゃったら、すいません」
「だからさぁ…」

苦笑が込み上げる。

どんな関係になるのか、どんな関係になりたいのかなんて自分でもまだ分からない。でも、この後輩の、口からすぐになんでも飛び出してくるところはとても好きだ。

自分もすぐに口から色々飛び出すから、似た者同士のようにさっき自分でもくくったけれど、自分の口からでるのは大半が本音じゃない。調子よく適当に紡がれただけの言葉だ。

明るく本音をべらべらと話す。出来そうで出来ないことだ。しかもその本音に悪い感情が滅多と混じらない。ひねた部分もあるにはあるけれど、それも生意気さのうちというか、可愛い部分でしかなくて。

似ているようで、その実、正反対の男。

「今のは思ったことをそのまま言ったんじゃなくて、吟味した上で言ったんすよ?だって、言っておくべきでしょう」

困ったような亀井の声が聞こえて心底おかしくなった。

残念ながら、吟味はあともう何段階か必要だと思う。

それに吟味は別件にも必要だ。

貞操の危機に瀕している筈の自分の余裕について、今から一晩かけて吟味したい。




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タイトルは「カカリア」様からお借りしました。



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